18歳で自動車の運転免許を取得して最初に購入したのは1965年型のV.W.TYPE1だった。購入した時点で製造から25年を過ぎていたが、今思い返しても最初の車としては幸せだったなあ。
この画像は↑はWikipediaからだが、1966年式かしら
俗にビートル(カブトムシ)と呼ばれている車だが、ワーゲンと言えばこの形を想像される人が多いと思う。
僕のビートルは、1200cc排気量のオリジナルエンジンをウェーバー48φ(当時、この単位はパイと呼んでいた)のWキャブをツインで換装し1776ccまで排気量を上げ、ポート研磨、コンロッドのバランス取り等一通りのエンジンチューンをして、デュアルクワイエットマフラー、ホイールはセンターライン、タイヤはミシュランの何だか忘れたが、フロントタイヤは細く(タイヤ幅は135かな)ローダウン、リアタイヤの高さはそのまま(175だったか)で、小径ハンドル、ハーストのショートシフター、モンスターとかなんとか言ったデカイタコメーター、いわゆるCal lookのドラッグレース仕様兼街乗り、というビートルだった。
当時の稼ぎのほとんどをこの車に注ぎ込んでいたように思う。
その後、しばらく国産車を乗り継ぎ、15年ほど前、1950年代後半の英国旧車を手に入れ、10年ほど所有していた。
本国で作られた生産台数よりも、北米への輸出台数の方が多かったような気がするが、僕が手に入れた車両もカリフォルニアにあったものだった。
欧州の旧車乗りには常識かもしれないが、日本の高温多湿という環境、特に湿度の問題は、ボディーの塗装はもちろん、電装系しかり、自動車全般にとってあまり宜しくはない。
日本の各メーカーが作っている自動車が、世界に認められている理由の一つに故障の少なさということがあると思うが、それは、日本の気候、特に湿度の変化が多い四季に対応して作っているうちに世界中のどこに持っていっても、その国の環境に対応できる車、ということになったのではないかと思う。
その1950年代の英国車↓。
当時のル・マン24にも出場していたモデルを真似しようと、フロントガラスを取り外し、ロータス7的な小さなレーシングスクリーンを付けたが、ノーマルのフォルムとはうって変わり、外観はとても気に入った。
だが、バイクなみの大きさのこのスクリーン、よく考えれば事前に分かりそうなものだが、実際に走ってみるとものすごい風圧でしたw。
地元でオープンカーに乗る季節は春、秋、冬だが、もっとも気に入っているのは冬。
一般人から見たら「このクソ寒い冬にオープンカーに乗なんて頭がおかしいのか?」と思われそうだが、旧車乗りにとってもっとも苦手な季節は、エンジンのオーバーヒートの懸念がある夏であり、冬のオープンカーは、ヒーターを稼働させれば腰から下は少し暖かいwし、空気が澄んでいるのでエキゾーストノートが気持ちいい。
そして、真冬に乗るには防寒のために何らかのキャップとゴーグルが必要だと思い、いろいろと探してこれ↓を購入した。
L.L.bean Mad Bomber Hat
これは真冬に我が愛車に乗る時は必需品だった。
しかし必需品だったのは、真冬のオープンカーに乗るときだけで、普段は暖かすぎて着用しなかった。
一度真冬の粉雪が降る晩の飲み会にかぶっていったら、周りから「どこの雪国から来たんだよw」と言われたのでした。
とても気に入ったので、友人へのプレゼントにと思い数年後にサイトを調べたら同じ商品はなくなっていたが、あまり売れなかったのかなあ。
実は、最初にLサイズを注文したのだが、僕の頭には少し小さく感じ、「アメリカンサイズのLで小さいのかよ!」と軽いショックを受けw、その後XLを注文した。
外側は牛皮で頭の内側部分がポリエステル、耳と頬の部分はウサギの毛でとても暖かく、鼻の下とあごにヒゲを生やしている僕は遠くから見たらスターウォーズのイウォークのようだったかもしれない。
イウォーク
で、その英国旧車を手放したのは、5年ほど前、雨風をしのげるガレージがないところへ引っ越すことになり、手塩にかけた車を泣く泣く手放しました...。
そして現在の我が愛車、1999年型ラングラー ジープ TJ スポーツ↓
(この日干ししている状態w↑は運転席、助手席の上のみ幌がかかっている)
これに乗って真冬の猟場を走る時は、幌のビニールが曇っていて見づらいため、ジッパーを下ろして運転席&助手席の窓のみ全開です。
体のほとんどが露出していた英国旧車とは違い、雨漏りはするが一応幌に覆われた我がJeepの場合、頭の防寒はウールのニットキャップかツイードのキャスケットで充分に間に合うので、ここ数年かぶっていないこの帽子、先ほどタンスを整理していたら目にとまり、来季の冬こそはJeepの幌を全て下ろしてかぶって走ろう、と思ったのでした。










