その中で最近「エクソシスト」を鑑賞しました。
この作品は1973年に発表された有名なオカルトホラーの作品で、観たことある人、もしくは名前は知っているという人も多いのではないでしょうか。
なので今回はエクソシストを観てみてそれに対する「なぜこの作品がこんなに怖いのか?」という考察と、もう一つ比較して紹介したい作品がございますのでそれについても触れていこうと思います。
映画「エクソシスト」の考察
この作品の大まかなあらすじは悪魔に取り憑かれた少女と悪魔祓いを行う神父の格闘を描いた作品です。
物語の前半は徹底してリアリティを追求しており、悪魔憑きの原因が脳の異常だと考える医者による治療(無意味)と段々と衰弱していき変貌を遂げる少女が描かれています。
可愛げのある少女がとても汚い言葉を発したり、外見も変化する様は見るに耐えず不快感を掻き立て、更には十字架を自らの陰部に突き刺す描写は「そこまでやらせるか…。」と思ってしまうほど不快。とにかく不快という言葉をこれでもかと見せつけてきます。
私自身はこの描写に不快感を感じつつも「こんな映像流したらやばそうだけど、やってやるからな!」みたいな制作側のロックな姿勢を感じました。現代のホラー映画でこんなことを子役にやらせたら炎上待ったなしでしょう。それをやってしまうだけでもすごいと思います。
後半は娘の衰弱を見ることしかできず絶望する母親と、自身の母親の死に葛藤する神父が悪魔に立ち向かう様子を描いています。
前半の徹底されたリアリティとは違って悪魔祓いという作品のテーマが強調されたオカルト色の強い作風に変わります。
悪魔という実体もなく、前半部を見ただけでとてつもなく強大な敵に対して立ち向かう神父たちには弱さというか人間味が溢れていて不快感とともに悲痛な描写がなされています。
弱い人間が、その弱さに付け入るプロである悪魔に立ち向かう様子は観ている側に緊張感を与え一瞬の油断も許してくれません。近年のエクソシズム系のホラーに見られる乱暴な描写は少ない分陰湿な印象を受けそこに新鮮さを感じました。
不快、悲痛、陰湿。怖いという言葉がぴったりだと思います。
最後にこの作品について触れておきたいことがあります。
この作品を観たことがある方なら必ず印象に残るシーンがあると思います。リーガンがブリッジで階段を降りるシーン?首が180度曲がるシーン?
いいえ、作中至る所で挿入される怖い顔です。
この顔は恐らく悪魔だと思うのですが一瞬映るこの顔は観終わった後しばらく脳裏に焼きつくというか、酷く不安を掻き立ててくるんですよね。あれをサブリミナル効果と言うんでしょうか。とにかく印象に残る。ストーリーとの関係性もないのでなんであの顔が映るのかわかんないし、なんか僕が呪われてんのかな?とか、よく見てみると母親と顔の形似てんな…。とか色々考えちゃってもう大変。
兎にも角にもこの映画は絶品。ホラー映画の怖さと面白さをたっぷり実感できました。宗教的な知識があったならもっとリアリティとか明日は我が身的な恐怖を感じられたのかもしれませんね。
もう一つのエクソシスト「エミリーローズ」
今回「エクソシスト」と共に触れておきたい作品が2005年の「エミリーローズ」でございます。
この作品はエクソシストと同じ悪魔憑きを題材にした映画なのですが、少々変わった点があります。
それはエクソシズムを法廷劇と掛け合わせることで社会的なテーマを啓蒙していることです。
具体的に触れるとこの作品のストーリーは悪魔祓いに失敗した神父の話です。悪魔に取り憑かれたとされる少女を救おうとした結果少女は衰弱し、死に至ってしまいます。
そして神父は少女を虐待した上に死に至らせたとして起訴されてしまうわけです。
悪魔憑きとは実在するのか?そこにあった正義とはなんなのか?といったテーマを描いた良作です。
この作品もちろん観る側の恐怖を煽る描写もあるのですがあまりそこは重要ではないというか、恐らく作った人も怖さを追求していなくて、前述のテーマを深く掘り下げています。
この作品は前述の特徴を踏まえればホラー映画としては異質です。それ故にホラー映画を観たことがないという人にぴったりだと思います。
ホラー映画というジャンルを別の角度から見るのはホラーに対するハードルを下げ、恐怖に対する免疫をつけてくれます。そういう意味では誰が観ても面白い作品だと思うのです。