こんにちは。
介護ランスのシゲさんです。

 

これから二人と1匹の大冒険(介護)の日記を綴っていきます。

読んでいただいた方の勇気になれば幸いです。

 

序章はすでに始まっていた。

 

総合保健医療センターで痴呆症の検査を受け、

両親二人はアルツハイマーという診断が出た。

さらに母親は、体が悲鳴をあげていることを

告げられた。

 

父親が現役を退いて、75歳人生を終えると言って、

事務方の仕事を続けていて、家計の管理も手放した。

 

管理をしたことがないお袋は、それからというもの

家事を手伝ったこともない親父に教えたり、管理を始めて

何度も不平を言い始めた。

 

それから、15年が経過する間に小さく変化をし続け、

本人にも気づかないほどの変容を遂げていた。

 

ゴミを分別して出せなくなっていたり、掃除が出来なく

なっていったり、支払いの滞納が目立ち始めてきたなど。

さらに異変に気づいたのは、数ヶ月前に実家に来た時、

A臭が家の中全体に広がっていて、突然キツく感じたのだ。

 

家のこともできないくらいに体が動かなくなっていった。

 

今年になって足のむくみがひどくなったお袋が、その異常を

しきりに主張してきた。だが、病院には行きたがらない。

 

病院に行く時は当然、私の同行が必要になる。実家に会いにいくと

お袋は私を心配をさせないように常日頃から「頑張るからね」と

口癖のように話していた。

 

(頑張らなくていい)と言っても、私の話を聞かない頑固な

性格は、変わることはない。これまでに何度も伝えてきたが

本人は私のことより、自分の話を聞いてほしい、わかってほしい

という気持ちが強いのだ。

 

今年の7月、足のむくみに違和感をやっと感じ始めたて病院に

行きたいと言ってきた。わがままで強がりな母親が自ら

言ってきたので、病院に行くことにした。

 

3ヶ月ほど通院をしてわかったことは腎不全、心不全、

貧血の症状だ。先生からは、強めの飲み薬を処方

出来ないため、入院して肺に溜まった水を抜いて

検査をしようと2回勧められた。

 

内臓の自覚症状がないお袋は、自ら入院を電話でキャンセルし、

入院することはなかった。本人は、ものすごく

老いること、呆けること、死ぬことを恐れていた。

 

だが、時はやってきた。

両足の膝下から体液貯留が始まった。それに気づいて、

私に3回も電話をかけてきた。また、人の気を引こうとして

いるのかと思い、電話を受けなかった。

 

ただ、症状としては尋常でないことを察知して、実家に行った。

前回実家に行った時に見た足がさらに浮腫んでいて、まるで

真夏に流している汗のように膝下から滴り落ちていた。

 

落ち着いた話し方で「これはもう普通じゃないから、

病院に行く?」と聞くと「うん」と言った。

 

体の異常を認知した、何かが動き出した。

とりあえず、救急で受けてもらえる病院に行った。

 

痴呆症の検査、そして救急外来でも同じ検査をして、

紹介状をもらって帰るしかなかった。

 

翌日、通っていた病院に外来で行くことにした。

 

病院に着くと以前は拒否していたが、車椅子に

座ることを拒むことはなくなった。すでに、

自力で歩くことはできなくなっていたのだ。

 

検査を終えて、先生との問診となった。

先生は初見でありながら、過去のカルテと

今回の検査で空く入院することを勧めてきた。

 

私も入院させる気でいた。それでも、初めは頑として

病気を受け入れず、車椅子に座りながら毎朝6時に起きて

家のことをやっていると豪語した。

 

強情な母親の対応に先生が、これでは本人の同意が

ないので入院させられないと私に言ってきた。

 

私が少し間に入って話した後に、再度先生が

入院の同意を勧めてやっと、「わかりました」と

渋々返事をした。すぐさまその後、入院することと

なった。

 

検査と問診が終わるまでの間に、私が入院手続きを

勧めていた。その後の対応は、ものすごい勢いで

入院の準備に入った。

 

看護師さんのテンポ良い対応に乗せられて、

着替えてしまい、30分も経たずにベッドに

横になり、すでに馴染んでいた。

 

病室の準備が整うまで、準備室で休憩となった。

 

病室は5階、4人部屋に入った。

88歳でも、スマホとお金は手放せない。

全てを手にして、安心したようだ。

 

ゴールの見えない冒険が始まった。

この冒険は、あと一人と1匹が並行して

歩んでいた。