東京電力福島第一原発から南に十六キロ、福島県楢葉(ならは)町の国道6号沿いに、瓦ぶきのそば店がある。二十六年前、山内悟さん(60)が構えたが、原発事故で四年間閉じたままになっている。町は今春にも帰還宣言を検討するというが、人が戻ってくるのか、カビが生えた食器はどうするのか、水の安全性は大丈夫か、山内さんの苦悩は尽きない。 (大野孝志)

 山内さんは都内の区営住宅に避難し、この四年は近所のそば打ち教室で手伝いをしてきた。十日、一カ月ぶりに店に立ち寄った。そばを打つ部屋にはクモの巣が張り、座敷はネズミに荒らされていた。流しや食器はカビとほこりで白い。

 しかも、裏の窓ガラスが割られていた。誰かが店に忍び込んだようだ。盗まれた物はないが、怒りを覚えた。「不届きなヤツがいるもんだ。この店は俺の生きた証し。心の支えなのに」

 妻(52)と長女(33)の三人で切り盛りしてきた。近所の自家製野菜で作る天ざるが自慢だった。器にもこだわり、一つ三千五百円もする丼を少しずつ買いためた。流しやゆで釜は丁寧に手入れして使ってきた。

 大切な商売道具の損害賠償として、東電に千二百万円を申請したが、二百万円程度しか認めないとの回答だった。納得できず、まだ合意していない。

 いつかは町に帰り、この店で再びそばを出したい。だが、水や食材の放射能汚染が心配だ。次女(16)は高校二年生。放射能を気にせずに暮らしたい。「帰るか、帰らないか、どっちかにしないといけないんだよな…」。自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 国道6号を北上し、隣の富岡町に入る。そこで二十七年前からうどん店を営み、いわき市内の仮設住宅に避難している渡辺洋さん(63)も悩んでいた。

 自宅は楢葉町にあり、汚染の程度から、帰れるのかどうか、はっきりしない。どこで店を再建すればいいのか、決められない。事故直後は貸店舗を探し回ったが、条件が合わなかった。最近はつい、マイナスの要素を考えてしまう。

 この年齢で、借金してまで、知らない土地で一から出直すのか。店を再開しても、うまくいかなくなったら周りに迷惑をかける。自分の体も続くかどうか。

 現在は無職状態。避難指示が解除されれば、事実上の生活費になっている賠償も打ち切られる。「生活を再建しなきゃいけないことは、分かっているんだけど…」。天を仰いだ。