
Crucifixion
今、フィリピンはHoly Week―聖週間。ローマ・カトリックが83%を、プロテスタントが9%を占めるこの国ではこの一週間にさまざまな催しがなされています。
先日6日のGood Fridayに、Pampanga州のSan Fernandoというところへ友人と行って来ました。地球の歩き方を見てもすこし記載があるのですが、San Fernandoと書いてあるだけでそこからどうやって行けばいいのか全くわからない状態。土地の人に聞けばどうにかなるか、という感じでとにかくSan Fernandoへ。
このSan Fernando、何があるかというと…このGood Fridayにキリストの受難を追体験しようとするCrucifixionという催しがあるんです。人々は刃物で傷をつけた背中を縄と竹でできた鞭でたたきながら歩きまわり、毎年3名は本当に十字架に磔になる…人間がほんとうに杭で手足を打ちつけられるんです。
このCrucifixionは、ここSan FernandoのほかにもCebuの方でも見られるとか。Pampangaならマニラから1時間足らず、バス料金にして70ペソばかりのところなので日帰りで行けました。聖週間中というのは祝日とされており、仕事も休みになることがほとんど。Good Fridayには特に交通機関も少なくなりあのSMですら閉まってしまいます。バスなんてないよ、と言われたものの調べて朝方のバスで行き当日の夕方に帰ってこれました。全て閉まる!といわれていましたが、マーキュリードラッグや有名チェーン店などの半分は営業していたように思います。特に不便ではありませんでした。
San Fernandoについて、早速トライシクルの運ちゃんや住民に聞き込みを開始。観光客が多くわりと有名なのですぐにわかりました。中心地からトライシクルで10~15分くらい行ったところにある、San Pedro Cutudという町(バランガイかな?)でした。
まずはSan Pedro Cutud内の小さな教会へ。簡素な教会の中から、不思議な声が聞こえる…それが町中に響き渡り、かなり奇妙…。何だなんだと思って中を見てみると、子どもがマイクで休むことなくPassion―受難詩を読んでいました。あとでよく見ていたら、数名の子どもが交代しながらずっと読み続けていたようす。前にあったPassionをみたのですが、全く理解できません…地元の人にきいてみると、もともとの土地の言葉(でもいつもはもうタガログを使っている)であるKapampangan語のPassionだったようです。
その後歩いてCrucifixionが催される会場へ。警備はかなり厳重、ミリタリーや警察、それからレスキューまでそろっていました。入場料はとられません。中には屋台があったり飲み物を売ったり帽子を売ったりなど、お祭りみたいでした。
12時からという磔を待っていると、だんだんとマスクを被った男たちが道を練り歩きだす…背中には刃物で傷をつけ、それを縄と竹でできた鞭でたたきながら歩くもの。それだけ?と思いがちですが血がかなり出ます…背中は血だらけで腫れ上がり、ズボンも腰まで血に染まっている状態で炎天下の中を裸足で歩きまわっていました。かなり返り血を受けるので、血に弱い人は行かない方が…。
待ち時間に、San FernandoのTourism officeの方やレスキューの方々にインタビュー。この行事は1955年から毎年ここで催されており、未だにひとりの死者もなし。キリストの受難を追体験する目的で行われているが、カトリックの教えで自分の身体を傷つけてはいけないというものがあり、それに反しているために批難も耐えないとか…。知り合いから聞いたのですが、この行事はもう観光化しており(メディアや外国人観光客の数もすごかった)、政府から補助金が出ているらしい…ちなみに噂では、磔にされる人たちに渡される金額、P3,000ほどだとか。
12時も半をまわってから、ようやくキリストやマリア、ローマ兵に扮した人々が会場にやってきた。会場は、もちろん屋根なんてない炎天下…人々の数もものすごい。傘をさし、行方を見守る。各メディアも見守る中、静かに3名が十字架に磔になりました。特に叫び声などは聞こえませんでした。20分くらいそのままだったようす…降ろされたあとは担架で運ばれていました。
伝統と観光化、さまざまなconflictがあるかと思います。しかし日本では見ることのできないショッキングな光景…日帰りでしたがかなり貴重な体験でした。
[ Chrys ]
企業経営陣への女性の進出度-フィリピンが最高
経営陣に女性が1人も居ない会社は世界全体で38%と、2004年の調査から横ばいとなっている。
同社のディレクター、エイプリル・マッケンジー氏は「過去3年間で女性の経営参画が思った以上に大きく伸びていないことは残念」とした上で「ただ一部アジア地域の企業が(女性のトップ起用を)先導していることは喜ばしい」と述べた。
アジアでは企業の約70%に女性を経営幹部として参画。欧州の50%強に比べ高い数字となっている。
一方、日本は25%と、調査対象国の中で最低。
そして、最高はフィリピンの97%だった。
調査は世界の国内総生産(GDP)全体の81%に相当する32カ国で、民間企業7200社を対象に実施された。
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企業経営だけでなくて、政治社会でも女性の台頭が目立つようです。
こうした男女のバランスこそが、よりよい社会的形成につながっていくことを期待したいものです。
[ ビトゥイン ]
興行ビザ厳格化を受けて?
