OUT OF TIME R.E.M. | 自然と音楽の森

自然と音楽の森

洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。

20170406REM


 ◎OUT OF TIME
 ☆R.E.M.
 ▼アウト・オヴ・タイム
 ★R.E.M.
 released in 1991
 CD-0472
 2017/4/5

 R.E.M.のロック史に残る名盤にして大傑作アルバム、OUT OF TIMEの25周年記念盤が昨秋(ひっそりと)出ました。

 買って一度聴き、すぐにクリスマスソングの流れがきて暫く聴かず、それからクラシックに入り込みとなんだかんだで3月下旬。
 これが目に留まり、そういえばと聴くと、これがはまりました。
 もちろんこのアルバムはリリース当時聴き込んでいて、全曲のすべての流れがそらで思い出せるほどなのですが、今回また新たな魅力を発見し、当時気づかなかったことに気づいてこれは記事にしなければと思いました。

 結論からいうと、出来という点でR.E.M.の最高傑作はこのアルバムOUT OF TIMEである、と。

 音楽的には88年の前作GREENで初期のビートルズのような音楽的情熱をエレクトリックギターにぶつけたのとは対照的に、生ギターやマンドリンそれにストリングスなどを用い、アコースティックな音の響きを活かしている。

 でも、かといって完全なアコースティックサウンドではない。
 核はしっかりとした少しハード目のロック。
 そこがいい、ロックバンドとしての面目躍如。

 時代はこの少し前にMTV Unpluggedが始まり、アコースティックサウンドが音楽ファンやミュージシャンの間で少しずつ盛り上がって来た頃。
 実際R.E.M.もこのアルバムの後にUnpluggedに出演。
 流れはさらに大きくなり、翌年あのエリック・クラプトンが出演、アルバムも大いにに売れ、Unpluggedは時代の音になっていった。

 Unpluggedについて細かくは話しませんが、R.E.M.はその流れを感じていて、僕らが元々やっていたことと似ているけど少し違う、と気づかされたのがこのアルバムの原動力ではないだろうか。
 そう、完全なアコースティックサウンドではなく、アコースティックなロック。
 時代がこの後完全なアコースティックサウンドになりましたが、このアルバムのサウンドは古くなるどころかより新しく感じられ、時代がアコースティックに「戻る」ことでR.E.M.の先進性があらためて浮き彫りになったといえるでしょう。
 R.E.M.は次作AUTOMATIC FOR THE PEOPLEでさらにアコースティックな響きを極めたアルバムを作りましたが、そこで時代の音に「戻って」人々に歓迎された、というくらい。

 先進性と書きましたが、違う。
 「時代を超越してしまった音」
 まさにアルバムタイトルの如し。
 前でも後でもない、この世の他にはどこにもない音。
 R.E.M.の中でもこの音は他にはない、浮いています。

 このアルバムが出た頃僕はまだ「ロッキング・オン」誌を読んでいました、もう毎号ではなかったと思うけれど。
 このアルバムの評が載った号はこれとは別の目的で買いましたが、それを書いた人、名前を忘れてしまいました、が、「この音はあの世に行ってしまっている」と書いていたのが印象的でした。
 爾来そのことが僕の頭に固着されてしまって離れない。
 今回このリイシュー盤を聴き直して、やっぱり。
 が、それは他の人が言い始めたこと。
 これがもし音楽や文芸なら「盗作」と捉えられかねない。
 一方でジョン・レノンもよくAという曲は誰それの何々をヒントに作ったと発言しているので、大元のアイディアでは許される部分もあるのかもしれない。

 などとひとり葛藤しつつ、でも、確かにそう聴こえるのだから、R.E.M.も意図して作っているに違いないと開き直り、僕も今回その考えに従って記事を書き進めることにしました。

