暑い中、皆さんが「元気に過ごされていると良いなぁ」と思いながら書いています。


6/29に地元の総合病院で1個3cmの肝がんの告知を受けました。

7/4 に某大学病院を受診して7/11に造影MRIを受けました。


結果は末期。69ミリと27ミリの2個の肝細胞癌でした。

今年の6/29以降の状況を書くのをやめようかな、と悩み、正直、迷いました。


何を書いて、何を書かないのか、まだ気持ちは決まっていません。


でも、《造影MRI前に書いた日記》だけは残しておこうと思います。


 🍉🍇🍉日記🍇🍉🍇

生きているということ


今、自分が誰か、わかること


自分の病名を知っていること

自分で排泄し、自分で着替えられること

食べたいものがあると言うこと

おいしいと感じること

涙を流せること

痛みがあること

水が飲めること

薬が飲めること


気持ちを「言葉」に、「文字」にして確認できること


家族にカミングアウトして来れなかったこと


検査をしてほしいと、

もっと医師に強く言えなかったこと


紹介状をもらわず、大きな病院に移らなかったこと


全ては自己責任

全ては己の決断


自分の思い、

自分の行動、

自分の強さ。

自分の無知と弱さ、

自分の甘えと逃げ。


でも、振り返るだけの

悔やむだけの

「後悔」をするのは意味がない!


詮無いことを、詮無いと認め、歩むこと


今立っている「ここ」から、より良い処に一歩踏み出す空間がまだ周りにあること


自由に走り出す様な空間は感じ無い。

自由に意のままに歩く様な空間も感じない。


でも!


今、不安や恐怖を抱えたままの私として、甘えも、弱さも、振り払えず、それでも、模索して生きている《私》


人に支えられている私まだ、生きている私


アメブロで3年前位に見つけて、気に入っていた「ニーバー」の言葉を自分に送ろう!


『神よ、願わくばわたくしに変える事のできない物事を受け入れる落ち着きと、

変える事のできる物事を変える勇気と、

その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ』


アメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバーが(1892-1971)マサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教した時の祈りだそうだ。

100%無神論者だけど、私には、この言葉が「どんな時でも道を見つけて歩きなさい」と聞こえる。


「あなたはまだ、生きていますよ」と聞こえる。


「どんな時でも、冷静さを失わずに選択を」と聞こえる。


解釈は全然違うのだろうし、この「ニーバの祈り 」を神を信じない者が口にする愚かしさもあるのだろう。


けれど!。


言葉だけに寄り掛かる事はしたくないが、これから、この言葉を何度も私は想い起こすだろう。


以前アメブロで偶然見つけて、心にひっかかった、この祈りの言葉は、今確かに私を見つめている。

  🍋🍎🍋🍎🍋🍎


今よりは希望があったとき、思ったことを忘れたくない。