人口の高齢化に伴って、認知症の波が忍び寄っています。認知症患者の介護は容易ではありません。ルイ・セローが取材しました。
 ナンシー・ヴォーンは可愛らしく陽気な話し好きで、私を好意的に迎えてくれました。90歳近くになっても輝きと魅力はそのままです。ニューヨークでモデルとして活躍していた頃には、多くの人々が彼女の美しさに思わず振り返ったに違いありません。しかしナンシーは、問題を抱えてもいます。自分の名前、(62年以上も)結婚しているという事実、あるいは簡単な言葉のいくつかを始終忘れてしまうのです。ナンシーはアルツハイマーが進行した段階にいます。

 晩秋のある晴れた日、私は、ナンシーと彼女の夫であるジョンをアリゾナ州フェニックスの自宅に訪ねました。キッチンで和やかに話をしましたが、あのときの様子しか知らなければ、ナンシーが精神的に健康だと信じてしまったかもしれません。ナンシーの微笑みは今でも愛嬌があり、身体は健康で、時には短い会話も交わすことができます。忘れっぽくなったりしていないかと聞くと、ナンシーは「ないわよ」ときっぱり答えました。

 ところが、ジョンが具体的に、「ナンシー、君の名前は何だったかな?」と尋ねると、彼女は少し困惑した表情を浮かべました。名字を聞かれて、ナンシーはやや自信なさげに「ブレッド」と答えました。旧姓なのかもしれないと思いましたが、彼女の旧姓はジョンソンだそうです。
 ナンシーとジョンの生活は、いろいろな意味で非現実的で、ストレスに満ちています。ジョンは自分の名前を書いた名札を付けることにしました。ジョンが誰なのかナンシーにわかるようにするためです。

 さらにジョンは、2人の結婚写真をキッチンの壁に貼っています。そうすれば、ナンシーの記憶が混乱しているときでも、2人は夫婦だと彼女に納得させることができるからです。ジョンは一日中ナンシーの面倒を見ています。彼らには子供がなく、介護の負担を分け合える家族はいません。それに、ナンシーを介護施設に入れる金銭的な余裕もありません。

身 体は大人なのに幼児と同じくらい手のかかる人を88歳のジョンが24時間介護しているのです。
ジョンとナンシーのケースは、決して特別なわけではありません。人口の高齢化が進むのに伴い、認知症はゆっくりと動く津波のように私たちに向かって押し寄せてきています。
 65歳以上の米国人の8人に1人が、認知症の最大原因であるアルツハイマー病を患っていると言われています。85歳以上ではほぼ半数です。医学の進歩によって私たちの寿命は伸び続けていますが、精神面の治療はそれに追いついていません。

 フェニックスほど、そうした現実をはっきりと示す場所はありません。フェニックスが、一年中太陽が降り注ぎ、暖かく乾燥した気候に魅かれた米国の高齢者のメッカとなって久しくなりました。
 今やフェニックスは、記憶に障害を抱え混乱した人々の中心地のようになりつつあります。したがって、フェニックスが認知症患者のケアや治療方法で先駆的でもあるのは、偶然ではありません。

 24時間体制の介護を必要とする人々の多くが向かう先の1つが、ビアティチュードです。ビアティチュードは高齢者が居住するゲート付きの複合施設で、多くの建物の中には記憶障害者をサポートするための別館があります。ビアティチュードの入所者のほとんどが重度の記憶障害を抱えていて、今では自分で自分の面倒を見ることができません。混乱することも少なくなく、時には妄想を抱くこともあります。存在しない侵入者を見たと思いこんだり、財布が見つからなければ誰かに盗まれたに違いないと考えたりするのも珍しくないのです。

 ビアティチュードの介護職員は、ブラッドフォード大学の心理学者故トム・キットウッド氏のアプローチを一部採り入れ、入所者の妄想を否定しない(さらには調子を合わせる)、対立を避ける、衝突を減らす、気晴らしや楽しい活動を行うことで苦しむ入所者の関心を「よそに向けさせる」、という方針をとっています。

 また、スタッフは投薬をできる限り行いません。入所者の奇行や病気の症状に柔軟に対応しようと努めています。ですから、入所者がどうしてもしたければ夜に廊下を歩き回ることを認め、各自の好きな時間に入浴や食事をして眠ることができるようにし、スナックやチョコレートも昼夜を問わずいつでも食べられるようにしているのです。

 私はビアティチュードでほぼ2週間を過ごし、職員たちの対応をじかに観察しました。
滞在中に知り合った人々の中にゲーリー・ギリアムという人がいました。69歳のゲーリーは、若い頃は歯科医として成功し、軍に入隊していたこともあったそうです。
 初めて会った時、ゲーリーはビアティチュードに入所して数カ月が経っていました。記憶が戻ったり消えたりする中、ゲーリーはほとんどの時間を、自分がまだ軍用基地に駐留して歯科医を営んでいると思い込んで過ごしていました。ゲーリーは朗らかな面白い人で、いつも冗談を飛ばしていました。そのため、彼の認知症がかなり進行していると気付くのにしばらく時間がかかりました。