 しかし、そこに僕はオリジナルの言葉をつけることにしました。
 「あの世感」

 このアルバムにある「あの世感」、具体的に曲のどこのどの音に表現されているかを考えながら書いてゆきます。




 1曲目:Radio Song feat. KRS-One
 世界が僕らの耳の周りから壊れてゆく
 ラジオをつけたけれどそれが何かは聞こえてこない

 正しく合わせると正しいとみなされる情報を得られるラジオも、チューニングがずれると雑音だったり「他の世界」の音だったり。
 ラジオの終わりは社会問題。
 ラジオが終わった。
 重たいメッセージを軽やかな音にのせて発信する。
 もちろん、例えばクイーンのRadio Ga-Gaのように、ラジオで音楽を聴いていた時代を懐かしむという意味もあるけれど、ビデオクリップによる映像表現に積極的だったR.E.M.だから、懐古趣味よりも皮肉の方がより大きく感じられます。
 ラップを取り入れて時代の先を行っているのが余計、皮肉に。
 皮肉というより、ラジオを見放したことへの謝罪かもしれない。
 もちろん根底でラジオが好きなのは変わらないのだけど、彼らは売れて、もはやそうは見なしてくれなくなっていたのかもしれない。
 この曲の「あの世感」は、ラジオが現実世界ではなくどこか別の世界とつながってしまう窓口であるという認識。
 イントロの優しいギターのアルペジオと、歌のバックに入る「カラカラカラッ」という強いエレクトリックギターの音がいい。
 ピーター・バックはやはり曲に表情をつけるのが上手いギタリスト。
 そしてギターに絡んでホップするようなベースラインの動きが、もはや1曲目にして「あの世感」を作り上げている。

 この曲でもうひとつ、ゲスト参加のKRS-Oneのラップがなんというか「芋っぽい」のが妙に引っかかる。
 都会的スマートさがないという意味ですが、彼の出自を見るとニューヨーク出身だから都会人中の都会人ということになる。
 でも、発音の仕方、リズムの載せ方がやっぱいスマートじゃない。
 社会的メッセージを荒々しく強く発する人ということでそうなるのでしょうけれど、実はその「芋っぽい」ところが南部ジョージア州出身のR.E.M.には合っているのでしょうね。
 昔から引っかかりながらも聴き惚れてしまうのはそんなところから。





 Radio Song
 R.E.M.
 (1991)



 2曲目:Losing My Religion
 このアルバムからのファーストシングルとして大ヒット。
 結果としてR.E.M.最高のビルボード誌チャート4位を記録。
 前々作DOCUMENTからのThe One I Loveからヒット曲も出るようになった彼らもついにここまで来たか、と当時の僕は思ったものでしたが、シングルヒットについていえばR.E.M.は時代が悪かった。
 1980年代末からだんだんとラップ・ヒップホップ系やR&B系がヒットチャートを席巻するようになり、ロック系の特にベテランのヒット曲が出にくくなっていった、と僕は感じていました。
 R.E.M.はこの頃既に若手ではなく、悪いタイミングでその2つの条件に引っかかってしまったのでした。
 まあそれでもこの曲はチャートとは別にもてはやされました。
 ビデオクリップは当時宗教的側面から問題になったそうですが、見事1991年度MTVビデオ大賞に輝きました。
 曲の歌詞をただなぞるのではなく視覚から曲のイメージを訴える彼らのビデオクリップは評価されるべきものでしょう。
 この曲の「あの世感」は曲以上にビデオクリップからのイメージ派生が大きいように思います。

 曲について歌詞を具に追っていくと記事ひとつ分でも足りないくらいになるのでまた別の機会に取り上げるとして、ものすごく簡単にいえば失恋の歌。
 それをまるでこの世の終わりのように大袈裟に表現して、きれいさっぱり忘れたい、でも尾を引いている、といったところ。
 尾を引くんです、R.E.M.は、決して爽やかじゃないし。

 音楽面ではマンドリンを使用していることが新鮮ですが、マイク・ミルズのベースの動きが最初から好きで、このアルバムから僕はマイクをベーシストとして注目するようになりました。





 Losing My Religion
 R.E.M.
 (1991)



 3曲目:Low
 このアルバムのもうひとつの特徴は、売れ線ロックという範疇にあってインストゥルメンタル部分のイメージを強化したことにあるでしょう。
 当時の僕はそこも変った響きだと感じながら聴いていました。
 ハミングや台詞があるので完全なインストゥルメンタル曲ではないし、この曲は普通に歌が入っていますが、でも前2曲のように歌らしい歌ではない、演奏が強く耳に残る。
 この曲はオルガンとストリングス「あの世感」を演出。
 そしてやっぱりベースラインの動き、口ずさめるほどにいい。
 上がろうかこのままとどまろうか迷っている、そんな歌。



