火傷受傷から1ヶ月余り過ぎた
1月末日に、その日を迎えました。




以前からモラハラDVに詳しい仲間に
相談に乗ってもらうようになり、

『……かおりちゃん、それモラハラだし
精神的DVだよ。早く逃げて!。』

と言われていた私は実家の母に連絡して
にごにごがいない間に実家へ帰る計画を
立て始めました。




そしてにごにごが帰ってくるなり
お約束のように寝ている私の布団を
捲り上げながら怒鳴られました。


『オレを大事にできないなら、出て行け!』


呆気にとられた私が
『じゃあ、自分はどうなの?』
と聞き返すと


『オマエみたいな女
なんで大事にしないと
いけないんだ?ニヤリ


もうスーッと気持ちが冷めて
その場で実家の母に『今から帰る』と
連絡して身の回りのものだけ持って
実家に避難しました。




その時決まっていた義父の四十九日忌は
私も母も欠席することに決め、
供物を宅配便で送ることにしました。
後日、姑から母に電話があり


『火傷位で大袈裟な……デレデレ
法事で座ってるくらいできるでしょ』

と言われた母がブチギレ

『はぁ?何言ってるんですか?
歩けなくて仕事3週間休んでますし
そちらの息子さんのお世話どころか
自分のこともできないので、
私が呼び戻したんです。
正座もまだできませんよ!ムキー


と反撃してくれました。
その後取ってつけたように
姑からメールが来ましたが、
私も母とのやり取りを聞いているので
正直何も響きませんでした。









……取ってつけたような【お大事に】
火傷の程度や経過などには興味なく
「動けるようになったら挨拶に来い」
と、言いたいだけのメールです。




そのメールの後に姑から見舞金で
お金が送られてきましたが、
頂く理由もないので返しました。
姑は人からどう見られるかを気にするので
【自分はちゃんとしている】
と言える事実を作りたいだけなので、
返すとあっさり受け取りました。









…………お言葉に甘えてって、
普通こんな場では使わないと思うけど
たぶん姑の中では

・私はやることはやった
⬇️
・いらないと返したのは嫁
⬇️
・私は悪くない


ってことなんだろうと思います。





遠くに見えるのが冠雪した大山





そんなこんなで別居から46日経つけど
にごにごからは連絡ありません。
その間に2回私の実家で母に会っても
私の火傷がどうかとか
いつ帰ってくるかとか、そんな話は
一度も出なかったそうです。




私は挨拶が当たり前の家庭で育ちました。
前の日にケンカをして気まずくても
「起きたらおはようって言いなさい!」
「挨拶されたら(相手に)気に入らなくても
返しなさい!」
と、家族に叱られたりもしました。
その時点で、にごにご家族とは
あまりにも違いすぎていたんです。



物を贈るのに気持ちを添える側と
形式で送れば良いとする側と

大変な時に助け合うのが家族とする側と
自分の駒として動くのが家族とする側と




どちらが良い悪いでもなく
どちらが優劣とかでもなく、
あまりにも世界観が違い過ぎたのだと
今は俯瞰して見れるようになりました。









新しいマンションでの生活も
1日目の朝を迎えました。
サンルームで日向ぼっこするわんわと
陽射しに揺れる洗濯物。
自分の【好きラブ】だけで作られた部屋。
ここは私の生活を立て直す基地です。




新たなフェーズに突入です。
次回は令和八年出雲誓願参拝のことを
少しずつ書いていきます。