今回は阪神・淡路大震災から約2ヶ月後の
春休みのある日の話でやんす
母親が用事で親の実家に行く事になり
オイラもついていったでやんす
当時は
まだ復旧が進んでいないところもあったので
電車と臨時バスを乗り継いで行き
その途中、震災で特に大きな被害を受けた
神戸市長田区を通ったでやんす
震災後、仮駅舎が作られたばかりの新長田駅を発車したでやんすが、
制限速度が厳しかったのか、電車はゆっくり進んでいたでやんす
すると母親が
『あっち見てみ』
と言ってきたでやんす
その方向を見ると、線路沿いの建物がいくつか見えたでやんす
すると妙に建物と建物の間が明るい事に気付いたでやんす
その次の瞬間
建物と建物の間から
目をおおいたくなる光景が見えたでやんす
焼け野原
一面焼け野原でやんした
今でもあの光景は、はっきり思い出されるでやんす
テレビでその光景は見た事あるでやんすが
オイラが、テレビ画面で見ただけでは感じられなかった
喪失感・無力感などに包まれていたように感じたでやんす
思わず、周りの乗客と同じように、手を合わせていたでやんす
そして、やっと親の実家のある駅に到着すると
さっきの光景がウソのような
あまりの普通さに驚きながら、歩いていると
ここにも地震があった事を実感させられたでやんす
親の実家に
父親・母親それぞれの実家はともに
祖父母が親戚の家に住んでたりして
空き家だったのでやんすが
父親の実家は、
倒壊こそしていないものの家全体が道路側に傾き、
今にも倒れそうな状態
母親の実家は
家の一部が崩れていたでやんす
母親の実家の方は何とか家に入れる状態だったので入ると
中はグチャグチャで、靴を履いたままじゃないと
危険な状態
しばらくすると市職員と専門家が訪ねてきて
今回の母親の用事だった
家が半壊か一部損壊か調査に立ち会ったでやんす
その後、倒れたタンスを起こしたり、母親の思い出の品を
探したりをしてると、すっかり暗くなってしまい
両手いっぱいの荷物を持って帰ったでやんす
帰りも電車とバスを乗り継いだでやんすが
電車の窓から見えるのは、窓に写ったオイラの姿ばかりで
復興がまだまだ進んでいない事を改めて実感したでやんす
・・・
この数ヶ月後に両親の家は壊され
オイラの思い出の場所の1つは
記憶の中だけのものになったでやんす。。。
そして今
三ノ宮駅前は震災の面影を見つける方が
大変なぐらいに復興したでやんすが
神戸市長田区は未だに空き地が多く、
震災の傷跡が完全には消えていないでやんす
この傷跡が消えるのがいつなのかわからないでやんすが
早くこの傷跡が消える事を強く願うでやんす
次回は、ちょっとオマケみたいなものでやんすが
地震当時の某局の報道番組の影響で
オイラが1ヶ月ぐらい怯えてた話でやんす
春休みのある日の話でやんす
母親が用事で親の実家に行く事になり
オイラもついていったでやんす
当時は
まだ復旧が進んでいないところもあったので
電車と臨時バスを乗り継いで行き
その途中、震災で特に大きな被害を受けた
神戸市長田区を通ったでやんす
震災後、仮駅舎が作られたばかりの新長田駅を発車したでやんすが、
制限速度が厳しかったのか、電車はゆっくり進んでいたでやんす
すると母親が
『あっち見てみ』
と言ってきたでやんす
その方向を見ると、線路沿いの建物がいくつか見えたでやんす
すると妙に建物と建物の間が明るい事に気付いたでやんす
その次の瞬間
建物と建物の間から
目をおおいたくなる光景が見えたでやんす
焼け野原
一面焼け野原でやんした
今でもあの光景は、はっきり思い出されるでやんす
テレビでその光景は見た事あるでやんすが
オイラが、テレビ画面で見ただけでは感じられなかった
喪失感・無力感などに包まれていたように感じたでやんす
思わず、周りの乗客と同じように、手を合わせていたでやんす
そして、やっと親の実家のある駅に到着すると
さっきの光景がウソのような
あまりの普通さに驚きながら、歩いていると
ここにも地震があった事を実感させられたでやんす
親の実家に
父親・母親それぞれの実家はともに
祖父母が親戚の家に住んでたりして
空き家だったのでやんすが
父親の実家は、
倒壊こそしていないものの家全体が道路側に傾き、
今にも倒れそうな状態
母親の実家は
家の一部が崩れていたでやんす
母親の実家の方は何とか家に入れる状態だったので入ると
中はグチャグチャで、靴を履いたままじゃないと
危険な状態
しばらくすると市職員と専門家が訪ねてきて
今回の母親の用事だった
家が半壊か一部損壊か調査に立ち会ったでやんす
その後、倒れたタンスを起こしたり、母親の思い出の品を
探したりをしてると、すっかり暗くなってしまい
両手いっぱいの荷物を持って帰ったでやんす
帰りも電車とバスを乗り継いだでやんすが
電車の窓から見えるのは、窓に写ったオイラの姿ばかりで
復興がまだまだ進んでいない事を改めて実感したでやんす
・・・
この数ヶ月後に両親の家は壊され
オイラの思い出の場所の1つは
記憶の中だけのものになったでやんす。。。
そして今
三ノ宮駅前は震災の面影を見つける方が
大変なぐらいに復興したでやんすが
神戸市長田区は未だに空き地が多く、
震災の傷跡が完全には消えていないでやんす
この傷跡が消えるのがいつなのかわからないでやんすが
早くこの傷跡が消える事を強く願うでやんす
次回は、ちょっとオマケみたいなものでやんすが
地震当時の某局の報道番組の影響で
オイラが1ヶ月ぐらい怯えてた話でやんす