母の病気の経過と自身の心境を書き留める為にブログを始めようと思いました。

今回は入院に至るまでの出来事も書いた為、長文になっています。



2月25日
今日母が精神科の閉鎖病棟に緊急入院した。
母は59歳だが、認知症と診断された。

僕と父はあまりのショックに言葉を失って混乱した。




母の様子がおかしくなったのはつい最近の2月22日からだ。
今思うとそれ以前からも母の言動に気になる所はあったが、そこまで重大に考えていなかった事を後悔している。


2月22日
父が仕事から帰ると、母は『近所の本多さんが○○病院で小腸の検査ができると言っていた。明日行こう』と言った。
(ちなみに近所に本多さんは居ない)

父は翌日言われたとおりに車で1時間ほどの○○病院に一緒に行ったが、小腸の検査はやっておらず、そのまま帰った。

その夜、本多さんという人物が家に来ると母が言い、父と母は一緒に玄関で待っためが、もちろん本多さんは来なかった。

2月23日
その話を父から聞き心配になった僕は、仕事終わりに父と母が住む借家に向かった。

借家に着くと父が焦った様子で外に出ていた。
なんと母がコンビニにガムを買いに行くと出て行き、戻って来ないという。

僕は焦り、すぐ近所のコンビニに向かって母を探したが見つからず、母の携帯に電話した。

僕『もしもし?お母さん?今どこに居るの?お父さんが心配して自転車で探してるよ。戻ってきて』

母『え…自転車で…うそ………じゃ。』

僕は自分の血の気が引くのが分かった。

疲れ切った声で一方的に電話を切った母。僕がうすうす予想していた事が起こっているのだと感じ、その場に立ち尽くした。

その後すぐ、父から、近所に母を見つけたので戻ると連絡があり、僕は借家に入り母を待った。

戻ってきた母は疲れきった表情で、僕と目を合わせる事なく、居間のコタツにちょこんと座った。
僕はコタツの電源を入れて、母に『外寒かったやろ?ガム買えた?』と聞いた。
母は『買い忘れた』とつぶやいた。

僕『お父さんが最近のお母さんの事心配して俺に連絡くれたんさ、お母さんだいぶ疲れとるやんか。大丈夫?』

母『うん…ちょっとな…お腹もはっとるしな…』

父『息子には全部言ったよ。明日は一緒に病院行こな?何があってもお前を守るからね』
父は少し涙ぐんでいた。

母はうんうんと頷いていた。

そんな話をしばらくして、明日朝一で病院に行くと約束してくれた為、僕は自分の住むアパートに帰った。

そしてインターネットで脳の病気について調べながら、今日の母を見た時の不安な気持ちを拭えずに何とか少しだけ眠った。


そして翌朝…

2月25日
僕は父からの着信で目を覚ました。

父『お母さんがおらん!俺が少しうたた寝して目を離した隙に出て行った!今から探しに行く!お前もこれるか??』

僕は少し混乱したが、母の症状の重さを認識していなかった事を後悔した。

父に『すぐ行く』と行って電話を切ったが、正直に言うとこの時、母の事を考えるのが少し怖かった。

もしかしたら死んでいるのではないか、そんな考えさえよぎった。

僕が駆けつけた時、借家の前にはパトカーが停まっていた。

不安な気持ちが高まるなか中にはいると、父と警官2名、そして母がいた。
本当に安心した。

僕『お母さん……寒かったやろ?…お父さんも僕も心配やったんやで』

母は下を向きながら、電気ストーブで足の裏を暖めていた。
足を見ると靴下はかなり汚れていた。母は靴も履かずに出て行ったようだ。

父が警官を見送っている間、僕は母のそばにいた。
母は時折、ハッと僕の顔を見て何か言いたそうだったが、言葉が出ないのかスッと下を向いて座っていた。

僕はこの時、母が何を言いたいか分かった気がした。
母は会うたびいつも僕の健康や仕事の事を気遣ってくれた。
おそらくこの時、仕事を休んできた僕を気遣って何か言ってくれようとしたんだと思う。なぜか分からないがそう思った。