ちょっと前の記事になりますが、昨日のJFC国籍問題についてのロジックに関連する記事を見つけたのでご紹介しておきます。
2006年11月10日掲載
日比カップル、05年統計で22%急増 厚労省の結婚統計、芸能人入国制限反映か
【マニラ新聞特約10日】日本の厚生労働省がこのほど公表した人口動態統計によると、2005年のフィリピン人と日本人の結婚件数は前年比22・4%増の1万429件で、国籍別調査の始まった1992年以降、初めて年間1万件を突破した。対前年比の増加率も、比芸能人資格制度の厳格化を受けて比日結婚が急増した95年の19・8%を上回り、過去最高となった。
興行ビザ厳格化をうけて、日比カップルの結婚が増加したという。そのこころは…?
『日本に行きにくくなる』
『結婚しなきゃ』
…?
『そうしなきゃ、日本に行けない(いれない)』
と、いうことですよね。
JFC問題についても、同じことです。母親のストラテジー、『日本に行きたい(もしくはいたい)』…そのために子どもが利用されることも憂慮しているのです。JFCの権利をめぐる今回の訴訟ですが、この訴えが通ることによって、その後、逆にそのJFCが利用されることになるかもしれないというパラドキシカルな懸念です。『子どもができれば国籍がもらえるのなら』と、子どもを作ろうとする行動も出てくるかもしれません。
そうなってくれば、これはもはや解決ではないような気がするのはわたしだけなのでしょうか?
[ さなぎ ]
JFC国籍問題について―追記
一日のJFCと国籍問題について、追記です。
わたしもこの問題については関心があり、当初原告サイドに立っていました。…それも最近まで。個人的には、色々なケースも知っているし直接の知り合いもいるので、ぜひ控訴も通れば、と思っていました。しかし、今フィリピンにいて色々と感じ、考えた結果…。今のままの訴訟内容では、控訴の結果同様、個人的に反対の立場をとることに。
…なぜか?
この訴訟、ネックとなるのは『認知時期で国籍が左右されるのはおかしい』というところ。確かに、胎児認知と出生後認知で国籍というアイデンティティの重要な部分が左右されるということはとても不条理なことだ。さらには、それが生まれてくる『本人』の意思が全く汲み取られていないわけですから。自分は日本人と一緒だと思っていても、パスポートを見ると自分はフィリピン人…。我々が想像できないほど、苦悩するかもしれない。
しかし、もしこの要求が通れば?つまり、彼らに『日本国籍取得については認知時期によって左右されない』という判断が下されたとして。さて、次に何がおこるでしょう。
日本でのJFC実数は不明だといわれているが、日本人男性とフィリピン人女性の法律婚は95年で日比両国とも5000組を超えている。事実婚や内縁その他のケースも含めると、その数はなんとすでに10万組を超えているという。しかし日本でもフィリピンでもそうだが、パートナーのいるフィリピン人女性に子どもがいないということは極めてめずらしく、どのカップルも一人は子どもがいるとみてまず間違いないと思う。更に、フィリピンでのJFCの数はというと、マニラ周辺だけで1万人、フィリピン全土に数万人いると言われている。
もし今回のこの訴訟、要求が通れば。
この中でフィリピン国籍を持っていない子どもと、その母親が日本国籍を我も我もととろうとすることは用意に想像できよう。フィリピン国内にいる母子も、なんとかして日本に行って国籍を認めてもらおうと、たくさんの母子が日本を訪れるはずだ。
フィリピン人は、地方出身の人であれば職を求めてマニラへやってくる。そして、海外に行くくらいのお金がある人は海外へ出稼ぎにいく。そしてそのOFWの持ち帰る外貨がこの国を支えている。日本への出稼ぎもまた然り、日本で働き家族を幸せにしようとフィリピン人はやってくるわけである。そして一度日本で働いた人は、ほとんどの場合リピーターを希望する。日本へ働きに行きたいというフィリピン人の数は減らないのである。
国籍を取得するのは悪いことではない。しかしながら、結果的に現在の日本におけるフィリピン人のイメージは何も変わらないのである。むしろ、父親のいないJFCとその母親が大量に日本へ移住することによって、絶対数は確実に増加、むしろその『ステレオティピック』なイメージが否応なしに助長されることになる。
そして、もうひとつ恐れていることは、JFCが親のストラテジーに使われることだ。何とひどいことを言うひとだ、そんなことない、と思う人も大勢いよう。しかし、フィリピンとフィリピン人についてよく知っている人ならば…残念ながら、それは十二分にありえることだと思う。
もし国籍を認めるのであれば、条件を厳しく規定することはマストだ。例えば、出生後認知であっても認めるという例外的なケースとして、その子どもが何年以上日本に住んでいる、だとか、DNA鑑定の義務付けなどはしたほうが絶対にいいと思う。胎児認知と出生後認知の扱いを同じにするのは、既存のケースには適応しないほうがいいと思う。…これはわたしの勝手な意見だけど、未知数ですから…。
