as your feeling

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Guitar School EML 講師 今野のブログ。
音楽ネタや日々のちょっとした事(こっちが大半?)を
つらつら、つぶやいていきます。

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基本的に
ネガティブな感情は電波に乗せないようにしています。
普段から、SNS投稿の3倍はネガティブな感情に包まれています。

が、たまには書いてやろうと思っています。
何故なら珍しく家で飲んでいるからです。

僕の事を知っている人は驚くでしょう。
何せ、お歳暮で頂いた缶ビールの賞味期限を切らす男です。







今日はふと、振り返ってみたのです。


何がやりたかったんだっけ、と。

そもそも、なんで音楽やってんだっけ。





実を言うと
楽器を始めたきっかけ、というのはあまり覚えていないのです。

友達の家にあったのを見て、という話は聞いたのですが(その友達から)
正直、その時の事は覚えていません。

ただ、記憶にあるのは
無性にギターが欲しくなっていた事だけ
それまで音楽なんて聴きもしなかったのに、です
CDの一枚すら持っていない子供でした。



親にねだって買ってもらいました。
ヤマハのアコギ。
2000年4月1日。
中学2年生になった日でした。
新所沢パルコの島村楽器。
ユニクロのジーパンジージャンに黄色いTシャツを着ていました。
なんでそんな事まで覚えてんだ。



それまでこれと言った趣味も無く
周りの流行り物にも、なんとなくは手を出すものの
そんなに関心も持たなかった
そんな僕が

どういう訳か、ギターだけは飽きもせず
無心に弾いていたのは覚えています




高校に入り
バンドを始めます

それまで音楽の仲間もいなかったので
人と演奏するのがまぁ新鮮で楽しかったのは良く覚えています。

そこで一人の友人に出会います

中学から吹奏楽でずっとやってきた彼
高校でもバンドも吹奏楽もやり
音楽ばかりやっていて
それも僕よりも遥かに高次元のところで



そんな彼に刺激され

単に楽しく、から
より高いレベルへ、と

音楽に求めるものが変わっていきました。

そして、練習のため、と
クラシックギターオケの部活にも入ります。


オーケストラ組む楽器じゃねぇよ、と冗談半分に小馬鹿にする事もありましたが

いまになって思うと、当時の経験は現在の自分の感性にかなり影響している様に思います。

最終的には、それなりな賞を取るくらいには取り組んでましたし。



その頃からエレキギターもレッスンに通う様になりました。

気付けば高校生活、ギターしか記憶にありません。
カラオケとかボーリングとか映画とか
高校の友人達がしていた様な遊びは、した記憶が無い。

まぁ面白くない学生生活を過ごしてしまったものです。
ちょっと後悔しています。











その頃には

音楽の道に進む、と言うことを
少し、意識し始めていました。


でも
演奏でプロになる、という自信はありませんでした。

そこで、ギターのクラフトの学校に行こうとしました。

しかしそれも果たしてそれでいいのか
確信が持てずにいました。


そんな様子を良く見ていたのでしょう
やはり大学には行けと
親に諭されます

高3の2学期。
もう夏休みも終わっていました


半ば自暴自棄なまま
翌日に、既に一度校内選考を終え
余った大学が張り出された指定校推薦一覧から

自分の成績で行ける一番内申点の高い
名前も聞いた事の無かった大学を選びました。


僕の大学受験は二日で終わりました






そんな投げやりな気持ちで行った大学なので

ロクに成績も取れませんでした

2年後期は0単位でした
休学とかしてないのに。


さすがに親にも
無理して行く位なら大学辞めるかと問われました


そこで辞めて音楽の道に進む事も出来たかもしれません
でもその度胸もありませんでした

なのでずるずると大学に残りました





結局大学の卒業には5年かかりました。
5年目の分の学費は妹の学資の積み立てから借りました。

それを返さないといけない
という言い訳の元、音楽の道には進まず就職しました。




就職する時に、自分に条件を課しました。

25歳まで、仕事をしながらでも毎日練習出来て
それだけの熱意を保てるのなら、仕事辞めて音楽やろうと。




そしていざ25歳になった時

正直、自分に課した条件は果たせていませんでした。
そもそも毎日のように朝から26時まで働いてたりしてたので
どうしたって無理な面もありましたが





とはいえ

きっと年齢的にも最後のチャンスだろうと。









少し、話は戻りますが

中学の頃、僕は剣道部にいました

入部した時は、普通の部でしたが

当時の3年生が引退した夏
顧問が変わりました

校内有数のスパルタ部に激変しました
聞いてねぇよ、的な

女子の先輩は胃潰瘍になる人も何人か

そんな中、変に顧問に期待された僕は
より一層、スパルタに扱かれてました


おかげ様で完全に気を病みました

24時間、部活行きたくない、しか考えてませんでした

ある日、部活で足を骨折したのを気に
逃げる様に辞めました





結構、それがトラウマになっています。



そして、これまで3回
音楽の道に進むチャンスから逃げた事が

部活から逃げた事と、なんだか重ねて見えていました。





逃げたままで終わらせたら
きっとこの先の人生、ずっとトラウマ抱えて生きるんだろう

これが最後のチャンスだろう

ここで挑まなかったら
きっとどうやったって前を向いて人生進めない





そう思い

会社を辞めて音楽の道へ進みました。

自分がどこまで通用するのか
試してやろうと。





僕にとって音楽は
過去の自分との戦いなんでしょう。

他の何かでも良かったのかも知れませんが
僕にとっては、たまたま音楽だったので






そう考えると

音楽が好きで好きでたまらないからミュージシャンになりました!!
っていうミュージシャン(普通ほとんどのミュージシャンがそうだと思いますが)とは

音楽やってる動機がちょっと違うんだろうなぁと

いや、もちろん音楽は大好きです。当然ながら。

あくまでも、動機の話ですよ








と、そんな訳で

2012年8月31日付で
就職していたメーカーを退職し


同9月1日から
ミュージシャンとしての活動を開始しました。



僕、まだキャリア4年なんですね。
同い年で18からプロ活動してる人はもうキャリア12年ですからね。中堅ですよ。

まぁなんたるハンデ。









奇しくも今年9/1は
リーダーバンドでのライブがありました。


あまりこういう所で書くべき事ではないですが
課題の残る
あまりにも多い
一日になりました。




時期尚早だったかと思いまして

しばらくはリーダーバンドは休もうかと思っています

数ヶ月か、数年か
わかりませんが


納得できる形でお届けできる日が来たら
またやろうかと。



それまでは
いまやるべき事をきっちりやろうと思います。

課題は山積

ひとつずつ
焦らず、急ぐ。