ちなみに母は出かけた理由を散歩だと言っていた。

その後、僕の車に父と母を乗せて精神科の病院に行った。
車中で父は母に『あと20年頑張って一緒に生きような』と言った。
母は『あんたもな、身体悪いで、頑張らなあかんでな』と言っていた。

僕は少し泣きそうになり、コンビニで暖かいほうじ茶を二本買って渡した。


精神科の先生との問診で、母は沢山自分の事を喋った。
僕と父はそれを聞きながらお互いの顔を見合わせてうなだれた。

母『天井の上から5.6人から悪口を言われてとるんです。ハゲとか死ねとか、汚い言葉で罵ってくるんです。』

このような内容の話から、次は母の出身高校や僕の年齢など、様々な質問が医師からされたが、そのほとんどに答える事が出来なかった。

医師は母を統合失調症か認知症だと言った。
『どちらにせよ投薬が必要ですが、毎日薬は飲めますか?』と聞くと

母は『薬はちょっと…』と言った。

僕も抗精神病薬の副作用などについて調べていたので、複雑な心境だった。

医師『では入院になりますが、よろしいですか?』

母『はい。』

あまりにもアッサリ承諾した為、僕は、母は入院について理解していないのではないかと医師に言ったが、医師は、今の状態は危険で、徘徊中に凍死や事故の可能性もあると言っていた。

父もいきなりの事に言葉を失っていたが、僕と父はその方法しかないのだとお互いを納得させた。

その後脳のMRIを取り、脳の萎縮の様子から、認知症だろうと言われた。

覚悟はしていたが、はっきりそう言われるとやはりショックで、横になって休みたい気持ちだったが、母の入院の準備を急いでしなければいけなかった為、休む間も無く僕と父は借家に戻った。

借家で父は入院書類を書きながら、僕に

『ごめん、少しだけ泣いていい?』

と震えた声で言った。

僕が『いいよ』と言うと父は声を出して泣いた。父の気持ちも想うと辛かった。


母の持ち物を袋に入れた後、僕は母が好きな韓流スターのCDを持ち込んでいいかと病院に電話した。ウォークマンのような物なら大丈夫との事だったので
ちょうど何年か前に母が好きな音楽を聴くために僕が渡したウォークマンを探した。

母はよく使ってくれていたようだが、バッテリーは切れていた。父に聞くと最近はあまり韓流スターに興味を示さなかったようだ。
施錠された部屋に入院する母には何か気晴らしが必要だと思った僕は、ウォークマンを充電して持っていく事にした。

足りないパジャマや生活用日、母が好きそうなお菓子などを買い揃え、病院に向かった。

病院で母に会ったが、少し混乱した様子で

『薬を飲まされた!入院するのはお父さんの方やったはずや!あんた、役場に電話したら分かる。それかおばあちゃんに聞いたら分かる。今電話してくれるか?』

僕もそんな母を見て少し混乱し、おばあちゃんに電話して話させていいのか看護師に確認したが、ダメとの事だった。

落ち着く事なく、看護師に連れられて個室に戻って行く母を見て、僕は呆然としていた。

時間は午後4時頃で、父は
『今から実家に行くからお前は仕事に行ってもいいよ』
と言ってくれたが、とてもじゃないがそんな気にならなかった僕は、1人でアパートに戻り、夜中までうなだれいた。

その時なぜかよく思い出したのは、僕が小学生だった時、実家のある田舎から母とバスに乗って町の耳鼻科に行き、僕の鼻の粘膜の治療をした時の事だった。

母は泣かなかった僕を褒めて、町の百貨店にあるオモチャ売り場でミニ四駆を買ってくれた。とれも嬉しかった。


今、僕は涙が止まりません。


孫が欲しいと言っていた母。
結婚もせず自分勝手に生きてごめんなさい。

これから僕は母に何が出来るのか
時折ブログを更新していきます。