最後に、男性は女性が嫌がったとしても、子どもができて困るのならばきちんと避妊すること。色々なケースがあると思いますが、外国人女性(相手が若い場合もあるでしょう)との新鮮なセックスに冷静さを失ってしまったり、遊びの場合だってあるでしょう。それならなおさらです。避妊を嫌がる、しなくていいと言う女性は、子どもができたら生むと考えてください。それから、文字通り自分の蒔いた種の始末は自分できちんとすること。男と女のことだから、それしかいえないけれど…こんな数に膨れ上がってしまうともうすでに国レベルの問題ですよ。
[ さなぎ ]
JFCと国籍問題
日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれた子ども 9 人が、両親が結婚していないことを理由に日本国籍の取得を拒まれたのは違憲だとして、国に日本国籍の確認を求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。
宗宮英俊裁判長は、
「国籍法上、原告らが日本国籍を取得できるとする規定は存在しない」
―と述べ、国籍法の規定を拡大解釈してはならないとしながら、これを違憲として、フィリピン国籍の 9 人全員に日本国籍を認めた1審・東京地裁判決を取り消し、原告側の請求を棄却した。
訴訟では、未婚の日本人の父親と外国人の母親との間に生まれ、その後、父親に認知された非嫡出子が日本国籍を取得する場合、両親の婚姻が必要とした同法 3 条の規定が問題となった。
一審の判決に、社会的にも大きな変化、前進と希望を抱いていたのだが、やはりここでダメになてしまったか。甚だ残念な結果だ。
日本人か、フィリピン人か―現実的に、そこには大きな違いが生まれている。
国籍というアイデンティティのほか、日本で生活する上でも、社会的な受け入れ、日本人として通用するかしないかでは、教育や就業の面でも大きく変化する。日本人の父親がいるというのに、その「認知」時期において、出生の前後において、その同質の二者が国籍的な扱いが一転してしまうということが不条理であると思う。
[ Chrys ]
バギオ訪問レポート
23日にバギオのフラワーフェスティバルへ行ってきました!先週も行ったのですが、先週だったはずのハイライトが次の週に移動したとのことで…せっかくマニラからバスで6時間もかけて行ったのにと思うと悔しくて、今週も行ってきました笑。
まずはバギオというとどんな場所か。バギオは先ほども言ったように、マニラから北へ6時間のところにある都市です。コルディリェーラ(もとは西語でしょうか、山脈という意味です)行政区に属し、高いところにあるためフィリピンでは避暑地として有名な場所です。夏の間には一時的に政府がこちらに移動したり、大統領が避暑に訪れたりします。そのためバギオはサマーキャピタルと呼ばれています。有名な世界遺産であるライステラス(棚田)もこの行政区にあります。ライステラスは紀元前1000~100年に作られたといわれており、1995年にユネスコにより世界遺産に登録、2001年にはユネスコ危機遺産としても登録されています。ちなみに山下財宝で有名な山下大将率いる日本軍が、最終的に追い詰められ降伏したのもここですね。
初めて行った印象はというと、とにかく寒い。もうマニラでは夏が始まるかというこの時期、バギオでは陽が落ちると息が白いです。わたしは長袖に厚手のパーカーを着込んでいましたが、それでも少し寒かったです。それから標高が高いだけあり、星がとてもきれいでした。友人の家がわりと高いところにあったので外を見ると、下に見える山間の民家の灯かりと星とが同じくらいの数に見え、どこが空と山の境かわからなくなるほどでした。街並もなんだか雰囲気が違う。道も起伏が激しく、マニラで生活しているわたしにとってはなんだか違う国に来たかのようでした。
先週は、山岳民族の住居やアート作品の展示してあるTAM-AWAN VILLAGEと、大統領邸The Mansion、それからPMA(Philippine Military Academy)を訪問しました。
TAM-AWANは入場料がP20と安め。山岳民族の伝統舞踊のショーなどもやっているそうです。住居の展示は、ライステラスを作った民族だと言われるイフガオ族とカリンガ族のものがメインでした。シャーマンの家だとか、新婚さん用の家だとか、色々な種類の住居が展示してありました。この2民族で住居の比較をしてもおもしろいかと思います。
大統領邸The Mansionは、大統領がいないときであれば門の中に入ることができます。建物の中まではもちろん入れません。そうそう、門の前にタホ売りのおじさんが。マニラと同じ値段P10で買うと、いつもの黒蜜がストロベリーバージョンになっていました。なんともかわいい。でもバギオならどこでもストロベリーバージョンが売っているわけではなかったです。悪しからず。運がよければ会えるかも?