 4曲目:Near Wild Heaven
 そしてついにあの世へ、タイトルも「近くて野性的な天国」。
 「あの世感」を醸し出す新たな装置として、マイク・ミルズの歌が駆り出されてきました。
 元々マイクは何曲か歌ってきていたし、このアルバム1曲目でもふわふわとした響きのコーラスが目立っていましたが、この前作まで暫く封印していた彼のヴォーカルをここで出してきたのは芸が細かい。
 彼の声は、天国ではみんなのんびりしていることを想像させる。
 きらびやかで広がりのあるギターサウンドも「あの世感」。
 そういえば今作はアルペジオが印象的な曲が多いですね。
 裏声を駆使したコーラス、特に「パパパパーパーパー」という声も、もうどっかに行っちゃってる。
 曲としては普通なんだけど、そんなわけでの「あの世感」満載。



 5曲目:Endgame
 "heaven"感覚の曲が続く。
 ハミングというか掛け声が入っているのでこれも厳密にはインストゥルメンタル曲ではないけれど、ハミングだけだから声も楽器の一部と認識されて結局はインストゥルメンタル曲という解釈になってしまう。
 そのハミング、低音から高音に上がる生ギターのアルペジオ、Bメロの大仰なストリングス、管楽器、その部分のコード進行。
 これがどうして「あの世感」以外であろうか。
 多くの人が、天国を題にとった短編映画を作るとなると、この曲を選びたがるのではないかというくらいに。

 この曲はUnpluggedのエンディングで効果的に使われていて僕も当時番組を観てはっとさせられた覚えがあります。



 6曲目:Shiny Happy People
 そしてついに「あの世感」を演出する奥の手を繰り出す。
 B-52'sのケイト・ピアソンのヴォーカル。
 彼女の声は「あの世感」にこれ以上ないほどにぴったり。

 ストリングスに彩られたイントロからしてもう「あの世感」。
 サビでマイクとケイトがひとりで歌う部分も効果的。
 Aメロがマイナー調でBメロ=サビがメジャー調と、曲の中でイメージを変えていますが、その間に4小節ほど開放感あるパッセージを入れているのがさらに効果的。
 イントロのテンポが遅い部分が中間にも挿入される、このテンポチェンジも効いている。
 ギター弾きとしてはイントロのギターフレーズが最高に好きだし、Aメロの部分のコード進行も弾いていて気持ちがいい。
 そして今回聴いて、マイク・ミルズのベースのグルーヴ感がこの優しくて楽し気な曲を包み込んでいることにいまさらながら気づかされましたが、この話の続きは11曲目にて。

 この曲は当時、R.E.M.もハッピーなんて陳腐な言葉を口にするようになったか(それだけ売れたのか)といった声があったことをかすかに覚えていますが、出自や媒体が分からないので、そんなこともあったとしておきます。

 PVの話をすればマイケル・スタイプのガキのような恰好なのは、天国を前に子供帰りしたのかな。
 PVでは妖艶な姿で踊りも披露していますが、そのなまめかしさがなぜか現実的というよりは現実離れしたものに見える。
 ビデオクリップではドラムスのビル・ベリーが妙に陽気なのがいろんな意味で面白くて怖い、まさに「あの世感」。




 Shiny Happy People
 R.E.M.
 (1991)



 7曲目:Belong
 やっぱりね、ギターのアルペジオが「あの世感」を醸し出している。
 マイケルのくぐもった声はどこかの小さな世界に閉じこもったように響いてくる。
 ここもマイクの抜けたようなコーラスの上にケイト・ピアソンの裏声のコーラスが重なってまさに天国。
しかし軽く弾むドラムスのリズム感が妙にクールで、これは「あの世」と「この世」のどちらに属しているのか、まだ分からないといった雰囲気。



 8曲目:Half The World Away
ここまで来てこの曲名を見ると、彼ら自身が明確に「あの世感」をテーマにしてアルバムを作っていたことが確信されますね。
 「半分だけ世界がどっか行っている」
 この中では最も爽やかで心地が良い響きだけど、その心地よさは、こっちの世界なのか、向うなのか。
 そう考えるとイメージが膨らみますね。
 そして今回気づいた、リズムがボレロだ。
 正確にはボレロは3/4拍子だから、4/4にしたボレロ風リズム。
 打楽器がないのでそこが強調されなくて、今まで僕は意識しなかったのかもしれない。
 そういうところもまた「あの世感」の演出につながる。

 曲の終わり方がいいですね。
 感激したかのように歌い終えるマイク、切れのいい演奏にオルガンの音が静かに残る。



 9曲目:Texarkana
 もういちどマイクが頑張っている子どもみたいに歌う。
 この曲は最初に聴いた時から妙に印象的でした。
 マイクが歌っているからというのもあるんだけど、なんだろう、自分の中の大切なツボに入った感じが当時からありました。
 ベースが低く高く動き回るのがまたいい。
 歌が終わったところのストリングス、曲の中で一度しか出てこない中間部=ブリッジへの入り方(特にギターのアルペジオ)、そこのマイケルのヴォーカルそしてストリングス、と。



