正月。


私はいつものように元旦から母と弟を迎えに行き、親戚宅への送迎をした。


この10年というもの、父が不在になってしまう大晦日の実家の、年越しの準備はすべて私がしてきた。掃除をして花を飾り、そばや雑煮の段取りをして、

家でくつろぎたいはずの息子を説得して連れてゆき、

さも楽しそうに彼らのために尽くした。



彼らの誕生日も、クリスマスも、



ここ数年母の様子がおかしくなって、

ますます何の買い出しもできず、

ただ口だけで「(弟のために)してやってくれ」と要求するだけのことが増えた。



そんな私の状況を聞いたかつての同僚は、

「なんで抵抗しないの?」

と尋ねた。



私は、ほんとになぁと思いながら、

選択肢がないということについて、どうすれば他人にうまく説明できるだろうかとぼんやり考えたりしていた。



今年で95歳をむかえる祖母も徐々に弱り、ときどき週末に顔を出す父が買い物をする以外は、すべて私の肩に乗っている。


私がひとりで子育てをしていることも、

仕事との両立が難しくなり介護休暇を取ったことも、

兄も伯母もその他の親戚たちも、

みんな知っている。

直接、何度も苦しいと、助けて欲しいと訴えた人たちもいる。



だけど彼らの誰ひとりとして、

駆けつけてくれた者はいなかった。



むしろ、

近づいてはいけない場所のように、

祖母や実家に寄り付きもしなかった。



そんな彼らの姿に、

私はときどき、オメラスという都の話を思い出す。

美しい都に、幸せそうに暮らす人びと。

でもその地下には、一人だけ幽閉されている人間がいる。

そのことを街の誰もが知っていて、

誰もその者を解放しようとはしない。

何故なら彼らのその暮らしは、一人の犠牲のうえに成り立っていることを理解しているから。

けれど彼らの表情に、やましさはない。


そんなような話。



たいそうなことを肩代わりしてほしいとは思わない。

ときどき、たとえ数週間に一度でも、たった一時間でも、祖母に会いに来て、

話し相手になってやってくれたら、

祖母の心細さがどんなに安らぐだろう。


母を近所の散歩に連れ出し、気持ちを紛らわせることができれば、

私や父への数知れない電話攻撃が多少はおさまるだろう。


弟に笑顔で話しかけてやってくれたら、

周囲の人を信頼する気持ちが、彼にも育ってゆくだろう。


何かを決めなくてはならないとき、一緒に頭を抱えてくれたなら、


どうにもならない現実を、同じように知っていてくれたなら、


息子と自身の人生を犠牲にしながら彼ら3人の介護に向き合っているという私の苦しみを、


もし自分だったらと想像してみてくれたなら、




常に障害児の姉として弟をケアすることを求められ、

母のよき相談相手として求められ、

そうでなくては存在すら意識されない私にとって、

母や弟を拒絶することは、罪だった。

か弱き彼らの困り事を放置するなど、許されなかった。

母の顔にも、やましさは浮かんでいない。



地下に閉じ込められた誰かとは違い、

私は自分の足で去ることができる。

頭ではわかっている。

でも、どうすればいいのかわからない。

代償に背負う罪悪感が、恐ろしくてたまらない。

いつも一人で決め、

一人で背負わなくてはならない現実。



兄さん、

伯母さん、

他のみんな、



あなたたちは、オメラスに暮らす人びとだよ。