グルヒロのすすめ

グルヒロのすすめ

グルヒロのひとりごと

くまのプーさんとインドカレー』

1962年7月12日にロンドンのマーキー・クラブでザ・ローリング・ストーンズは初ステージを踏んだ。その時のメンバーはリーダーのルイス・ブライアン・ホプキン・ジョーンズ(ブライアン・ジョーンズ)にピアノがイアン・スチュアート、幼馴染のミック・ジャガーとキース・リチャーズ(後にマネージメントのオールダムが末尾からSを外してキース・リチャードと名乗らせた)、ベースのディック・テーラー(ギタリストではなくベース担当を不満として辞める)、ドラムはミック・エイヴォリー(本人は当日ギグで参加したといわれるが後にキンクスに加入)で結成されて、後にドラムをチャーリー・ワッツとベースのビル・パークス(後にビル・ワイマンと改名)が加わった。1963年6月にデッカ・レコードからチャック・ベリーのカヴァー「カム・オン」でレコード・デビューを飾った。

ブライアンはこの時期ガールフレンドと住み、ミックとキースは共同生活を始め、絆を強めていくが、それはブライアンの疎外の始まりだった。ブライアンは初期ストーンズのリーダーだったが、マネージメントを手掛けていたアンドリュー・ルーグ・オールダムが中心人物だったイアン・スチュアートをバンドから外し、ミックとキースに自作のオリジナル曲を書くように指示、初期の「テル・ミー」、「ザ・ラスト・タイム」、「サティスファクション」、「ゲット・オフ・オブ・マイ・クラウド」、「ペイント・イット・ブラック」は次々とヒットを記録する。やがて“タイヤみたいな唇”と罵られたミックがブライアンからリーダーに代わり、曲を書けないブライアンはリーダーの座を追われ、バンド内での居場所を失っていった。バンド内の権威失墜による神経衰弱、ストーンズの成功によるプレッシャー、ハードなツァーによる疲幣などにより、彼の精神はひどく壊れていった。逃げ場になる対象は酒とドラッグに自分を崇め奉る女たちであり、我を失ったブライアンは孤独を深めていく。やがて当時のガールフレンドが睡眠薬で自殺未遂、自宅マンションは家宅捜査をされて大麻所持で逮捕、警察とマスコミに監視される生活に疲れきったブライアンは海外に逃避した後にイギリスに帰国後、1968年の秋にロンドンから車で1時間半ほど南に行ったA・Aミルンが住んでいた農場、イースト・サセックス州のハートフィールド村にあるコッチフォード・ファームを購入する。17世紀に建てられた邸宅の改修工事に興味を注いだ彼にミックとキース、チャーリーの三人がコッチフォード・ファームを訪れた。音楽的貢献はなく、ドラッグ前科のためツアー活動はままならず、海外ツアーのビザが下りることも疑問であったブライアンはストーンズにとってお荷物だった。手切れ金として10万ポンド、バンドが存続する限り毎年2万ポンドを受け取る好条件のもとに、合意した。それから1ヶ月も経たない1969年7月3日の午前零時過ぎにブライアンは溺死体となってコッチフォード・ファームのプールの底に沈んでいた。

イギリスの作家、アラン・アレクサンダー・ミルン(1882-1956)の物語『クマのプーさん』は1926年に発表された。息子の持っていたテディ・ベアから着想した。

アーネスト・ハワード・シェパード(1879-1976)はイギリスの挿絵画家、『クマのプーさん』シリーズの挿絵を手掛ける。

その店の評判はwebサイトや情報誌などに何年も前から掲載されていたことで知っていたけれど、だからといって特に強い関心はなかった。掲載された写真を見ても心が動かされることはなかった。これは偶然といえるけれど国分寺に用事ができて、しかも時間が昼時であったため国分寺の次は武蔵小金井ということに気が付いて何となくカレーが食べたくなり、その店のことを思い出し当日はその店が定休日ではなかったのを確認して行くことにした。

好天というよりも真夏日であったため駅からの距離を長く感じた。看板の無い店頭には5人の先客があった。炎天下の中、ここまで来て引き返す気持ちもないので並んで待つことにした。じっと待っていると自転車で乗り付けた客が立ち並ぶ客を無視して店内に入って行った。少し経って両手にビニール袋を持って出て来た。なるほど持ち帰り客だったのだ。と言うことは持ち帰りたいくらい美味いのか、また自分で昼食を作る作業が面倒だと思ったのか・・・何もすることがない無駄のような時間をただ待っているとそうした余計なことを考えてしまう。どちらにしてもわざわざ店まで購入に来るわけだから個人的にはかなり気に入っているのだろう。

15分くらい外で待って店員に呼ばれた。調理場までの細い通路を挟んで両側にテーブル席が配置されている。テーブル前のメニューを見ると店のカレーはインド風カレーであり、辛さを5種類の中より選ぶ。量はレギュラー、少なめ、大盛が選べる。さらに具の種類として野菜、チキン、ポーク、ビーフ、ほたて、あさり、えび、シーフードミックス、シーフードスペシャルがある。

耳を澄まして他の客が注文する品を確認すると、圧倒的にチキンの注文が多く、辛さは3の普通であった。店に関連する情報に一番は野菜とあったのでグルヒロは本日の来客に逆らうようチキンではなく野菜で辛さは3を注文した。

おとなしく待っているとグルヒロよりも後から来た客のチキンが早い。そして時間は無情にも過ぎていく。店外で待ち、店内でも待つ。ああ、やっと・・・と思ったらまた後から来た客のチキンであった。ムムム、今度違ったら・・・と思ったらグルヒロの野菜であった。

提供されたカレーを眺めると、なるほど数種類の野菜は素揚げしてある。これなのだろうか、調理時間がかかった理由は?はじめにご飯をいただく。うまくない!米自体が古く、炊き方も悪い。ご飯でカレーを食べさせるつもりならカレー以上にご飯は美味しくなくてはいけないとグルヒロは思う。気を取り直してカレーを食べる。スパイスの香り、その中でもとくにクミンが強すぎる。なんでも過ぎてはいけない。油を吸った野菜は不味い!野菜をすべて素揚げにする理由が分からない。早い話が完食どころか途中までも食べ進むことが困難カレーであった。無理をしては元も子もなくなるので早々とリタイアになった。サービス品としてアイスクリームを提供されたけれど、まるで氷の如く手に持ったスプーンが中に入って行かず・・・これもひとくちでリタイアとなった。サービス品って客をもてなす品だと思うけれど・・・。勘定の際、店員に「またのお越しをお願いいたします。」と言われたけれど・・・。しかし店名はプーさんと呼ばれているらしいが、プーさんといったい何の関係があるというのか?😥