昨日は芋煮会で食べ過ぎ&飲み過ぎの、高貝です。

でも、昨日の山形風芋煮は本当に美味しかった...野外で頂くのがまた、オツですね。

さて、親から見捨てられないように、ある意味無事に生き続ける為に、姉や兄と張り合うことを覚えた幼少期の私ですが...

姉や兄はそれが面白くないから、幼少期の私をイジメたのでしょう。

そんな状況が、私の
人間関係問題のマスターコピーであり、原型となりました。

イメージしてみて下さい...大した実力も無いのに、エバったり自分をアピールしている人って、ムカつきませんか?

「大したことないクセに、何を威張ってやがるんだ?」と思いませんか?

あるいはアピールしなかったとしても、自信ありげにクールにたたずんでいたとしても、どうですか?

「お高くとまりやがって」とか、「カッコつけやがって」とか、思いませんか?

自分は、いずれのケースも上記の通り、ムカついたり、ネガティブな印象を感じますねー、そんな人には。

ところが、自分がまさにその、「そんな人」だったようです。

だから、小学校や中学校でいじめられた時も、高校で攻撃された時も、大学でからかわれた時も、社会人で叱られたり怒られた時も、誰かと衝突した時も、自分は「そんな人」だった事が影響しています。

ところが自分は、「実力が無くともアピールする」「実力が無くとも有るフリしてクールに振るまう」ことが、子どもの頃から、生き抜くための行動パターンだったんですね。

簡単に言えば虚勢を張るパターンをクセにしていた...。

小さいころ、無意識の内に選んだパターンなんですが、それはある意味、生き抜く為に必要だったからなんです。

だって、そうしなかったら親から見捨てられる。「そのままのオマエじゃダメなんだよ」と言われる。
→ ここで、劣等感を親から受け取っています。

逆に、そのパターンを取り続ければ、そのままの自分じゃないけど、親から認められる。(劣等感は深まるけど...)

それで兄や姉からいじめられたって、親から認められさえすれば、ガマン出来る。(兄や姉のせいに出来るし、そうすれば劣等感も隠せる...)

こうして、私の人間関係問題の原型パターンが作られ、
ずっと繰り返していったことにより、その刻印はたいそう深いものになったのでしょう。

そして劣等感の存在は見ない事にして、気づかないフリをして、ゴマカシ続けた。攻撃してくる人のせいにして。

劣等感は見えなくなる上に、なおさら根深いものになっていくわけですね、そうなると。

さてそんな状態は、いったいいつまで続くのでしょうね?

次回はその辺りまで書いてみようかと思います。

今回もここまでお読み頂き、有り難うございました<m(__)m>。