本能寺の変はなぜ起こった?~怨恨説~ | 軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

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2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を地元兵庫県からお贈りします。

本能寺の変はなぜ起こった?~怨恨説~「武将浅成」



ドラマや映画などではこの説が強調されている場合が多い。

一般に知られる怨恨の原因は以下のようなものである。



■悪臭のする魚を出して家康の接待役を解任され、

 面目を失った。光秀は悔しがり食器を池に投げ入れた
 (『川角太閤記』)



■まだ敵地の出雲国・伯耆国もしくは石見国に国替えを命ぜられた
(『絵本太閤記』)



■八上城戦で母を信長のために死なせてしまった
 (『総見記』、『絵本太閤記』)



■武田氏を滅ぼした戦勝祝いの席で光秀が

 「これでわしらも骨を折ったかいがあった」と言ったのを

 信長が聞き咎め「おまえごときが何をしたのだ」

 と殴り足蹴にされて恨んだ。



■フロイスの『日本史』にある

「変の数ヶ月前に光秀が何か言うと信長が大きな声を上げて、

光秀はすぐ部屋を出て帰る、という諍いがあった」という記述を

根拠として、武士の面目を立てるためであったとする新たな怨恨説を唱えた。