勉強ってなんですか?
実際のところ、何処までが勉強ですか?
学問に努め、励むなんて言ってますけどね、所詮は拷問ですよ。
大体、勉強を快くやれる人にとっての勉強は、勉強じゃないんですね。
それは趣味なんですよ。
なんら、趣味なわけです。
じゃあ、勉強って何?ってなったところに、呼応のように拷問とくるわけです。
よくよく考えても、勉強なんか普通の人がしたい訳がないんですよ。
と、いうよりも、勉強という言葉のニュアンスから見て、勉強をしたい人がいるはずがない。
いたとしても、それは学問という苦しいものに努めたいわけではなく、学問をするという楽しみに努めたいのです。
そんな言葉から消極的なものを強要する親や先生は、一体なんなんだろうと心底思います。
勉強が将来的に役に立ち、実際は自分に貢献している、いわば自業自得的なものなのは理解しています。
しかし、それは可愛い子には旅をさせよの原理ですよね。
その考え方をしていない人(親)も勉強は強要するということが現在はあります。
よくわかりませんね。
今、というものに勉強という固定概念が変に植え付けられてしまっているのが返す返す遺憾ですね。
まぁ、読んでたらあら不思議。
唯の勉強したくないっていうのろけなんですねぇ。
とりあえず、テストはやだ。