放球台跡へ   戦争遺構と大切な人の思い出と  | ライムとハナコと、ときどきカッパ

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気が向いたときに、書きたいことを書きます。
本当に、テキトーに…。
家族の日記代わりなので、しょうもない内容とクオリティの低い写真につきましては、ご容赦ください。

1月なかばのある日。
単身お出かけしたのは北茨城市。
大平洋を右側に眺めつつ、北上すること100㎞を超え…
 
GoogleMapさんの教えてくれる通りにたどり着いたのは…
ここのはずなんだけど。
でも、何にもない…
 
よくわからないけど、とりあえずせっかく来たんだから、海を眺めに行こう!
と、行ってみたら小さな矢印を発見して、その通り籔に分け入るような細道を…
ここでいいのかな…
と思いつつ、歩いていくと。
 
ひらけた場所に出て。
ここが目的地だった。
倒れちゃってた看板に教えてもらった。
昔々の大昔。
まだ学生だったワタクシに、多大なる影響を与えてくれた女性がおりまして。
昭和一桁生まれのワタクシの親と同世代か少し上…だったかな。
とても厳しくて、とても優しい方だった。
まだ20代の小娘だったワタクシに、女が生涯ひとりで生きていくということの意味を、身をもって教えてくれた。
 
彼女が女学生の頃に、風船爆弾の製造に従事していた時の話をしてくれたことがあった。
「こんなもの作って、何になるのかな…
と思ったこともあるし。
でも、こんなことでも、お国の役に立つなら…
とも思ったし」
当時、旋盤で指を失った友人もいたそうだから、そこまで危険ではない作業に就けたのは幸運だったのかもしれないとも話していた。
 
最後に会った時に、彼女が話していたのは、東京大空襲で亡くなった幼馴染の話だった。
「東京大空襲は、戦争犯罪だと思うの。
無差別爆撃なんて。
でも、そう考えると、私が作って、どこかから飛ばされて海を渡った風船爆弾も、無差別攻撃なのよね。
まさか自分が人を殺す側になるなんて…」
癌の治療で入院中だった彼女は、顔立ちが変わってしまうほど痩せていた。
 
風船爆弾を飛ばした場所に行ってみたい…
午後の光が差し込む病室で、そう言っていた彼女の言葉を忘れていたわけではないんだけど。
 
関東地方に3か所ある、風船爆弾を空に飛ばした場所のひとつがここ。
 
年明けから、彼女の夢を見ることが何回か…
不義理で申し訳ないけど、もう何年も思い出すこともなかったのに。
また、彼女が何かワタクシに示唆を与えてくれているのかもしれない…
そう思って訪ねてみた。
 
たぶん、この下に階段が続いているみたい…
覗き込んでも、草ボウボウで何も見えないけど。
 
今も遠い国で、血を流している人もいる。
何となく、ここに来れば、彼女にまた会えるような気がしていたけど。
もちろんそんなことは無くて、ただ、遺構は遺構でしかないけど。

 

20代のワタクシには、彼女の言葉も彼女の生き方も、理解しきれなかったけど。

生涯独身で、

「後に何も残さず、自分の痕跡を消し去って死にたい」

と常々言っていた彼女。

いつも明るくてドライで、とても優しかった彼女を、ワタクシは今も大好き。

 

 

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