社会性不安障害(SAD)という病名を目にしたのはつい数年前のことです。





私がSADを発症したのは今から20年前。
(当時はそんな病名ありませんでした。)
14歳の中学3年生、1学期から2学期にかけての頃でした。





きっかけは授業中にお腹が鳴ったこと。

初めの頃は少し恥ずかしいという気持ちが

毎日授業中にお腹が鳴るたびに


どんどん恥ずかしくなってきて



お腹がまた鳴りそうだ、と思うとお腹が痛くなったり、
冷や汗が出てきたり
とても授業に集中出来る状況ではなくなってしまったのです。




ある日もまた授業中にお腹がなりそうになり、グゥとなった瞬間
お腹の中にある爆弾が爆発したようなパニックに襲われ、目の前が真っ白になり教室から飛び出してしまいました。




当時高校受験を控えていたにも関わらず

たかがお腹が鳴ることによって

私の人生は大きく狂ってしまいました。




お腹が鳴らないように、朝ごはんを大量に平らげるようになり、(腹持ちがいいもの、ご飯ジャガイモお餅唐揚げなど)、52キロだった体重は65キロまで増えてしまいました。



学校を休みがちになった私を心配して
親や先生や友達にさえ理由を聞かれても
「お腹が鳴って恥ずかしいから」
などと言えるはずもなく


次第に学校に行かなくなった私を、母が精神科に連れていきました。




首を傾げながら精神科医が14歳の私に処方した薬は


精神安定剤、睡眠導入剤でした。




そして毎朝、お腹が痛くなるので母と胃腸科内科に行き、バリウム検査もしました。

私は自分が学校に行きたくないからお腹が痛くなるのだ、とわかっていましたが

とにかく母は私を学校にまた通わせたくてできること全てをしてくれていました。



幸いにも(?)私の十二指腸に潰瘍が見つかり、十二指腸潰瘍という病名をいただけたので、私のことをサボりだと思っているクラスメイトに病名を告げる事ができたのでした。




実際には授業の時間を割いて、私は不登校になっていたので、先生が黒板に「十二指腸潰瘍」とチョークで書いて、クラスメイトに説明したとのこと。


その時、仲の良かった友達が私のことを応援すると発言してくれたとのこと。



あとになってクラスメイトからきいた時に嬉しかったのを今でも覚えています。






精神科で処方された大量の薬を飲みながら、それでも高校受験はしなくてはならないので
母は家庭教師をつけてくれました。先生は医大の学生でした。



家庭教師は1時間5000円。それを1日3時間程度。
すごく高いのに、母はお金の心配はしなくていいからと、家庭教師と勉強する時間をたくさんくれました。




おかげで志望校だった高校に受かりましたが、

当然根本的な私のお腹が鳴る問題は何一つ解決できませんでした。




続く