PMAは言わずもがな、ミリタリーの訓練施設です。ミリタリーということで、街からは少し離れたところにわざと作られています。PMAにはミュージアムもあり(P10くらいだったかと)、フィリピン植民地時代に宗主国と戦った際の資料や、実際に使われた戦車などたくさんの展示物がありました。
そして今回はというと…、朝バスがバギオに着くか着かないか、目覚めるとものすごい渋滞。日本のように有料駐車場があるわけでもないので、フェスティバルを見にきた観光客はみんな山道に路上駐車です。人ごみも手伝い、ものすごい渋滞に…。ターミナルに着くまで待てず、途中でバスを降りみんなでパレードのあるとおりまで歩きました。それでも人が多くて進めず、メインストリートにたどり着くまでにパレードはもう終わりかけていました笑。色とりどりの衣装を着て踊ったり、民族衣装を着た人たちが楽器を鳴らしながら練り歩いていたのがとても印象的でした。夜はSM Bagioから花火が見れました。実は知らず、偶然見てびっくりしたのですが…。フィリピン人たちもとても嬉しそうにはしゃいでいましたよ。
それからバギオはUkay-ukay(古着)マーケットの中心地です。先述のとおりバギオは標高が高く寒いので、ジャケット類もたくさん。知り合いは、日本に帰る前にここで冬服を数枚購入して帰りました笑。バギオにお立ち寄りの際は、ごちゃごちゃしたUkay-ukayマーケットへ。意外な掘り出し物が見つかるかも?
[ Junko ]
イリーガル・ステイとの反目
法務省は27日、今年1月1日時点の不法残留者数が17万839人で、前年比 11.8 %減になったと発表。
国籍別では、
最も多いのが韓国で 3万6321人。
次いでフィリピン 2万8491人。
さらに、中国 2万7698人、タイ 8460人・・・の順だった。
不法残留者は、統計を取り始めた翌年の1993年(約 29万8600人)をピークに減り続け、今年の減少幅は過去最高だった。その背景について法務省入国管理局は、(1) 2004年春から主要空港での入国審査体制を強化した(2)不法残留者が入国する可能性の大きい航空便の利用者を重点的に審査した-ことなどを挙げている。
一方、同省が06年に入管難民法違反で退去強制処分(強制送還)とした外国人は前年比 1.3%減の 5万6410人だった。
国籍別では、中国が最も多く、1万6269人。また、全体の 81.4%を不法就労者が占めた。
不法就労の種類別では、男性の場合、工場労働者が最も多く 35.9%で、次いで建設作業員の21.7%。女性では接客業の34.7%をトップに、工場労働者 19.3%、給仕 12.6%の順となった。
これまでも多くの問題が取り糺されてきた。
“接客業”の大部分であるエンターテイナー、こうしてみても不法滞在に加え不法就労と、大きな割合でそうした事例が表からも見える。その裏側には、個々の事情をみれば、“仕事”をしなければいけない状況だったり、不法でありながらも、正規に帰国しても「何もない」と考えながら日本にい続けるケースが非常に多い。いくら将来のため、家族のためとは言えども、海を、国境(ボーダー)を越えるるのはまだしも、その後、“法”というまたひとつの大きな一線(ボーダー)を超えてしまうことまでは許されない。
またひとつの事実に、フィリピン人の出稼ぎ労働者、その人口の多さと、そうした彼らからのフィリピンへの送金金額は巨額膨大だという。海外で仕事をするとういことは、家族のためであり、それには誇りをもって努めている―。だからこそ、それだけ多くの海外就労がおこなわれているのであれば、それぞれが適切な形で就労なり生活なりを営まなければならない。
もしそのモラルや社会的規律を侵すことが大きくなっていてしまえば、外国人に対する懸念要素がいっそう強まり社会的立場も危うくなっていってしまうだろう。 アジア地域としても、日本国内においても、共存共栄を図ることが大事とされる今、ただゲートを狭めてしまい“不法”と排除してしまうだけではなくて、よりよい受け入れ体制を築くことなども求められるのではないだろうか。
今年からは、フィリピン人介護士がより多く入ってくるだろう。
