11月26日。2011年度岐阜ブロック協議会最後の会議が多治見市セラミックパークでありました。
会議は順調に可決されていき、定刻に終了。
石川ブロック会長、井上専務、小川事務局長、蓑島財政局長、事務局員の皆様、本当に一年半に及ぶ運営、お疲れ様でした

この一時、自分も4年前に体験しましたが、感無量で最後の挨拶で井上専務が言葉を噛み締めて発生する気持ちがよくわかりました。感動的な場面であり、苦労した歳月が報われる時でもあります。
最後に18会員会議所理事長から石川ブロック会長に感謝状が送られ会議は終了しました。

美濃JC の皆様、とても素晴らしい運営でしたね、心より祝福申すあげます。

そのあとは中長期策定懇談会→新旧合同懇親会となります。
懇親会ではブロック会長から2011年度ブロック役員、理事長、専務理事全てに記念品が送られました。
石川ブロック会長の気配りは大したもので、誕生日にも贈り物をいただいております。
素晴らしい会長に出会えた事に感謝しています。

そして

日本一の財政の称号を受けた蓑島財政局長の満面の笑顔


一年間LOM と僕を支えてくれた下牧専務。
みんな忍耐強く頑張っていただきました。

一年間お世話を掛けました。どうもありがとう。そしてこれからも宜しくお願い致します。




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23日は暦での二十四節気の一つでもあります『小雪』雪の結晶
翌日の24日は、ここ白鳥の北部では朝から雪が舞う寒い日となりました。
数日前から霜が降りはじめ、そろそろ雪の便りも・・・
何て思っていたところでの降雪となりました。
慌てて冬タイヤに履き替え、北の目的地に向かうと

一面の銀世界。今年初の景色にみとれ、冬の始まりを実感しました。

この辺りの冬は寒さも厳しいですが、建築業にとっては仕事上でも厳しい時節です。
毎年冬の乗り切り方が悩ましい所ですムムム



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11月23日(祝)
57年の歴史に終止符を打つ決断をした(社)神岡青年会議所の解散式に、蓑島君、下牧君、自分の3人で行ってきました。

国政の来賓、行政の来賓、先輩方、ブロック役員、各LOM理事長専務と、大勢の方々が参集されての式典となりました。


白木理事長は最後の挨拶で『確かにJCという枠は無くなるけど、シンプルな体制に成ることで、この地域を守っていくよう更に注力する』と申され、57年の幕を降ろす覚悟を決められた胸中を語られました。

白木君とは2004年に同期専務理事という事もあり、仲良くしてもらっていたし、出向先でもよく出会ったので、彼がどんどん成長していく姿に敬意を持っておりました。
そして今年同期の理事長として再会しとても嬉しく思っていました。


クロージングではLOMの『承認証書』を日本JC に返却して、神岡青年会議所として役目を修了しました。


式典に続き、解散式懇親会が挙行されました。
乾杯からしばらくして、
新しい門出を祝い『めでた』の披露がありました。飛騨に伝わるこの『めでた』。高山、飛騨古川、神岡、それぞれが独立した形で伝承され、今でもお祝い事には欠かせなそうです。


約2時間の懇親会は瞬く間に終了し、神岡の街に静けさが戻りました。
初めて体験する解散式。確かに門出を祝う場面だろうけど、ブロックや地区でもう神岡の人には会えなくなると思うと寂しくてなりません。
出会った人はみんな忍耐強くいい人ばかりでした。
今まで本当にお疲れ様でした。
これからも良いライバルとして生涯を過ごして参りましょうね。  


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11月20日(日)毎年恒例のイベントであります、『美濃JC・郡上JC合同じゃがいもコンペ』がありました。
昨日までの雨も上がり、小春日和となった最高の日です。
僕も1年ぶりにゴルフができて嬉しくてたまりません。10年前に揃えた道具も、ピカピカ輝いて新品同様でご機嫌ですビックリ


