音月桂、堂々の東京デビューです。文句のつけようがありません。


安定した歌唱で譜面に負けることなく渡りあい、感情が歌を通じて・・・いや、歌でこそ増強される力で放たれ、舞い降りる。

言うのは簡単だけど、これがいかに難しいことか・・・語るように歌う・・・音程は正しくて当然、、いかに歌で語り、共感を高めるか?それは選ばれた者に課せられた難関で、それをらくらくとクリアする舞台を目の当たりにすることこそ、至福ですね。

低くなってもぶれないピッチの正確さと、ファルセットの抜けのよさ。音月さんの輝かしい美質全開です。

若い頃から完成されていた彼女には、誰もが高いハードルを設定してしまうけれど、センターを歩み続けてきた人の最後の強靭さは揺るがないなぁ。素晴らしい。

ちえロミに比べて、どうしても器用さが出てしまうとはいえ、「天使」という形容にはキムちゃんぴったり(ちえちゃんは天使というより大天使ミカエルという感じ・・・イメージですが)

イケコ先生がやらせたかったのはこれなんだなぁ・・・。


それを受けてたつのがまっつ!マーヴェラス!

「どうやって伝えよう」の説得力には涙せずにはいられませんでした。

そのほかの多くの場面でも、彼女の歌がつっかい棒のごとくあちこちを支えまくり!

彼女がいなければこの舞台は成立しませんでした。キムとまっつ、この二人を見ればもう「学芸会」だなんて言われることはありません(よね?)!

キムちゃんの相手役はまっつだったのだ!と見つけたり。


で、その、ホントの相手役(のはず)のみみちゃん。

いやーよかったですよ。あのトルソーの細さではあれ以上の声量は無理かもしれないけど、彼女にとってはアクロバットみたいな高音の連続もきちんととれていて、キムとの声のバランスも悪くない。

何より可愛くて(←大事!生命を捨てるんですから)、若さゆえの疾走の悲劇を際立たせていました。

考えてみりゃ、この音楽劇での大劇場ヒロイン、彼女だって大抜擢だったりするんですよね?ぜーんぜん及第点だと思います。ゴタゴタするより彼女を娘1にするのをおすすめします。劇団さま、ぜひに。


そのほか主要な役どころ。


麗人ちぎちゃん、実に美しい。こけた頬が妖艶。オペラグラスでアップを見ると、まさに絵に描いた宝塚男役の風貌です。


緒月さんは、ごめんなさい、テルと比較してしまう私が悪い。あの気違いじみた超絶・美貌の男の造形は、テルの専売特許だったのよね。歌も健闘はしていたが・・・やはり譜面に振り回されていた・・・。一人きりで観客全てを向こうに回し、長い歌で説得するには、何よりも長い「センター経験」こそがものを言うのかも。頑張れ!応援してるよ!


コマちゃん。低音の歌は「よしっ!いけてる!」と思わされた。だが・・・高音交じりの歌になると、歌い上げの長さが足らず、音が上がれば上がるほど響きが内にこもる。う~残念・・・。男役の鍛錬を長年続けていると、女声の歌はかくも難しくなるのですね・・・。上手い人だけに、本当に残念だった。演技はよかったです!れみちゃんより中年の貫禄がありました。


神父にわにわ。最初の歌は「?」と思ったが徐々によくなり、乳母とのデュエットには拍手喝采!


大公、両家の夫人は・・・うー、、なんとなく、星の初見の衝撃(?)勝ちかなぁ。

特に夫人たち。「憎しみ」を最初に聞いたときの驚きはもはや・・・。

成熟した女役に相応しい、堂々たる歌を用意する見せ場づくりは、宝塚でもぜひ見習って欲しいものです。

あの歌があればこそ、終幕の演出と歌が光る。ロミジュリのテーマのひとつは、「新旧世界の対立と和解」なのですから。


愛せしる。とにかく綺麗。心洗われた。

死さきな。水トート経由のゆりかの印象が強くて損をしているが、私はいいと思いました。手足の長さ、腰の高さはすごい。見栄えする。


星といちいち比べるのは悪趣味だと思うのでこれ以上は控えますが、星は全体にタッパがあったのでダイナミック。雪はバランスのいい印象でした。


なによりも、キムちゃんお披露目の成功を祝いたい。

スタンディングオベーションに応える彼女の笑顔ときたら、こちらまで涙目にならずにいられませんでした。

超路線には、超路線の苦しみがある・・・キムはいつも笑顔なので、伝わりにくいかもしれないけれど。


約束は果たされた。

けれども本番は、これからなのかもしれません。音月桂がどんな主演男役だったと語り継がれるのか・・・私たちはその証人となるべく、見守り続けましょう。

おめでとう、キムちゃん。心から。

これからどんな進化を遂げるのか、私たちに見せてくださいね。





(2010年10月21日)


これが噂に聞く「ファンの哀しみ」か。予想以上に大打撃。


終わりが見えているから美しい、と語られる宝塚。そして、就任のときから退団のことを考える、といわれる主演男役。それはわかっているけれど、「いつかは辞める」のと「ここで辞める」とでは意味が全然違う。

