2025年のお正月は、エジプトとトルコへ行ってきました。
具体的には、2024年12月28日(土)~2025年1月6日(月)の10日間です。出発は関空からで航空会社はターキッシュエアラインです。
私の家、岐阜から関空へ行くには、一般的に4つのルートがあります。名古屋経由新幹線、名古屋経由近鉄アーバンライナー、岐阜羽島まで車で行って新幹線、そして東海道本線の在来線で鈍行で西へ向かう方法。結局、一番安く、そしてそんなに時間がかからないこともあり、鈍行で行くことにしました。ただし、米原からは京都まで1区間新幹線に乗り、京都からは特急はるかで関空まで行きました。所要時間は全体でちょうど3時間でした。
ターキッシュエアライン(TK)は、関空から直行でトルコのイスタンブールに行き、そこで、同じTKに乗り換で、エジプトのカイロまで。飛行時間は、13時間+2.5時間で、15.5時間程度です。
エジプトの空港について、カイロまでバスで移動するわけですが、期待通りというか予想通り、車窓から見えたのは、砂漠でした。
当然なのかもしれませんが、何故か少し安心しました。
安心するのもつかの間、カイロ近郊に来ると「死者の街」があります。残念ながら写真は撮れませんでしたが、要するに墓地に人が住んでいるので、ビックリです。
カイロの街に入ると、下の写真のような壁が見てて来ました。
これは、シタデルと言われている要塞都市の壁です。キリスト教徒である十字軍から、イスラム教徒を守るために、作った要塞都市で、小高い丘の上にあります。
このシタデルの中には、ムハンマド・アリ・モスクがあります。上の写真です。ただ、このモスクは、十字軍のころではなく、19世紀になってから作られたそうです。
シタデルの麓にあるのが、下の写真スルタン・ハサン・モスク。
ここのミナレット(尖塔)の高さは82mあり、エジプトで最も高いとのことです。ちなみに、このミナレットは、煙突ではなく、イスラム教徒に礼拝の呼びかけをするために作られているのだそうです。礼拝は一日で、スンナ派5回、シーア派3回するそうです。
午後は、エジプト考古学博物館へいきました。当時大エジプト博物館建設中で、考古学博物館から展示物が移設されるとのことでしたので、現時点でどちらの博物館にあるのかは未調査ですので、その点はご了承願います。なお、この大エジプト博物館は2025年11月にオープンしたようです。
考古学博物館はナイル川の東側にあります。外観は下の写真です。
あとは少々、作品の紹介です。
紀元前2600年頃のファラオ(フク王)ギザの一番大きなピラミッドを建造。でもこの博物館内の像は小さいです。
フク王の息子カフラー王。父より少しだけ小さいピラミッドを建造。
カフラー王の頭の部分には、ハヤブサの姿をしたホルス神が、翼を広げて守っています。
ジョセル王、エジプトの最古のピラミッド、階段ピラミッドを建造。(紀元前2650年頃)
古代エジプト最強の女性ファラオ。(紀元前1500年頃)。なお、参考ですが、クレオパトラ7世は古代王朝最後のファラオ。(紀元前50年頃)クレオパトラのプトレマイオス王朝は、ローマ軍に敗れて滅亡し、ローマの地中海制覇が完成。
ツタンカーメン。この黄金のマスクは、もう既に考古学博物館にはありません。大エジプト博物館に移送されたとの報道がありました。なお、ツタンカーメンは紀元前1330年頃のファラオです。
また、考古学博物館では写真撮影禁止です。下の写真はパンフレットからの切り抜きです。すいません。
アメンヘテブ3世。国が最も栄えたころのファラオ。ナイル川の上流ルクソールに大神殿や巨象を建設。(紀元前1380年頃)
こちらはファラオではなく書記の像。パピルスの巻物を膝の上におき目には青いアイラインをしている。4500年前の作品
1日目の観光は以上です。
それでは、ホテルに向かいます。ホテルは、ピラミッド・パーク・リゾートというホテルです。










