福岡ぐりむ療育とピアノと学習の教室です。別ブログやXの過去記事にコメントを加筆して書いていっています。
2020年のポストです。
なぜか『いつも間の悪さ』を感じるお子さんというのはいらっしゃいます。
一般的なピアノ教室時代から含め、たくさんの生徒さんたちをみてきましたが、やはり、自閉・発達障害に特化してからの生徒さんたちの方が圧倒的に多いと感じています。
●大事な予定が決まると必ず大きめのケガ、または体調を崩しキャンセル
●懸命に頑張ってやっとこさ伸びてきて、さぁステップアップをと思えば崩れて抜け落ち
●書きの強化を始めれば手を怪我し、足を使う機能の強化を始めれば捻挫し
・・・orz
生徒さんご自身に起きるパターンもありますが、実は 親御さんに起きるパターンも少なくありません。
お子さんの場合は、今までぼんやりしていた世界がレッスンでくっきりすることによる自我の芽生えからくるもの、緊張やワクワク高揚感、苦手さ億劫さを認識できるようになったことからくるもののように『今までとちがう、いつもとちがう』ということが主に考えられます。
親御さんの場合は複雑で、お子さんの場合の延長もありますが、それプラス、安心、慣れや自己判断、そして不安や恐怖、ホメオスタシスといったことが考えられます。
レッスン以前の過酷な日々の連続から緊張の糸が途切れて、疲れが一気に噴き出すことはよくあります。
もうそれは、お疲れさま、ほんと辛かったね、うんうんです。
慣れや自己判断というのは教室あるあるです笑
ある程度レッスンが進むとレッスン以前から初期の頃のひっ迫した感じが薄れ、お子さんの特性、レッスン、生活スタイルに慣れが生じたり、お子さんを想うが故の焦りからミスリードが発動してしまうという、どちらのご家庭でもやってしまうアレです笑
モチベーションを保つのって本当に難しい。自戒も込めて
じゃない方 ~DQ39 3歳さん~ | 福岡ぐりむ療育とピアノと学習教室 (ameblo.jp)
そして、不安や恐怖というのは、お子さんが伸びてくることによって、周りの人の対応が変わること、お子さんが自分から離れていくのではという寂しさや恐れ。
特性全開で辛く過酷な日々だったはずですが、成長といえどもそれは変化でストレス。
荒れていない健やかな生活なんて一度も経験がなくて、見通しが立たず不安で居心地が悪いという逆転。
「白い目には慣れっこですけど、優しくされることに慣れていません…」と涙ぐまれ、お母さんが辛くなり続けられないという なんともな経験のある ぐりさんです。
ですが、このようにご自身の気持ちに気づかれ、素直に言葉になさり涙を流すことがどんなに素晴らしいことか。
たいていは感情の段階でいえば、やっと『怒り』あたりが始まるか、もしくはそこに留まろうとするか、
あるいは欲求の段階でいえば、当面の『所属』が満たされ(たような気がして)『承認』が芽生えてくるあたりかなと思っています。
通過点のひとつだからね。
まずは、いつも選んでいるもの、そしてパターンに気づけるといいな。
といっても、真っ只中にいるときは届かないよね・・。ぐりさんも身に覚えがある
お子さんはレッスンで ぐりさんと直接触れあうから、お子さんの方が早く気づいて脱却しようとすることは多いです。
お子さんが自分の世界を広げていくことは素敵なことだと理屈ではわかっていても・・ですね。
話がそれますが、
一般的なピアノ教室の頃の生徒さんで、さっぱりカラッと明るいお母さんでしたが、長子が大学で上京なさった春、買い物の食材の量や洗濯物の量で「あ、いないんだなーって思います」と、少し涙を浮かべていらしたことがありました。
時間の経過とともにそれも薄れていかれたようでしたが、いくつになっても親ってそんな思いが付きまとうのでしょう。
ぐりさんには子どもはいませんが、ぐりさんの親もそうだったかもと思います。
ぐりさんも、ぐりさん自身に「学ばないな・・」と思うことの繰り返しですが、やっぱり、このお仕事を使命だと思っていますし、天職だとも思っています。
発語のないお子さんが言葉を覚え、やりとりできるようになること
わからない、うまくいかないお子さんに わかること、できることが少しずつ増えていくこと
いつも泣いていたお母さんが笑って楽しそうにお子さんと話しているのをみること
ぶきっちょなお子さんって、なんて愛おしいんだろ。
たまらんっ笑
可愛い盛りの子育ての喜びを味わい、ひとつでもたくさんのご家族での思い出を作ってていただくことが、ぐりさんの願いです。
よりよい道がみつかりますよう。
思ってもみなかった生活はあります。
みんな伸びろっ