いろいろな角度から、日本とフィリピンのつながりをより強く、貴重なものへと導いていけるような取り組みを民間レベルでも行っていけたらいいと考えている―。
[ 小机 ]
60年を経て―戦争の追憶
BRIDGE FOR PEACEを主宰する神直子さんとお会いしてきました。
彼女が中心となって動いている、「フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージ・プロジェクト」の活動記録の上映会が開催されました。
10名程度と、あえて、ごく少人数での催しとなりました。
フィリピンに長く住んでいたことのある方、映像制作のお仕事をされている方、会社員の方、NPOスタッフの方、起業家の方、など年代も職業も多様な方々がいらっしゃっていました。
[ Chun Croci ]
■企画実行
BRIDGE FOR PEACE
フィリピンと日本を結ぶビデオメッセージ・プロジェクト
神 直子
http://bridgeforpeace.jp/
Mail :info@bridgeforpeace.jp
Essay:若い世代の戦後60年
http://www.us-japandialogueonpows.org/Jin-J.htm
■ご協力いただいた方
会場
MODeL T (No Smoking CAFE)
http://nosmoking-cafe.net/index.html
地図
http://nosmoking-cafe.net/map.html
76%が失敗
外務省のクルス次官補は22日に催された、フィリピン大学のフォーラムで、海外比人労働者(OFW)が起こした事業の76%が失敗していると報告した。
NGOの「バリカバヤニ」が実施した調査を引用してクルス氏は、失敗率が高いのは技量不足のためで、他に親族などへ金を貸しているためだと指摘した。成功した24%は、訓練を受けて能力を備え、家族が比較的裕福な場合だという。
OFWに財務技術を指導している海外比人経済調査センターや移住者弁護センターもクルス氏の評価に同意、OFWの経験がある弁護センターの関係者は、事業経験がなくても起業に誘惑されているOFWが多いことを指摘、あるOFWが親族に口説かれ3,000ドルで養魚池を購入し、その親族に養魚池を任せて再び海外に働きに行ったが、養魚技術を知らなかったため予想通り事業に失敗した例などを挙げた。
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世界中に点在する数多のフィリピン人海外労働者、そして、彼ら、海外からフィリピンへの送金額は年々増加の一途をたどっている。しかし、こうしてみると、その “76%” が “失敗” に終わっている数字に見える現実を思うと、ぞっとしてしまうと同時に心が痛い気にもなる。
確かに、日本でも多くのフィリピン人が「自分のビジネスをしたい」と言うことを耳にする。
そのほとんどは、日本人男性と結婚したり、そういった “きっかけ” で来日滞在するにいたっている。そういった、というのは 「日本でビジネスをするために着々と準備を行ってきた、ということでは な い 。」ということだ。
フィリピンでの経済・経営のノウハウや実績も不十分にして“海外”に行き、そこで、なにか一旗上げようなんて相当なことである。日本の社会の中で、ビジネスを成功させるというのは、小さい会社・店舗だからこそ困難であるケースも多い。金銭面や環境的に比較的簡単にビジネスを起こチャンスが増えてきていることもあるにはあるようだが、ただ、それにはコストに勝る大きなリスクが伴っているのだ。なにか始めてから、どうする ― 決して「バハラナ(どうにかなるさ)」の精神では、まったくどうにもならない現実がある。
昨年、フィリピン大使館主宰のあるフォーラムがあった。
参加費もそう安くないのに、予想をはるかに超える参加者が集まった。これだけ関心が高いことに、驚きもしたし、感心したのだった。
それは、日本で起業しようとしている、もしくは、すでに事業をしている在日フィリピン人に対する 「ビジネス・フォーラム」だった。私は、大使館側の依頼をちょうだいし通訳として参加させていただいた。聴衆はもちろんフィリピン人なのだが、講演者は 日本人で MIPRO などからの方たちだ。そこで、日本語・英語・タガログ語を駆使しながら、その橋渡しの役目をさせていただいた。