 ゲーリーは短期記憶に問題があると話していましたが、自分が介護施設にいることは全く認識していませんでした。しかし、職員はゲーリーの言うことを否定せず、彼の頭の中の現実に穏やかに話を合わせていました。何度となく、特に夕方になると、ゲーリーは「基地」での勤務時間が終わったと思うようです。ゲーリーは荷物をかばんに入れて、出口を探し始めます。

 職員は、ちょっと夜遅くなってしまったから、外は暗いから、朝までここにいた方がいいですよ、などと言って、もう1晩泊るようゲーリーをなだめていました。あるいは、ゲーリーに歯を診てくれないかと頼むこともありました。そう言われるとゲーリーは歯科医モードに切り替わり、しようとしていたことを忘れるのです。ゲーリーもやはり自分が結婚していることを忘れるようになっていました。30年近く連れ添った妻のカーラは元気で、頻繁に訪ねて来るにもかかわらずです。

 ゲーリーは、グループでは数少ない男性だったので、女性に引っ張りだこでした。ゲーリーにはガールフレンドが2人いて、彼にぴったりと寄り添っているのですが、彼らがどの程度親密なのかははっきりしませんでした。このかなり奇妙な三角関係―2人目のガールフレンドを含めれば「四角関係」―を観察する機会がありました。カーラとゲーリーの面会に立ち会わせてもらった時のことです。カーラがゲーリーに、ガールフレンドの1人を連れてきたらどうかと言ったのには驚きました。

 その方が楽しく過ごせるでしょうとカーラは言いましたが、自分といるよりも新しい友達といる方がゲーリーは好きなのだとほのめかしているようでした。それだけでなく、カーラはアルツハイマーを患う人を愛する痛みや不自然さを、どうしても私に理解してほしいと訴えかけているように感じました。

 ビアティチュードにいる間に目にした中で、最も強烈な印象を受けたのは、デイヴィッド・ワトソンという青年が彼の母親であるゲイルを見舞ったときの様子です。ゲイルはさほど高齢ではありませんでしたが、認知症が極めて急速に進行していました。ゲイルが入所していたのはビアティチュードの記憶障害者サポート施設の4階、最も重度の患者が暮らす場所です。
 身体は健康なのにもかかわらず、ゲイルはもう全く話すことができず、廊下を徘徊してはしょっちゅう物を拾い、人に近づき、意味のない音、「ガラ」と言っているように聞こえる音を延々と発しています。

 デイヴィッドは昔の写真を母親に見せようとしました。抱きしめてうろつき回るのをやめさせようとしました。しかし、私が見る限りゲイルがそれを認識した気配はあまりありませんでした。
 デイヴィッドの姉妹はもう訪ねてこなくなったそうです。「辛いですからね」。けれどもデイヴィッドがそう言った瞬間、ゲイルは彼のそばに寄ると彼の顔を両手で包みこみました。「だから母に会いに来るんです」。見るからにデイヴィッドはうれしそうでした。「たまにこんなことがあるから、来てよかったと思うんです」

 フェニックス滞在も終りに近づいたある日、ジョンの姿に感化された私は、半日ナンシーの面倒を見たいと申し出ました。ジョンにつかの間でも休みをあげたかったのもありますが、それより何より、ジョンが毎日どんな経験をしているのか垣間見たいと思ったからです。
 介護者としての義務は果たしましたが、様々なことがありました。ナンシーとキッチンでボール投げをしてコップを一つ割りました。散歩に出かけたものの途中であきらめました。
 ナンシーは時折、私が誰で、家の中で一体何をしているのか当惑していました。しかし途中からは、音楽を聞いたり、一緒にお昼ご飯を食べたり、写真を見たり、ちょっとしたハプニングに一緒に笑ったりして何とか楽しく過ごすことができました。

 ジョンが帰宅してお役御免になった私は、かつてのナンシーがどれだけ残っていると思うか、ジョンに尋ねました。ジョンは、かつてのエンジニアらしく、明確な数字で答えてくれました。
 「30%です」と言うとジョンは自分の頭を軽く叩き、こう続けました。ナンシーの失った部分は、自分の記憶の中にまだしっかり残っていると。不思議なほど、愛情に満ちた瞬間でした。

 認知症がもたらす深刻な影響を目の当たりにするのは、ひどく心が痛みます。病気のせいで人が混乱したり記憶を失くしたりすることなど、誰も望みはしません。けれども悲しいことに、人口統計学的な理由から、人生においてそういう経験をする可能性が高まり続けているようです。
 しかし、フェニックスに滞在してみて、何かしらのプラスの要素を忘れてはならないことを教わりました。認知症によってどれほど多くが奪われたとしても、何かが必ず残ります。言葉や記憶を超えた人格であり、魂であり、うまい言葉がみつかりませんが、その人はかつてのその人であり続けるのです。

 病気に直面しても、正しいサポートが得られれば、ほとんどの人々は学び、適応し、親やパートナーを愛する新たな方法を見つけることができるのです。

BBCニュースサイトより