姉の見舞い-その2 | Mad-Guitar木村のブログ

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1966年からのクラシック・ギター狂いの放談

2/26(月)那覇へ。
姉の、2度目の見舞い。
よくここまで持ちこたえてくれました。

夕方5時過ぎに、緩和病棟に入院中の姉の部屋に入りました。
姉は、覚醒すると悪寒・嘔吐が酷いらしく、薬で眠った状態でした。
残念ながら、話も出来ませんでした。呼び掛けると微かに唇が動く気がするので、少しは聞こえたのかも知れません。
緩和病棟なので、如何に苦しまずに最期を迎えられるか、に重点を置いて世話をしてくれてます。

見舞い客を見送っていた義兄が、病室に戻ってきました。
10日前に転院してからの様子を話してくれました。
壁には、病院スタッフが撮影してくれた、転院の翌日、翌々日の写真が貼ってあります。一ヶ月前に見舞ったときとあまり変わらない姉の姿があります。
その後10日で、起きていることも辛く、本人の希望で痛みを感じない、薬で半分眠り続ける状態になりました。

聞こえているかも知れないけれど、反応は無く、義兄に促されて、6時半頃には退出しました。

3月中頃にまた来ようと思います。それまで頑張ってて欲しいと願うばかりです。

一月前に見舞ったときに姉が言った「これが最後だと思う」という言葉が甦ります。
その時は、「なんの、また会いに来るよ」と思ったのですが、姉のほうがしっかりと現実を見据えていました。

一旦宿の「船員会館」にチェックイン。

ギター仲間で、大学・会社の後輩から紹介されて、一月前の見舞いの後に寄ったギター・ライブハウス「アンダルシア」に、また行きました。今回は家内も一緒。

沖縄そば、餃子、美味しかったです。
ギターを弾かせてもらいました。
・メヌエット ハ長調/ソル
・ショーロス1番/V.ロボス
・大聖堂/バリオス

一番の愛奏曲「大聖堂」は、姉の安らかな旅立ちを願って、演奏しました。

「逝く姉の 安らかな旅 願いつつ アンダルシアで 大聖堂を弾く」

翌朝は9:15発の便で帰りました。
那覇は晴れ。
飛行機に乗り込む通路の窓から見上げた空の何と碧いこと!
離陸直後に下を覗くと、さんご礁を抱える海の何と青いこと!

「沖縄の 海の青と空の碧 姉の旅路の 導きとなれ」

上空から、眼下に見える沖縄諸島の姿を眺めながら、
姉とのコミニュニケーションは一月前で終わり、もう話すことはできないことに思いを至らせ、我慢していた涙が一筋流れるのを、花粉症の鼻水をかむ振りして、ぬぐったのを、家内は気がついていただろうか?

 

【追記2018.3.12】

 

姉は2月28日早朝2:44に永眠。

那覇で荼毘にふされ、3月3日鳥取にて告別式、四十九日法要、納骨を済ませました。