ドラマや映画などではこの説が強調されている場合が多い。
一般に知られる怨恨の原因は以下のようなものである。
■悪臭のする魚を出して家康の接待役を解任され、
面目を失った。光秀は悔しがり食器を池に投げ入れた
(『川角太閤記』)
■まだ敵地の出雲国・伯耆国もしくは石見国に国替えを命ぜられた
(『絵本太閤記』)
■八上城戦で母を信長のために死なせてしまった
(『総見記』、『絵本太閤記』)
■武田氏を滅ぼした戦勝祝いの席で光秀が
「これでわしらも骨を折ったかいがあった」と言ったのを
信長が聞き咎め「おまえごときが何をしたのだ」
と殴り足蹴にされて恨んだ。
■フロイスの『日本史』にある
「変の数ヶ月前に光秀が何か言うと信長が大きな声を上げて、
光秀はすぐ部屋を出て帰る、という諍いがあった」という記述を
根拠として、武士の面目を立てるためであったとする新たな怨恨説を唱えた。
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