インタビュー第5回は、ピアニストでありアレクサンダー・テクニークの講師でもある森 朝さんをお迎えしました。

※今回は、アレクサンダー・テクニークという専門分野に内容を絞ったこともあり、私からの質問に対する彼女の回答全文掲載という形です。


アレクサンダー・テクニークに実際触れ合ったきっかけは?


私がまだケルン音大の学生だった頃、毎週のピアノのレッスンで、音の質、響きについて、先生に何年も注意され続けていました。先生がお手本を見せてくださるのですが、とても軽々と演奏している上に、音の色彩や表現が豊かで。私は、自分の演奏との違いも認識していたし、先生の演奏を素晴らしいと思う感性もあったし、そんなふうに弾きたいと思う気持ちも強かったんです。にも関わらず、自分は到底そこには手が届かない。そのギャップから、それが単に「音楽的な才能の違い」だけの話ではない気がしていたんですね。何かが根本的に違う。

そんなことを考えるまま年月が過ぎていったある日、アレクサンダー・テクニークについての本を読んだことがきっかけです。

 

アレクサンダー・テクニークとはわかりやすく言うとどんなメソッドですか?


はい、あまり専門的になりすぎないようにお話ししますね。

私たち人間って、誰もが大なり小なり「生きにくさ」を抱えていると思うんです。すぐに気疲れするとか、しょっちゅう頭痛に悩まされるとか肩が凝るとか、絶えず腰が痛いとか。音楽家の場合だと、演奏時に力んでしまうとか、ステージであがってしまって本領を発揮できないとか。そういった不調や生きにくさを、「性格だから」「体質だから」「歳のせいだから」と、「そういうもの」として捉えていることも多いかもしれません。

と同時に、私たち人間は、無意識のうちに日常的にやっている「身体の使い方のクセ」を持っているんです。立ち方、座り方とか、息の仕方、何かに反応する時の体の固まり方とか。そういった体の使い方のクセは、多かれ少なかれ、「生きにくさ」の原因になっているんですね。

アレクサンダー・テクニークは、その無意識のクセに気づき、今までとは違う、より無理のない使い方を実際に体で試していくメソッドです。自分のパターンを見直し、別のやり方を体験を通して学ぶメソッドとも言えます。

 

レッスンを受けていた時代はどう思っていましたか?何が変化しましたか?


私は子供の頃から演奏に関して「こう弾きたい」という思いは結構強かったと思うんですが、それをなかなか自分の思うようにピアノで表現できなかったんです。速いパッセージも安定せず、試験などの課題曲でどうしてもそういう曲を弾かなければいけない時は、すごく気が重かったですし、長時間の練習量でなんとかやり過ごしていました。しかも、若かったからこそ何とかなっていましたが、体の使い方に無駄が多かったため、ものすごく体力も消耗していました。

単調な練習を重ねていくうちに、

自分の中で感じていたはずの音楽が死んでいくというジレンマもありました。

 

それから以前は、曲の中の技術的に弾きにくい箇所で、肘や手首など、どういう体の動きで弾いたら良いかということを考えたり試したりしていたのですが、アレクサンダー・テクニークを学んでからそういうことは一切しなくて良くなりました。

こうお話しすると、アレクサンダー・テクニークは体の使い方についてのメソッドなのになぜ体の動きについて考える必要がなくなるの?と思われるかもしれないのですが、あえて例えてみるとすると、話すときに舌や唇をどう動かして、どれくらいの勢いで息を吐いて...とか考えたりしないですよね?何をどんなトーンで話したいかというイメージが頭の中にあって、そのイメージに従って、自然に舌や唇が動き、話すトーンやテンションに従って息の量やスピードが自然に決まります。それと同じように、体が邪魔をしていなければ、つまり体ぜんたいが自由に動ける状態であれば、自分の持っている音楽のイメージに体がストレートに応えてくれるので、体の反応の鈍さを補うための作為的な動きをする必要がなくなるんですね。

しかも、想像してみていただくと分かると思うんですが、筋肉が緊張して体が動きにくくなっているところに、動かすために更なる筋肉の働きを付け加えている場合と、筋肉が緊張していなくて自由に動けるから「動かす」という筋肉の働きを付け足す必要がない場合では、体力とメンタルの消耗量は雲泥の差ですし、その結果、演奏のクオリティも全く異なってきます。

