とん‐ちん‐かん【頓珍漢】
とんちんかん(形動)(「頓珍漢」は当て字。鍛冶屋の相槌(あいづち)を打つ音が交互してそろわないさまから)

1 物事が行き違ったり前後したりしてわけがわからなくなること。また、そのさま。



                            だってさ。




 結構いるよね。こう言う奴。そして一番困るのか、自分が〝とんちんかん〟だって言うことに気がつかない、だからこそなんだろう〝とんちんかん〟。ここでは、論理的に頓珍漢を究明したいと思っている。まず、定義から行おう。

 頓珍漢の定義

言動若しくは感情と行動の伴わない人。

感情を言語で表現できない人。

物事(現象)を正確に把握出来ない人。

極度に運動能力の低い人。



                   こんな所だろうか。

定義の解説

例えば、「海を見よう。」と、恋人を誘い出し車で出かけるが、結局は峠の茶屋で団子を食うはめになる奴。例えば、晩飯をコンビニで済まそうと出かけるが、読みたくも無い週刊誌の下にエッチ本を忍ばせレジに走り、自宅で後悔する奴。「海を~」の例はともすると単なる方向音痴と混同したり、コンビニの例もまた、食欲に性欲が勝った結果とも思いがちであるが、これらは頓珍漢の登竜門的現象であり、このような行動を日々重ねることにより、自らもまた、人からも認められる真の頓珍漢への成長の過程であり、私はこのパターンを〝頓珍漢の生誕期〟として位置付け重要視している。



例えば、ファーストフードでハンバーグだけを買おうと思っていても、「ポテトも如何ですか。」とのかわいいお姉ちゃんの微笑みに、食べた後胸焼けするのを分かっていながら、ついお願してしまう奴。例えば、朝出がけに、「今日は燃えるゴミの日だから、そこのゴミ袋出しといて。」との妻の言葉に、「俺はこの家の大黒柱。誰のお陰で食べているんだ。」との、怒り心頭の感情でありながら、失笑しながらゴミを出す亭主。このケースも、当事者及び、頓珍漢という人間行動学の専門家でさえもが性格の問題と捕らえることもあるが、これも頓珍漢であり、これを〝頓珍漢の潜在期〟と呼ぶ。



このような事例に至っては〝真の頓珍漢〟である。その原因は至って簡単である。物事及び現象を見ていない、或いは見ていても全体像でなく、その一部だけしか見て居ない場合、例えば、       しかし、さらに研究を進めた結果、〝究極の頓珍漢〟の存在を知る事に至った。これは、現象とは何たるかを知らない場合である。現象とは確かに顕在している事由ではあるが、〝在る〟或いは〝有る〟と言うことは、必ず原因がある筈である。例えば、貴方が頭にコブがあるとすれば、それは朝目が覚めたら突然出来ていたのでしょうか。もし、そうだとすれば、それは貴方が昨夜記憶を無くすほど泥酔し、酒に勇気を借りて果敢に電柱に頭突きを食らわせたことを覚えて居ないだけで、原因は必ずあります。〝究極の頓珍漢〟とは、簡単に言えば、因果往訪或いは、因縁結果と言われる万物の理を常に判断材料に求めない結果であり、頓珍漢の中の頓珍漢である。



この代表例は、スキップの出来ない人、それに他ならない。ただ、このケースのみは以上に挙げた三例とは性格を異にしている。それを区別するため私はこのケースに相当する場合に限り、〝愛される頓珍漢〟と命名する。



さて、今回、人間行動学の一編として〝頓珍漢〟について解説を加えてみたが、時として頓珍漢な行動は、対人関係において決して軽視できないものであることがご理解頂けたかと思う。折に触れ貴方も頓珍漢な奴に出くわしたり、或いは自ら頓珍漢な行動に刈られることもあると思うが、その行動の因果あるいは因縁を考慮することにより、〝究極の頓珍漢〟或いは〝愛される頓珍漢〟として成長して頂ければ筆者として幸甚である。