貿易関係、会社法関係、日本での制約やルールをまずしっかり理解することが重要だと、細かに訴えかけた。私たちサイドもこうして日本で働くフィリピン人の支えになればと願っているのだ。
そうした支援活動もこちらの方からも徐々に進めていかなければ、こうして、知識や訓練が不十分なままなにかのビジネスに手をかけようとしても、それは難しい環境にあり続けるだろう。
これからも、来日・滞日するフィリピン人は増えていくだろう。
そうした、フィリピン人らにとっては、日本という社会でビジネスをする、お金を稼ぐということは大きな夢への大きな一歩なのだ。彼ら自身のためだけでなく、フィリピンにいる家族のため、そして、日本で暮らしていく上での “自分” を確立していくためにも魅力あるステップになるだろう。
知人には、多くのフィリピン人成功者がいる。そして、彼らのビジネスについて話を聞くこともあったりする。大きな器と、気力、それがフィリピン人気質としての強みだと思う。ただ、そこに、経営管理や商業的センスが伴わなければ、前へ進むこともできないだろう。当然、必要となる要素だ。
みながみな、ビジネスにとっついて、成功してほしいと願ってもそれはそううまくはいかないだろう。
ただ、日本で生活していく以上、自分のやりたいこと、目指すものを実現に向けて頑張っている姿は、フィリピン人であれ、日本人であれ応援したいものだ。
はたまた、私自身もそういったものに向かってさらにさらに飛躍していきたいと日々努めなければ ・・・ 一歩一歩、着実に。
[ Chun Croci ]
2006年度 最優秀小売企業の表彰
フィリピン小売協会(PRA)は1997年以降、貿易産業省と共に、地場の小売業者を幾つかのカテゴリーに分類し、それぞれの部門で優秀な企業または施設を毎年表彰している。
評価基準は、製品30%、運営20%、販売・マーケティング20%、立地環境20%、評判10%に分かれる。今年の式典は、アロヨ大統領とファビラ貿易産業相も参加して今月19日に開催された。
小売業界が選ぶ昨年の最優秀ショッピングモールに、
マニラ首都圏ケソン市の「ゲートウエー」が決まった。
2004年にオープン。斬新な建物のデザインに加えて、コンサートやスポーツの主要会場であるアラネタ・コロシアムに隣接し、LRT(軽量高架鉄道)2号線とMRT(高架鉄道)3号線の駅とつながる便利さが売りとなっている。過去には、「アヤラ・センター・マカティ」(マカティ市)、「シャングリラ・プラザ」(マンダルヨン市)、「SMシティ・バギオ」(バギオ市)が受賞している。
また中規模食品部門では、
日本食レストラン「テリヤキ・ボーイ」が選ばれ、表彰を受けた。
2001年に1号店を開設、低価格の日本食を提供する。ロレンゾ家率いる外食パンケーキ・ハウスの傘下に入った2005年以降、積極的にフランチャイズ展開し店鋪網の拡大を続けている。
このほかには、
◇地方モール部門で、北部ルソン地域(パンガシナン州ダグパン)の「ネポ・モール」と中部ルソン地域(ブラカン州)の「ウォルターマート・プラリデル」
◇大規模食品部門で「ゴールディロックス」
◇中規模衣料部門で「オキシジェン」
◇小規模衣料部門で「タイラー」
◇中規模ファッション靴・バッグ部門で「セリン」
◇小規模ファッション靴・バッグ部門で「CMG」と「フィノ」
◇大規模専門店部門で化粧品・医薬品の「HBC」
◇中規模専門店部門で旅行かばんの「トラベル・クラブ」
◇カテゴリーキラー・耐久性部門で玩具の「トイ・キングダム」
◇最も成長が見込める小売業部門で子供服の「キッズ・オブ・バヨ」
以上の施設および企業が表彰された。
近年の経済的な成長も伸び続くフィリピン、小売も各企業その展開を活発としているよう。別の業種、サービス業では「コールセンター」の需要と活性が大きくフィリピン経済に映り込んできている様だけど、そうしたことが、結局、フィリピンを持ち上げていく雇用と賃金の社会的環境の向上につながっていくことを期待したい。
[ Emilio ]