スタート前、プレーヤーたちは練習に余念がありません。
数名いる数年ぶりプレーヤーは完全に諦めモードで練習無しのぶっつけ本番かお
無駄な体力は使わず持久戦に備えます。


木村理事長の挨拶


石川ブロック会長の挨拶に続き、始球式です。
当年度理事長という事で、木村理事長と自分が始球式を努めます。
何とか前に飛んで無事終了。
試練はまだ続きます。
本日最初で最後となるであろうオーナーであります悔し泣き
なんという引きの弱さ。こうなれば覚悟を決めて渾身の力で振るしかない。
タンメラメラタンメラメラメ~ンドンッ
20m程前に転がったボール。
まあまあのスタートを切れましたはた
最初の3ホールは二桁が続き、涙目になりながら試練に耐えますむっ
天気とか景色とかは目に入らず、ひたすら自分のカウントを数えながら辛抱し、4ホール目からやっと両手あれば数えられるようになりました。
前半を69で折り返し後半に。
結局140という、遼君のほぼ2倍のスイングをしてフィニッシュううっ...
同じパーティーで回った木村君、小川君、可児君もあんまりゴルフはしない人だったので、物凄い威圧感とかは無く、まぁ楽しい1日になりました。
来年は郡上幹事での開催となります。可児次年度予定者は『もうゴルフは辞めてもっと大きいボールを使うコンペにするきらきら!!』と申しておられましたので期待しています。

懇親会が始まりました。

優勝は美濃JC別府先輩。
しかも上位は美濃JC が独占です。
これはいけない。『第1回ボウリング大会』が現実的になってきたビックリ
ちなみに・・・
僕はBBニコちゃん
いっつもドベばかりで悲しい思いをしていただけに、このBBは嬉しかったです。



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1ヵ月以上も前になるだろうか。
八幡中学校の先生から郡上JCに講演の依頼がありました。
文化祭の前半で、全生徒を対象に「地元ので活躍する人の話を聴かせてほしい」とのこと。
断る理由も無いので快く承諾し、事業所を代表する3名にお願いしたところ快諾いただき、11月17日講演会当日を迎えました。


3人とも特に緊張した様子もなく、雑談しながら出番を待ちます。
10:30体育館に移動し、いよいよ講演会が始まりました。
僕はというと・・・
頼もしい3人に任せ、中学校を後にしました。
本番の話は聞いていませんが知っている範囲で説明します。
1年生担当猪島慎介君。『私が目指すサービス業』
2年生担当三島一貴君。『将来のために、今何をするべきか!』
3年生担当中尾秀樹君。『地域と建設業の関わりについて』
それぞれが学校側の狙いに沿った講演をするわけであり、各15分の時間内で伝えなくてはなりません。
多感な時期の中学生に伝える事の難しさは大変なもですが、
『ハイビックリマーク喜んで』精神で引き受けてくれた3名の皆さんを心より頼もしく思いました。ご苦労様でした。





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遡ること2週間。11月13日(日)に第49回郡上市駅伝競争大会が、白鳥のふれあい創造館をに於いて開催されました。

一般男女、高校男女、中学男女、ジュニアの部に総勢56チームが参加する盛大な大会です。しかも今年49回目のという事で歴史もあります。
ここ白鳥が舞台になったのは3年前の第46回大会からで、まだまだじゅうみんの皆様の感心は少ないようです。
最多出場は中学男子の24チーム。続いてジュニアの18チームで、会場内も初々しい空気です。
来賓の皆様のご挨拶

に続きいよいよスタートです。
午前9:30号砲とともに自慢の健脚を競ってスタートです。
僕は子供がジュニアの部に出ているので応援です。


早速区間スタート地点に向かい襷を待ちますが、北風が強くまぁ寒い寒い。
そんな中走者が駆け込んで参りました。

息を切らし必死の思いで襷を繋ぎます。因みにジュニアは約5kmの距離を5人でリレー、平均1kmの走行です。
疾風のごとくリレーされ、急いでゴールに向かいましたが、あまりの早さでゴールテープをきる瞬間には間に合いませんでした。
子供たちのチームは15位でしたが、うちの子供は2人抜かし鬼むっの形相でアンカーに襷を渡したと、同じチームの方に聞きました

