で、前半のまとめです。

 >仏教思想はこのアートマン(我)の探究がその起点だと思うんです。

という視座から、先行するインド思想家であるヤージュニャヴァルキヤを中心に考察してみました。
補足しておきまと、先程の循環論法の件については龍樹も中論の中で主体とその作用の項で考察しております。

ともあれ、アートマン(我)の探究については、

 1.最終的な私にたどり着くことは不可能
 2.この『非らず。非らず』(neti neti) という(ことばでのみ表される)アートマンは捉えることができない。捉えられないから。

という事を念頭に置いて、仏教の無我思想についてこの先紐解いていこうと思います。