「速いパッセージを弾きこなすための練習」や「ステージで安定して弾くための膨大な練習量」などが必要なくなり、音楽そのものにエネルギーを注げるようになったので、弾くことがとても楽しくなりました。

アレクサンダー・テクニークを学び始めた頃、コンサートでいつも聴きにきてくださるお客さまに、「君がこんなに良い演奏をするなんて知らなかったよ!」とダイレクトに言われたのを覚えています(笑)。


 
演奏以外の面では、緊張した時にお腹が痛くなっていたのがなくなり、呼吸が楽になって疲れにくくなりました。呼吸って四六時中しているので、体とメンタルに与える影響がとても大きいんですよね。レッスンを受ける前は、自分が負担のかかる息の仕方をしているという自覚すらなかったので、レッスンを受け始めてしばらくして「あ、そういえば最近、全然疲れないな」と気づいた感じでした。

人との接し方もすごく変わりました。人の言動に必要以上に影響されなくなり、精神的にも安定して落ち込むことが少なくなりました。また、以前は自分の内面の不安定さをカバーしようとして頑固になっていたところがあったように思うのですが、自分の軸がブレなくなったことで、自分とは違う意見にも柔軟な見方ができるようになった気がします。私のことを昔から良く知っている家族には「物事を多角的に捉えられるようになった」と言われました。

 講師の資格を得るためにどんな勉強をしましたか?

一番のメインの学習は、アレクサンダー・テクニークを自分自身に実践していく、つまり自分がアレクサンダーテクニークを使っていくということでした。

そのために、アレクサンダー氏の書いた本を授業で読んで内容についてディスカッションしたり、骨や筋肉など解剖学的なことを学んだりもしましたが、体に意識を向けるといった実践的なワークが圧倒的に多かったです。また、アレクサンダー・テクニークには、「ハンズ・オン(Hands-on)」と呼ばれる、手で生徒に軽く触れることによって行われる指導法があります。それは、何となく触れるという曖昧なものではなく、教師自身のバランスの取れた体の使い方を生徒に伝えるために、明確な意図を持って行うものなんですね。私の受けた教師養成コースでは、このメソッドを確立したアレクサンダー氏の孫弟子である2人の先生から、みっちりとその手法を学びました。それから、全般的にヨーロッパの教師養成コースでは、アレクサンダー氏が実際に行っていたワークや指導法をできるだけそのまま受け継ぎ、メソッドの本質を体験的に理解しようとする背景があります。私自身も、彼が用いていた基礎的なトレーニングを時間をかけて深く学びました。

また、アレクサンダー氏は俳優だったため、呼吸についてもかなり深く研究し「呼吸の人」とも言われていたのですが、私の2人の先生のうちの一人が声楽の方だったため、呼吸について深く学ぶことができ、今、私が管楽器や声楽の方にレッスンする時にも役立っています。

 

どの瞬間に「これは自分の領域になるかもしれない」と思いましたか?


アレクサンダー・テクニークの本を読んだ時、このメソッドは誰か一人の考えや経験談ではなく、「事実」と「法則」に基づいた、誰にでも当てはまる普遍的な原理として成り立っているという点に惹かれたんです。そのとき、ここに自分がずっと探していたものがある、と思いました。

 

講師になるまでに苦労したことがありましたか?何が大変でしたか?


苦労したことがあったか頑張って思い出そうとしたのですが、何も思いつかなくて。ドイツに住みながらオランダの教師養成コースに通っていたのですが、通うことが一番大変だったと感じたくらい、何も苦労した記憶がないです。楽器や歌の先生と同じく、アレクサンダー・テクニークも先生によって色々なのですが、自分に合った先生に巡り会えて、本当に恵まれた環境でした。

子供の頃にピアノを始めてからずっと奏法を試行錯誤していたので、悩んでいた期間が長かった分、一気に霧が晴れていく感じでした。オランダにいる間は練習場所がなくてピアノの練習ができなかったので、アレクサンダー・テクニークの実践型の授業を受けて、行き帰りの電車の中で楽譜を眺めたり音楽をイメージするということだけをしていたのですが、ドイツの自宅に戻ってきて弾いてみると、自分の思い描いたようにピアノで表現できるようになっている、という感じでした。

 アレクサンダー・テクニークの授業は実際にどんなことをするのですか?


