アメリカンハードコアレジェンド
MDC広島公演最高でした!
十代の頃に初めて出会ったMDC!
それはUKハードコア全盛時のこと
愚鈍の自虐から「これからはアメハーくるで」
と教えられレコメンされたのがMDCのファースト!
そして彼らのレーベルRラディカルからリリースされたワールドハードコアコンピ
PEACE!!
そこにはまだ出会ったことのない国、地域のハードコアユースたちの音塊がありました。
その主催である
MDCの放つポップでシニカルな変則ハードコアはUKに慣れた耳にはとても新鮮でした。
八十年代中期まで日本人は
音楽とファッションはUKを含むヨーロッパから、それ以外のカルチャーはアメリカから
なイメージがありました。
パンクももちろん
ピストルズ!
ラモーンズを知ってるひとはほとんどいませんでした。ワシも、ピストルズがラモーンズに影響されてパンクバンドを組んだことを知ったのはだいぶあとです。
ハードコアでいえば、ディスチャージが神様でもバッドブレインズやジャームスを知ってるひとはレアでした。
そのバッドブレインズらと同期の79年にMDCの前身バンドSTAINSは結成されます。
そのボーカルはもちろんデイブデクター!
テキサスでビッグボーイズやDicksと共にシーンを形成していった第1世代です!
アメリカンハードコアはアメリカが持つその広大な国土がゆえに地域ごとに独自の進化を遂げます。また同時多発的に起こったハードコアムーブメントは地域を越えリンクしていくのです。そのことが異種配合を呼び、また地域を越えたハードコアスタイルを作り出し、それらの後輩が受け継ぐといった連鎖を繰り返して、ハードコアは数年間で多様な進化を生み出します。DCで生まれたバッドブレインズサウンドをマイナースレットやビースティボーイズが受け継ぎ、ブレインズかNYに渡り、その因子はクロマグス以降のNYHCに受け継がれ、DCのマイナースレットから産まれたSxEムーブメントはボストンを経由しNYへ
といった具合にです。
MDCも同じく後輩たちにそのサウンドと精神を受け渡します。
テキサスからサンフランシスコへ移住した
MDCはカナダのDOAと一緒にサンフランシスコで演奏したことがあります。それを観に行ったのがNofxのボーカルベース、ファットマイクでした。その時のことを、彼らの歌詞で見ることができます。(13 stitches)
そのころ同じくMDCを観に行っていたであろう
グリーンディのビリージョーはトランプ批判のMDCのカバーBorn to dieを自らのコンサートで披露します。
ランシッドのオリジナルベースであり、オペレーションIvyのベーシスト、マットフリーマンはランシッドデビューの一年前にMDCに加入していました。
多くのパンクアーティストからリスペクトされる偉大なるアメリカンハードコアバンドなのです。
その、MDCを見送ったあと、ドキュメンタリー
アメリカンハードコアDVDを見直しました。
MDCが泊まった翌朝、デイブとも一緒に見ました。彼はそこに出てくるアーティストや関係者を全て知っているようでした。
そりゃそうです。なんせ彼も出演してますから(笑)
まだ出会ったことのない画面のレジェンドについて、とうとう出会うことの出来たレジェンドが自宅で語ってくれます。
英語がわからないので詳しくは分かんなかったですが、こいつは重要人物だとかこいつはいい奴だ!ぐらいはわかりました(笑)
もし自分が英語ができていたらちょっとした本が出来てたでしょう^ - ^

ライブももちろん凄まじかったです!
往年の名曲も新曲も同じく格好いい!!
クアトロの音響の元で観れたMDCはサウンドクオリティーも含め最高でした!!

レジェンドなのにカッコつけてない人柄も最高です!
ホテルより知り合ったやつの家がいいという彼らの気持ちもありがたい!
おかげでたくさん喋れましたから!

また必ず会いたいパンクスが増えました!

三十数年前の自分に言ってやりたいです!
MDCと一緒にやれて
おまけに自宅に泊まるってね

{9E18035F-B6BD-46FC-A67D-BBFB229632AC}

{CCDE7F31-5419-453A-B51A-0F0F3076BF19}

{72707B1A-EDE2-4101-941D-B973B29682BF}

{4BEC994B-FD75-4482-AAB3-B30947170762}

{A0359C9E-5DA8-40A5-B35D-5EF3CFCD93F1}

{C9A632DA-0DF0-46F1-9667-A374042AD5F4}

{95584D47-7D58-48BE-A23D-A7D56DE6B801}