午後からは親子野球大会。一年の終りを締め括る毎年恒例のイベントです。

お父さんもお母さんもメチャクチャはりきってますガッツしかし・・・
空回りする気持ち、もつれる脚、投げても飛ばないボール。
大人げないムンクの叫びと言われながらも、何とか3連敗は逃れました。



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JAYCEE力開発委員会が贈る2回目の例会。5月に前編を行い半年の自己実施期間をはさんで、この11月例会で検証していきます。
講師にはISOコンサルタントをしておられる地元八幡出身の尾藤純先生をお招きし、まずは会社経営のマネジメント講演をしていただき、そのあとに小グループに別れて、それぞれの目標にたいする検証を行います。PDCA サイクルに当てはめ、5月例会で計画した目標を6ヵ月間で実施、今回は検証という事になります。
まずは尾藤先生が解りやすい資料を使って経営マネジメントの講習を60分程行いました。初めて聞く言葉も多く、自分の無教養が情けなくなったのは事実です。
明確な目標をたて、会社一丸となって達成していく事、まずはお金も技術もかからないところから取り組んで行くこと等、とても面白い講習会でした。
後半戦のグループ検証は、それぞれさすがに経営に携わっている方ばかりだなと、感心しました。
社会人になり、会社を存続させて行く事には年齢などは関係なく、実行するか否かといったところが勝負の分かれ目だと思っています。
厳しい社会ですので、日々勉強。
頑張っていきましょう。

高井委員長を始めJAYCEE力開発委員会残った皆様、なかなか良い例会でしたね、お疲れ様でした。




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11月6日(日)、郡上JC として管理している3ヶ所の山の手入れを行う事業がありました。
前日のBC野球大会、小雨が降る影響などもあってか参加人数も少ない中での開催となりました。
担当委員会、輝く未来創造委員会河合委員長の挨拶を聞いて森へと移動。まずはJC の森。代々引き継がれて来ている杉林で昨年までに間伐、枝打ち、境界杭の設置などほとんどの監理を終えており、40年後の伐採を待つといった状態であります。
ここでの目的は森の認知ですのであまり時間はかかりません。

続いて向かったのは、9月例会で植樹した西坂溜池。
まだそんなに時間も経っていないので、植樹したそのままの状態でありました。肥料をまいて作業終了。だんだん雨も強くなってきたので、いそいで最後の目的地に移動した。
もともとスキー場だった跡地に植樹して森にしようと2006年に地域の子供たちと一緒に植樹した所です。また2007年、BC 会長輩出記念植樹もしており、思い出深い場所でもあります。
合計で57本の柿・梅・桜が植えられていますが、現存しているのは3本のみ。
とても悲しい状況で、一時はここを破棄して残った樹木を移設することも検討されましたが、何とか維持してもらっていますが。
本当なら雑草の下刈をする予定でしたが、雨のため中止しました。
雨の中ご参加いただきましたメンバーの皆様お疲れ様でした。




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市街地から少し離れた場所に移動したところでの作業です。
ここにも小さいながら集落があり、ここの場所で暮らしていた人も家も全てのみ込んだ津波の恐ろしさが伝わって来ます。この場所に来るまでの15分だってそう。
沿岸部は跡形もなく全てが波にさらわれ、コンクリートの基礎だけが残っている景色がどこまでも続く。
自然というものの残酷さを痛感した。相当な時間が経っているにもかかわらず、その時のまま残っている爪痕を見ると心が痛く言葉にも出したくない感じがたまらなく辛い

作業開始の前にリーダーが注意事項を伝えた。『多くの人が犠牲になった所です。写真を撮る事は、地元の皆さんの感情を考えてご遠慮くださいね』
確かにそうだ、自分達が通ってきた道も、今立っているこの場所も、そういうところなのだ。