どんなことをするかは個々の教師によってかなり違うので、ここでは私のやり方についてお話ししますね。

まず、初めての方には、レッスンを受けようと思った動機をお聞きします。音楽をされる方の場合は、演奏で改善したいと思っている点などですね。そして実際に少し演奏してもらいますが、そのあといったん楽器から離れて、横たわったり椅子に座ったりといった体勢で体に意識を向けるワークをします。その時に、生徒さんの許可を得た上で、先ほどお話しした「手で軽く触れる手法」と「言葉」を使って、意識の向け方をサポートします。

体のクセというのは根強くて、楽器を使いながらワークをしようと思うと習慣的なやり方から抜け出しにくいんです。楽器や音楽に気を取られて、体に意識を向けるのが難しくなるとも言えます。このワークで、生徒さんはそれぞれ気づきを得ていきます。ある愉快な生徒さんは、首の痛みや緊張だけによって首の存在を認識していたようで、意識を向けることでその緊張が解けた時、「あ!首がなくなった!」と言って大笑いしていました。

 
そのワークのあと、ワークで得た気づきを演奏に応用していきます。また、レッスン後にご自身で気づきを重ねていくための意識の向け方についてお話ししたりもしますね。

ギリロフ先生の生徒にレッスンしていた時期があったのですが、先生がその生徒のことを「弾いている時の見た目が変わったし、何よりもそれが聞こえてくるね」とおっしゃっていたのを覚えています。

レッスンを重ねるうちに、「普段の機嫌が良くなった」「ひどいときには気絶していたほどの生理痛が劇的に良くなった」と、期待していなかったところに変化を感じることもよくあり、自分の「性格」とか「体質」だと思っていたものが変わっていくことに驚かれます。「体の使い方」が「体の機能」に大きく影響するんだということを体験を通して理解していきますね。

 
最も大切な教えを言葉で表すとどうなりますか?


そうですね…アレクサンダー・テクニークというものは、アレクサンダー氏の個人的な意見や思いつきではなく、「クセ」など誰もが持っている、人間の普遍的な事象についての彼の「発見」なんです。

例えば、アメリカ大陸に渡ったコロンブスは、地球は丸いという「事実」を発見しましたよね。また、ニュートンは木からりんごが落ちたエピソードで知られている万有引力の「法則」を発見したわけです。これらはコロンブスやニュートンの持論や思想ではなく、すでに存在していた「事実」「法則」ですよね。アレクサンダー・テクニークも既存の事実と法則を扱っているので、教えとかコンセプトではないんです。

少し話が逸れました。彼の重要な発見は一つではないんですが、挙げるとしたら、「間違っていることをやめれば、正しいことが浮かび上がってくる」という言葉でしょうか。私自身がレッスンする時は、正解とか間違いという概念は使いませんが、それでもあえてこの言葉を引用したわけは、「何かを付け足すことで物事を解決しようとするのではなく、邪魔をやめればもともと備わっている機能が発揮されて解決につながる」という、アレクサンダー・テクニークの本質を言い表しているからです。

 素人に誤解されやすい点は?

「リラックス法」「脱力法」「姿勢矯正法」などと思われることでしょうか。具体例としては、レッスンで体に備わっている能力を活かすワークをしていくと、体の力が抜けてラクになったり、背すじがスッと伸びたように感じることがあります。すると、その感覚が強烈に記憶に残り、ワークを復習しようとした時に、体の能力を活かすという過程(プロセス)をすっ飛ばして、脱力しようとしたり背すじを伸ばそうとするのです。

また、アレクサンダー・テクニークを全く知らない方に、ヨガやボディーワークと混同されることがありますが、決まったポーズやエクササイズと結びついているものではなく、体の使い方の質を扱うメソッドです。ですから例えば、アレクサンダー・テクニークを用いながらヨガやボディーワークをするということもできます。

 

講師として体力的やメンタルのコストはどの程度ですか?



