「暑さ寒さも彼岸まで」
とは よく言ったもので
急にまた冬に逆戻りです。
週末には暖かくなるかな。
寒い・・・





先週の ことりっぷ当日は
風は強かったものの
午後からはお日様も顔を出して
お散歩日和でした。
余花朗さん でアート鑑賞の後は
周辺散策。
【海門山 満月寺】
恵心僧都が
湖上安全と衆生済度を祈願して
建立されたと言われています。
近江八景 『堅田の落雁』 で
有名な 浮御堂 です。
境内の松が 素晴らしいのです。
松で隠れてしまう浮御堂ーーーー。
アーカイブを残していますので
また 覗いてみて下さい♡
さて。
前回 浮御堂周辺を 巡ったときは
全く気付かなかった伊豆神社。
これ、如何に。
斜めってるわ…
長いけれど 伊豆神社の御由緒です。
↓ ↓ ↓
伊豆神社の創建は寛平4年(892)
比叡山門法性坊尊意僧正が
諸国行脚の際、当地に訪れると
伊豆の風景に似ていた事から
三嶋大社(静岡県三島市)の分霊を
勧請したのが始まりと伝えられています。
その後、加茂御祖社(下鴨神社)の荘園
になった事から天暦3年(947)に
下鴨神社(京都府京都市左京区)の分霊
(玉依姫命)が勧請され
堅田大宮として堅田郷の総鎮守となり
広く信仰されることになりました。
11世紀後半になると加茂御祖社の御厨
(神饌を調進する場所:台所)となり
寛治4年(1090)には堅田御厨網人が
琵琶湖で水揚げされた魚介類を献上しています。
室町時代に入ると堅田は琵琶湖舟運で
飛躍的発展、宮座と呼ばれる自治体が組織され
領内は殿原衆と全人衆の会議制で運営されて
いました。
永禄12年(1569)、兵火により多くの社殿
社宝、記録などが焼失し一時衰退しましたが
天正年間(1573~1593年)に再興され、
その際合祀されたはずの下鴨神社の分霊が
祀られなくなったそうです。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により
仏式が廃され明治9年(1876)に村社に列し、
大正10年(1921)に神饌幣帛料供進社に
指定されています。
境内には伊豆の霊石があり撫でると
幸せになると伝えられています。
祭神は大山祇命(和多志の神)。
<滋賀の観光・見所 伊豆神社より>
ほー。
だから 双葉葵のご神紋。
琵琶湖がすぐそばですし
玉依姫さまを感じられるかと
思ったけれど
なんだか違うんだなぁ。
ここはすぐにはわからなかったので
感覚だけ持ち帰ることにしました。
なんで戦いのイメージがくるのか謎です。。
伊豆神社すぐそばの
琵琶湖がみえるカフェへ
行きました。
わたしは 遅めのランチ。
あつあつのグラタン美味でした♡
琵琶湖を眺めながら
癒しのひと時でした

浮御堂周辺で是非立ち寄って
もらいたいのは
魚富さん
めちゃくちゃ美味しいよ!
ちょうど 滋賀県の水産課の方が
取材?に来られていて
便乗して 店主さんに決めポーズ
いただくの巻。
滋賀県って 歴史があって
素敵なところがいっぱいあるのに
見せ方(広報)が 残念なことが多くてね・・・。
水産課の方に 色々要望を言いましたww
ことりっぷは 滋賀のよいところを
中心にまわっていますが
参加者さん それぞれの
タイミングが合った
エネルギーの循環を楽しみたい
ので、ゲリラ開催率が高いです

公式ラインはことりっぷの
お知らせなどブログよりも早く
告知しますので
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