イタリアに行けることになった。
いろんな偶然といろんな出会いによって、幸運にも手にしたって感じ。
お世話になった皆さんに心から感謝。これからお世話になるだろう皆さん、どうぞよろしく。

やりたいこともできた。機会も与えられた。
あとは僕の努力次第。
部活にも迷惑かける。
一番好きで尊敬してて、そんで一番お世話になった人たちに、自分は何も返すことができなくなってしまった。

自分には、どうしてもいろんなものが見えてしまう。
一つのことだけにかけてるあの人たちが、ほんまにすごいと思う。

しめっぽい感じになっちゃってるけど
とりあえずすごい嬉しいし、自分にできることを最大限しよう。
まずは英語とイタリア語の勉強... の前に、試験勉強。

うん、大学入って初めての頑張りを見せる。
ネットにさらせない理由で親が怒った。
仕送り止めるとかのたまう。
本気じゃないと信じたい。
本気やったら飢えるから。
ただでさえ西友には品物が何もないのに。


ちなみに前回の話。
やっぱ流された。
OBと会って、この人たちすげぇなって思ってたら、若干こうなりたいと思ってしまった。
うーんあかんな。結局続けるんやろうな。


ただ冬学期の成績が来て、まぁまともな成績してたから、英語の勉強はしようと思ふ。
そっちの可能性はまだ諦めない、あきらめたくない。

ちょっとした小話を書こうと思ってたけど、時間なくなってもた。ノシ

たしかバングラデシュのGrameen Bankの話だったと思う
高校英語の定番、三省堂の教科書CROWNに載っていたその話の中で
うちの高校の英語教師Sさんがsympathyっていう一つの単語を、この言葉に訳した。
バングラデシュの分離独立が希望への一歩だと信じてやまなかった一般市民は、
なんら改善されない現実、生活の質にやり場のない悲しみや憤り、そして苦しみを覚えたんだろう。
当時の自分は、失礼ながらSさんをそんなに(英語教師として)信頼していなかったと思うが、
そんな文脈の中で考えると、この「共感共苦」って訳がすごい適訳に思えてきたのを覚えている。

いま、文字通り揺れるこの列島で、共感共苦の精神が芽吹いている気がする。
はるか昔から日本人の心に根付いてきたその相互互助の精神が、阪神大震災以来の危機にあって、再び現出し始めた、そんな実感を得ている。
電車が動かず改札の前で数時間待ちぼうけをくらおうとも、
「被災にあった東北の人たちを思えば、私は待つだけですから」
もちろんそんな風に考えない人も、居て然るべしだとも思うけれど、
「被災者を思う」ことのできる人間が、この列島になんと多いことかと。

一方で、こんなにも経済を停滞させていいのかとも思う。
トヨタ、ホンダetc、、、日本全国の工場を停止させるらしい。
物流の関係で操業できないのなら納得できるけれども、
この国の経済をさらに悪化させてはいけないのではないか。
非被災地の人々は、sympathyを抱きつつも、普段通りの社会経済活動を行うことが一番なんじゃないか。
どうしても自分は、そんな風に考えてしまう。

言いたいことはまだまだあるけども、節電ってことでpcのバッテリーがもう尽きそうなので、この辺でノシ