 10曲目:Country Feedback
 この曲は最初にタイトルがとっても印象に残りました。
 「カントリーのフィードバック」
 確かにブルーグラスっぽい雰囲気の音にフィードバックをかけたような不思議な音を出している。
 もうこの音だけで「あの世感」。
 あまりにも狂おしいこの曲は、このアルバムの「裏の主役」。
 まだこの世に未練を残しているのでしょうね。
 マイケルの歌い方も、実はこれだけ熱くなれる人なんだって。

 1995年の武道館公演でこの曲が演奏され、ステージのスクリーンにイメージ映像が流れていましたが、女性の胸や局部がはっきりと写ったシーンがあって少々驚いた。
 よく日本に持ち込めたなあ、もしかしてノーマークだった?
 そんなことはないだろうけど、確認=検閲はされていなかったのかもしれないといまだに思っています。




 Country Feedback
 R.E.M.
 (1991)



 11曲目:Me In Honey
 今回この曲を聴いて僕はこう呟いてしまいした。
 「すごい、なんて曲なんだ!」
 "Woman"がいる時に聴いていたので、実際に言葉として口をついて出てきました。

 なんだろう、このグルーヴ感。

 同時に、R.E.M.が解散してしまった理由が分かった。
 そしてこのアルバムが彼らの最高傑作であるということも。

 彼らは売れてビッグになると共に凝った曲を多く作るようになる。
 最後の前のACCELERATEでは実際に初期のパッションを取り戻そうと明言し速くてシンプルな曲に取り組んでいた。
 でも悲しいかな戻らなかった。
 このバンドを支えていたのはマイク・ミルズのグルーヴ感だった。
 それはビル・ベリーが相手だから成り立っていた。
 ベースとドラムスはバンドの核であるのはバンドをやったことがない僕でも聴いていて理解できる。
 ビルが戻らない以上はあのグルーヴ感は戻らない。
 マイクも気の合うミュージシャンとやってみたが、あの時のグルーヴ感に達することはもうなかった。
 ビルがいなくなってからは凝った曲をやらざるを得なかった、ということが今になって見えてきた。
 ビルのためにも続けたかったけれど、ビルがいないことの限界をいちばん感じたのはマイク・ミルズだった。
 R.E.M.は壁を破れなかった。
 そういうことなのだと。

 そういう意味でこのアルバムが最高傑作でもある、と。
 「傑作」という意味でいえばこの曲がLosing My Religionと並んでR.E.M.の最高傑作ではないかとすら今は思う。
 Losing...よりポップさがない、実際にシングルヒットしていない、だから「名曲度」といわれればLosing...だけど、R.E.M.に限らずロックミュージックの中でも傑作だと、一応それなりにロックを聴き続けてきた人間として思います。
 「グルーヴ感とアート性の両立」。
 ロックという音楽がついにここまで到達できたか。
 ノリがいいだけではなく、鑑賞に値する芸術性も備わった音楽。

 この曲は舞踊曲的でもありますね。
 ブラームスが「ハンガリー舞曲集」を拾い集めて作った。
 そこまで大がかりではないけれど、人間の感情の奥底にある舞踏への憧れも表している。
 「あの世感」とくどいほど書いてきましたが、ここで到達したのはまさにこの世でもあの世でもない世界。
 舞踏はその二つをつなぐもの。

 何より歌メロがいいし、それを歌うマイケルのヴォーカルもキャリアの中でこれとその次がベストの状態でしょう。
 まあ、彼の場合は上手い下手が分かりにくい声ではありますが・・・
 ケイト・ピアソンの声が「あの世感」マックス。

 こんなにまでもすごい曲を作った、それがR.E.M.なのです。

 ビデオクリップがないので静止画ですが、最後にお聴きください。




 Me In Honey
 R.E.M.
 (1991)



 今はもう1日1回聴かないと落ち着かなくなっています。
 もちろん口ずさむ歌の半分以上はこのアルバムから。
 昔あれだけ聴いたのに、やっぱり今でも新鮮に響いてくる。

 このアルバムが時間の外なんてことにならないようR.E.M.ファンとして発信しなければならない。
 というまあ妙な使命感を抱きながら記事を書きました。

 実はまだR.E.M.の解散ショックから抜け出せていない僕なのでした。