Gyouponのブログ

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3.11 東日本大震災
〜 家族の絆、それぞれの絆 〜
頑張ろう 東北!!

震災復興へ、共に手をつなぎ頑張ろう!!
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今日6月23日は震災で亡くなった母の誕生日。

生きていれば、77才。

まだ天国に逝くには早すぎたと悔やまれるが...

ずっと先に逝った父と天国で再会出来たかな?

2人仲良く安らかに...



夜、母のお気に入りだった鮨勘に行き家族で故人を偲んで来ました。

帰りに母の好きだったネタを握って貰い、遺影の前にお供えしました。

母がとても可愛がってくれた、長男がお茶をいれてくれて...


仙台で一緒に食べていたのがついこの間のように感じます。

photo:01



母さん、誕生日おめでとう!
震災から2ヶ月が過ぎた5月下旬に、兄(次男)から一通のメールが届いた。

実家の母の部屋にあった金庫と母が常に持ち歩いてたバックが見つかったと警察から兄に連絡があったとの内容だった。

実家は南三陸町防災対策庁舎すぐ隣り。

そこから流され重い金庫は山間部の小森地区で、そして貴重品の入ったバックは何と志津川湾を跨いで対岸の戸倉水戸辺地区で瓦礫の下に埋まっていたのを自衛隊員の方が発見していただいたとのことだった。

photo:01



共に実家から数キロから10キロ近く離れたところから南北に別れ発見された。

信じ難い津波の威力だった。

それにしても、想像のつかない津波の経路だ。

おそらく、引き波で海を越えて水戸辺までバックが流されたのだろう。


メールを見たとき母の形見が見つかり凄く嬉しく、興奮したのを覚えている。



それから数日後、5月28日は震災ボランティアの方々(通称=思い出探し隊、隊長 尾畠さん)が町内の瓦礫の中を捜索して発見した町民の思いでの写真などを展示、返還してくれる思いで写真展が廃校となっていた入谷中学校で開催される日だった。

その日は仙台の家族4人で志津川へ向かった。

入谷に住む兄(次男)の住まいに行き、まずは母の遺留品を見た。

兄が綺麗に洗い流し、乾かしてくれていた。

金庫の中にあった不動産の権利証、そしてバックの中にあった財布などの貴重品一式や兄弟の写真などが床に並べられていた。

photo:05



photo:02



そこには数年前、母の日にプレゼントした財布と僅か数ヶ月前にプレゼントしたソフトバンクのフォトビジョンの取扱説明書があった。

photo:03



フォトビジョンは可愛がってくれていた我が子2人の映像をタイムリーに母に見せてあげたいと思いプレゼントしたものだった。

母は志津川の親族に孫の様子が見れて嬉しいと言ってくれていたそうだ。

その思いでの品々が詰まったバックを見つけて頂いた自衛官に心から深く感謝申し上げます。


ところで、
思い出写真展はこの日が初日だった。

午前中に一旦会場近くまで行ったが、付近にいたスタッフから盛況で順番かつ時間制となる事を告げられ、仕方なく午後の最終部となった。


午後の3時くらいに再度、旧入谷中学校へ向かった。

玄関先でボランティアの方から説明を受け、いざ校舎の中に入った。

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1階と2階の教室跡や廊下にびっしりと写真や遺影などの思い出の品々が展示されていた。

1階は歌津地区、戸倉地区などで発見された写真。

2階が志津川で発見された写真などが展示されており、まずは2階から捜索を開始した。

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家族4人それぞれ離れて隈なく探した。

あまりの展示枚数で一枚一枚ゆっくり確認する時間がなく、限られた時間に一枚でも多く探し出そうと必至だった。

30分を過ぎた頃だったか、2人の子供達が自分達に似てる写真があると1枚の写真を持って来た。

そう、それは次男が生まれた時の写真だった。

新生児用の透明な籠に入った赤ゃん(次男)を嬉しそうに眺めている長男とのツーショット写真だった。

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母にプレゼントした記念の写真だった。

最初の一枚が見つかって嬉しくなり興奮して思わず「 あった~ ‼ 」
と大きな声を出してしまった。

その声に吸い寄せられるように、取材に来ていた地元テレビ局のスタッフが僕に声をかけてきた。

最後に取材させて欲しいと言う内容だった。

なおも残り時間を気にしながら家族で必至に探した。

4、5枚数見つけ出し、残り時間10分程度となった。

まさか戸倉地区や歌津地区で発見された写真を展示している、1階教室にあるとは期待しなかったが念の為に探して見た。

戸倉地区はなく、最後の教室である歌津地区の教室に入った。

残り数分となり、先ほど取材を要請された記者の方も僕の近くにいた。

あ~、もう時間がない
タイムアップか?

そう思いながら教室の床を見ていたその瞬間、見覚えのある写真がビニール袋の中にあった。

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手にとってびっくりした‼

流された実家のリビングで、亡くなった母が2人の子供達と楽しそうに笑っている写真がまとまって出て来た。
しかも10数枚、一緒に入っていた。

これには流石に興奮した。
(決っして、やらせではありません)

すぐに記者の方がインタビューしてきた。

生前母の部屋には壁一面に家族や多くの孫の写真が所狭しとばかりに飾ってあった。

それら写真の一部が沢山発見できた。

photo:07



時間的に最後の最後となったこの教室で母の思い出の写真が多数見つかった。


しかも、展示されていた教室は歌津地区で発見された写真が展示されてある場所だった。

実際に写真が志津川から歌津まで流されたなど到底考えられない。

もしかして作業の途中でここに紛れ込んでしまったのかも知れない?

いずれにせよ、最後の最後で嬉しい限りのプレゼントを頂いた。

ここにもまた一つ感動するドラマが僕ら家族を待っていた。

思い出探し隊のボランティアの方々に心から深く感謝申し上げます。

僕をはじめ、多くの町民の思い出を取り戻してくれて本当にありがとうございます。