レッスンでは私自身の体の使い方が整っていることが前提になるので、指導活動そのものが強い消耗になるわけではないんですが、一人ひとりを観察し、判断しながら進めていくので、注意力と集中力は常に使います。



 アレクサンダー・テクニークは森さんの人生にどんな影響を与えましたか?


続けてこられた理由は、アレクサンダー・テクニークを使って過ごしている方が明らかに自分にとって「生きやすい」から。続けるための苦労というような、負担に感じる面は皆無ですね。

演奏中に、フレーズを長く捉えられるようになりましたし、過去のことを考えすぎたりすることがなくなり、物事の全体像がみえるようになってきました。

空間認知についても、音大の大ホールで弾く時の感覚がまるで変わりました。そのホールは残響がほとんどなくて、以前は、客席にどう聞こえているのか、ホールの後ろまで音が届いているのか全くわからなくて、真っ暗な闇に向かって演奏している感じでとても怖かったんですね。それが、アレクサンダー・テクニークを使うようになってからは、「あそこがホールの壁だ!」ということが把握できるようになり、良い意味でその大ホールがとても小さく感じられるようになりました。

 アレクサンダー・テクニークを実践していくと、実際の体と、自分が認識している体のズレがなくなっていくんですね。それにともなって、実際に起こっていることと自分の思い込みや感じていることのズレも少なくなっていったんです。

 ピアニストやピアノ教師として活動する時に切り替えはありますか?

切り替えをしているという意識は全くないです。それは多分、どんな活動をしている時もアレクサンダーテクニークが土台として自分の中にあるからだと思います。

ピアノ教師としての活動も、アレクサンダー・テクニークの観点から見ると、従来のピアノレッスンとはずいぶん違ったものとして捉えられると感じています。私は今、自分の子供たちの縁で、4歳くらいのピアノ初心者にレッスンしているんです。レッスンで彼女たちを観察していると、「自然な体の使い方」と「表現したいという欲求」という、大人が往々にして失ってしまっているものが、すでにそこにあるんですね。導入期のピアノレッスンというと、「手のフォームを教えてあげよう」とか「子どもはまだ、まっさらな白紙状態だから、最初から正しいテクニックを身につけさせよう」と考えることが多い気がするんですが、手のフォームを整えようとするあまり、子どもが持っている全身の自然なバランスを壊していないか、せっかくの素晴らしい表現欲求を抑えつけていないかといったことが、とても大事ではないかと思います。それから、幼児期は、吸収力が半端じゃないと感じさせられた事がありまして…私の知っているピアニストでお子さんも趣味でピアノを習っているケースがいくつかあったのですが、お子さんの演奏姿が親にそっくりなのです。そんな経験から、小さい子どもをレッスンする時にも私自身の体の使い方に注意を向け、ピアニストとして演奏する時と同じように全身全霊で音楽に向き合うようにしています。

 芸術、スポーツだけでなく日常生活にも取り込めますか?

はい。体の使い方という、誰でもいつでもやっていることを扱うメソッドなので、何をしている時でも使えます。、私は主に、プロアマ問わず演奏をする方を対象にレッスンを行っているのですが、中には陸上競技やバレエも熱心にされている方などがいらっしゃって、レッスン中の自然な流れで、その人に馴染みのある、音楽以外の活動をしている時の体の使い方に取り組むこともあります。「掃除機をかける」「料理をする」といった、日常的な動作を扱うこともあります。それを通して、どの活動にも同じクセがあることに気づき、演奏時の体と日常の体は切り離せない、つまり日常でのクセが演奏にも持ち込まれているんだということを理解する方が多いです。

 
今後はどんな活動を通してアレクサンダー・テクニークを伝えていきたいですか?


そうですね。自分の中で限定はしていません。私自身が音楽家なので、これからも音楽をする人にこのメソッドを役立ててもらえるよう指導を続けていきたいという思いはありますが、どんな活動をしている時も、アレクサンダー・テクニークを実践している一人の人間として、周りの人に「生きやすさ」が伝わるような存在でありたいと思います。

森 朝  

ピアニストの為のアレクサンダー・テクニーク(出版社: ヤマハミュージックエンターテインメントホールディングス)




2026年2月20日 
聞き手  橋場めぐみ
©音の向こう-Dialogue Archive IC