作業は午前・午後合わせて大体5時間ほど。100人近い人が黙々と活動し、その辺りはキレイになった。しかしこれで終わりではなく、ここの場所に人が暮らし始めるまでにはまだ相当な作業が必要だろう。
ボランティアの仕事はまだたくさんのあります。まず一度行って自分の身体で感じる事が大切だと思います。そこから全てが始まると思います。
活動を終えてVC に戻る車窓から、3月11日のニュースで見た景色を見た。大破した建物、3階部分まで窓ガラスが無いたてもの、地盤もかなり沈下しており、満潮時には道路も冠水している。
地元の方と思われる数名の人達が集まって話をしている姿を見たときには、なんか少しホッとしたのも覚えている。

全ての活動を終え、約束していた気仙沼JC 藤田理事長の所に向かった。今日はブロック会員大会の代替え事業で、佐藤ブロック会長をはじめ、宮城ブロックの皆さんが近くの公園でイベントをやっているとのこと。
短い時間でしたが、LOM メンバー全員でご挨拶して、些細ではありますがお土産を渡して来ました。
気仙沼JCは少しずつだけれども、動き始めているそうです。もう少し時間はかかりそうだけど、頑張っていくそうです。
力一杯の応援、お願いします。

災害支援ボランティア。自分が思うに現地で活動する事も大切だけれども、出来る限りの現地に行く事が、被災された皆さんにとっても嬉しい事なのではないかと思います。作業をしていると車で通って行かれる住民の方をから『ご苦労様』とお礼を言われました。もしかしたら『ここに来てくれてありがとね』という事なのではないかと思いました。





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10月28日金曜 午後8時。
大きな荷物を抱えて集合時間を待たずに皆集まって来たキラキラ
たくさんの荷物と11の魂が搭乗すると2台のワゴンは満載、僕も含めみんな高揚しているのがわかった。
全員集合キャッ☆1泊3日弾丸ツアー、いよいよ始まりますうれしい

東海北陸道白鳥IC 20:30。きつくアクセルを踏み込み北上、一気に岐阜県を脱出し石川県に入り城端SA で最初の休憩です。どうやら1号車のファーストクラスシートでは宴会が始まっているようで、絶好調の先輩方カクテルグラス

800kmの往路、いずれは順番が回ってくるであろう者たちはコーヒーをすすりながら、運転順の駆引きに余念がありません。今やるべきか、寝るべきかぐぅぐぅ、一緒になってビール
2号車でも牽制が始まっています。しかしえ゛!この時は誰も予想していなかった事実がダッシュ
アンダー40で全行程中一度もステアリングを握らず済ませた人が居るのです。しかも2人もムンクの叫び

次の休憩まで約二時間、睡魔との闘いを制した僕は運転手という呪縛から解き放たれました。2号車のドライバーは大川君に交代し真っ暗な道をぶっとばします新幹線
深夜2時過ぎ、東北道に入り福島県安達太良SAで休憩。ここで確か2号車3人目のドライバー、池戸君に交代したような気がします。このまま東北道を北上し、仙台市の手前で仙台東部道路に進み更に北上。
5:30南三陸町手前の辺りまで来ました。ボランティアセンター受付まで時間も少しあるので、ファミレスで朝食。再び大川君の運転で一時間程の道程を現地に向かいました。


8:00。800km10時間を踏破し、南三陸町VC に到着しました。早速下牧
君が受付に走り本日の作業内容を受け賜って来ました。



今日は週末だからか凄い人です。VCにはおおよそ300人を超えるであろう人達が。観光バスで来ている団体、個人、何週間に渡って活動しているベテランまでたくさんの人達まで様々。自分達の班は約90人で、VC から少し離れた岬の反対側での作業ということです。各自自分達の車での移動で、2号車には南三陸町VC で3週間以上にわたって活動してみえ、富山県から来ておられる方が同乗されました。15分位の移動時間にたくさんの貴重な話をしてくださいました。

後半につづく












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