自分のカッコ悪いところ、
情けないところ、
惨めなところ、
ズルいところ、
ちっぽけなところなんて、絶対人に見せたくないと思って生きていた。
多分そんなこと全く意識してなかったけど、
今振り返ればそうだったなと思う。
つい人に良いカッコしたり、
強がったり、
小さくてズルい自分を必死に隠したり…。
今でもまだまだそういうところはある。
きっと、一生そういうのは何かしらあるんだろうなぁ(笑)
人に自分の震える手を見せられる人、
人に己の小ささを見せられる人を見た時、
なぜかカッコよく見えた。
この人みたいな生き方を私もしたいと段々思う様になってきた。
きっと以前の自分なら、
「人に自分の弱さなんてさらけ出したくない!
人に自分の小ささをさらけだしたくない!
こんな生き方したくない!」
そう思っただろう。
それでも必死で「自分を許さなくちゃ!」と躍起になってもがいていた。
でも、自分を許すって、頭では何となく分かるけど、
その感覚がやっぱり分からない。
体感ができない。
でも、許さなくちゃいけないし、でも分からないし、
もう苦しい!!
そうなっていた。
今でも自分で自分を許すということを分かっていない。
体感できていない。
それでも、
やっぱり自分を見捨てたくないなら、
自分を守りたいなら、
自分を受け入れたいなら、
己の震える手を恐る恐るでも人に見せるところから始まるのかもしれないと、
その人を見て思った。
どんなにスマートな生き方をしていてる人を見ても、
どんなにカッコ良い言葉を言っている人を見ても、
確かに羨ましいと思う気持ちはめちゃくちゃあるし、
嫉妬して苦しくなる自分もいるけど、
やっぱり震える手を自ら見せてくれた人の姿や言葉や生き方は、
誰よりもカッコ良く見えた。
素直に、「私もこの人みたいな生き方をしたい」
と心から思えた。