期限が切られるということは、残りステージの回数が確定し、それが1回1回減っていくということ・・・。

それが終わったら、この人の男役は、未来永劫、見られない。


ファンはみな、宝塚の舞台が異様なほどトップスターを輝かせるのを知っている。そこでしかあり得ない、「リアルのかけらもない」空間。その仕掛けのための強烈な様式(身に着けるのに10年という)によって、魔法が成立している場所。

そこを去るスターから魔力は確実に失われると、多くのファンは、これも知っている。魔力の多くは、その「場所」にこそ宿っているのだから。

だからとても悲しい。悲しさを堪えながら、二度と還らない麗人を送り出す。

不謹慎承知で言えば・・・それは美しい葬列。


トップスターになってからのゆうちゃんは、インパクト勝負の主演男役ではなかったし、春野さんという強烈な個性を放つ人の跡目をとる、しかも他組から来て継ぐという困難さ・・・よりによって伝統の組を・・・悩んだだろうなぁ、と思います。

よく「星でトップになればよかったのに」という人がいるけれど、それはもう・・・本人が一番そうしたかったでしょうね・・・。

私は、美しくて、演技も包容力がある彼女がまぶしくて、純白の靄がかかったような声なんかも、本当に大好きだった。

だけど、もう少し「刺激」を求める人たちには、今のゆうちゃんは物足りなかっただろうな、というのも想像できます。主演男役としての彼女は、刺激的な人ではなかった。宝塚には適度な「刺激」が必要なのだと、自明のことに改めて思い至る・・・。


今は、暮れていく秋の陽を見ているように、ただ淋しい・・・ゆうちゃんが行ってしまう。偉大な先輩たちが行ってしまったように、彼女もまた。









東京初日と千秋楽のみ観劇という怠慢な私。


なんか途中から涙ボロボロでした。もうゆうひ&まゆの並びが最後だと思うと…。
2人ともサヨナラというわけじゃなし、心底悲しいというのとは違う。

ただ、二度とない時間、失われていく今という一瞬、過去に取り込まれる時の流れが切なくて…。

これってやはり歳のせいかなぁ。

ゆうひ&まゆは成熟した大人になってから出逢った2人。すでにそれぞれの歴史を持ち責任を負い、思いと葛藤を抱えて向かいあったと思います。両方とも能天気なタイプじゃないから、それはもう絶対に。
今2人は、どんな思いで視線を交わし、演じ、踊っているのだろう…。
かつて自分がそうだったように、落下傘主演で離れていく二番手を送り出す。もう片方は、おそらく葛藤なしでは迎えなかっただろう主演に、今度は送られる。
全く余計なお世話、勝手な思い込みなんだけれども、そんなことを想像してしまうと、もう涙腺がバカになって、ああ、もうダメ。
2人ともカッコよすぎの男前、大人だからなおさらです。
ただでさえ、退団者のご挨拶がある千秋楽には弱いのに、明日は朝早くから仕事だってのに泣かせないでくれ~!


宝塚の魅力は、こういう「関係性の共有」にもあるんだろうと、改めて感じました。出演者の背負う歴史や背景を知っていて(←のつもり)、勝手とはいえ想像し共感したり思いやったりできる…あるいはしてしまう(←これまた、つもり)。演じる人たち同士の関係も、演じる人たちと観客の関係も、深くて濃い。濃すぎるほど。
だからファン以外からは敷居が高い特殊な世界だと思われるし、一旦はまったらさあ大変、ご贔屓の退団で一晩泣き明かす…となる。

本当に、スターさんたちには迷惑な「考えすぎ」だともおもうのですが、これはキャスティングに自由度の高い外部の舞台では作り出せない心理効果。「固定」による閉鎖性のなせる、(狙ったわけではないのかもしれないが)驚異的なシステムだと思います。
批判の多いファンクラブの献身的&犠牲的奉仕にしても、職業マネジャーを置いてしまうとファンとの心理的距離が開いてしまう。劇団がどこまで計算してるんだか知りませんが、今の集客を支えているのは間違いなくこの距離感で、だからきっと変えないのですね、この前時代的な取引を・・・。だって、劇場前、吹きさらしの公道?ですごい金額が行きかっているんですよ~しかもほとんど女ばかりで。まるでそこだけ、世界に冠たる治安のよさだった昔の日本であるかのように。


…なあんてことを考えたのは終わってからで、舞台を見ているときはとにかく涙でした。歌はみなさまかなりお疲れのようで、声がいがらっぽい人もかなり…な気もしましたが、お芝居は物凄くよかった。登場人物の気持ちの変化、場の変化が自然に理解できて、確かな説得力が生まれていました。天晴れ宙組!

星原先輩の、簡潔にして万感の思いのこもったご挨拶にこれまた涙。数年の在団で去っていく人と宝塚人生を全うした人とのコントラストもまた人生を感じさせて、感慨深い千秋楽でした。ああ、泣き疲れ。