ふらの演劇工房 「走る」 富良野公演 | 自然と音楽の森

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洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。

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 先月、観劇を初体験してきました。

 ふらの演劇工房 富良野GROUP特別公演

 「走る」

 倉本聰(作・共同演出)、中村龍史(演出)

 "Woman"が富良野塾からずっと倉本さんの芝居が好きで、会員になりほぼ毎年富良野に観に来ている。
 今年は僕も初めてそこに加えさせてもらいました。

 チラシにある惹句を書き出してみます。
 (文字は倉本さん自筆のものと思われます)。

人は何のために走るのか
何に向かって走るのか



 人生を1年ごとのマラソンに見立て、走りながら生きてきた人々の葛藤や苦悶そして楽しみを描き出すもの。

 会場は富良野市内にある富良野演劇工場。
 19時開演、18時半前に会場に着きましたが、車が次々と駐車場に吸い込まれ、人々が会場に歩いてゆく。
 ここから僕は初体験、人間ウォッチングも面白かった。
 年齢は老若男女ちらばっていて偏りがない。
 街中の人をそのまま切り取って持ってきたといった感じ。

 中に入るとグッズ売り場などはもうひとだかりがあって、買い物する人、劇関係者の知り合いと話し込む人などなど。
 お祝いの花にはファイターズの栗山監督、稲葉さんの名前も。
 一応北海道民の僕も、ああこれもまた北海道なんだなあ、と。

 10分ほど前に指定席に着きました。
 さすがは会員、前から4列目くらいで舞台の役者さんの顔がよく見えそう。

 19時頃、「工場長」さんが出てきて説明する。
 携帯はマナーモードではなく電源オフにしてくださいと。
 電源を切ったことがない人も結構いるので、分からなければ、手を挙げて全機種対応の私に遠慮なく聞いてくださいと。

 
 会場のライトが落ち、劇が始まる。


 最初に老人が出てきて、ぼやくような口調で日本人は戦後から高度経済成長期にかけて走り続け、今でも走り過ぎている、という主旨のことを話す。
 老人もかつてはそうだった。
 だから、それを続けなければ生きていけないことにも理解を示す。
 老人は劇の節目節目にでてきて、若者のマラソンを温かいまなざしで追い続けながら応援している。

 マラソンが始まると、役者さんは走り続ける。
 走りながらの台詞、実際にかなり鍛え上げられている。

 スタートした後は、各選手が何度かステージに出てきて、その人の事情を話し、物語の進行に応じて各個人の話も進んでゆく。

 先頭グループは男女数人の争い。
 出世をめざしたライバル心が激しく燃える。
 先頭の女性ランナーが転倒するとスローモーションになり、何人かがその女性を踏んづけながら先に進む。
 ひとりの女性は悪いことをしたと後で罪悪感に見舞われるが、それでも走り続けなければならない。
 やがてその女性もまた抜かれて倒れてしまう。

 PKOで戦地に出向かなければならない自衛隊員男性も走る。
 何のために戦地に行くのか分からない。
 家族のことが気がかりでならない。
 この辺はいかにも倉本さんという風刺。

 3.11で家が被害にあった女性は、もう何を考えてもそこから抜け出せなくなり、背負ったものの大きさを再認識する。

 全盲の娘がマラソンに参加したいというので自分自身もマラソンを始めた50代の男性。
 父子2人は手と手をたすきで結びながら走る。
 最初は父さんも軽快に走っているが、娘が体力的に勝っていて、自分はついてゆけなくなり、近くにいる男性にアシストランナーを受け継いでもらえるようお願いする。
 最初に声をかけた男性は女声目当てであることがミエミエ、危ないので健全そうな他の男性にたすきを渡し、娘はそれからその男性と一緒に走る。

 仲のいい夫婦、どこに行くにも一緒にいたいという妻。
 夫も最初は軽快に走っているが、やがて疲れてくる。
 走ることだけに疲れたわけではない、それ以上に・・・
 この辺の男女の機微が面白い、ああやっぱりか、と思う。

 ぽっちゃりした女性は痩せるために走っているという。
 から揚げやおまんじゅうはもう食べないと最初に宣言するが、何度か出てくる度に「から揚げ食べたい」「おまんじゅう食べたい」と呟きながらステージを駆け抜けてゆく。
 この人が出てくるとなんだかほっとする。

 前を走る女性のお尻を眺めるのが趣味という不届きな男性も。
 そういう人ってほんとにいるのかな? 
 分からないですが、そう思わされたところで倉本さんの勝ち(笑)。

 若い男性、お姉さんに勧められてマラソンを始めたが、お姉さんが交通事故死してしまい、ひとりで走ることに。
 しかしきっかけだった姉がいなくなったことで目標を失い、マラソンはただ厳しいだけのものになりかけていた。
 そこに姉の「幻」が現れ、応援する。
 姉弟には家族のことを顧みなかった父に対する反発があり、姉には弟を一人残してしまったという自責の念もある。
 弟はなんとかまた走り始める。
 
 背の高い男性ともうひとりの男性の組。
 もうひとりの方はずっとひとりだったのが昨年かなり年下のカノジョが出来たと嬉しそうに話す。
 前を走っていた背の高い男性は、私も恋をした、男性に、と。
 もうひとりの方はそこえ動きが固まり、2人に距離ができる。
 しかし彼は、「その世界」にだんだんと理解を示し、ちょっとだけ興味も出てきた様子。
 やがて背の高い男性は「感染症」で命が長くないと告白する。
 彼が汗を拭いたタオルをもうひとりが受け取る。
 忌避せずに受け取った人は初めてだと背の高い男性は感激する。
 彼は劇の中では死なない、でも、どうなったんだろう。

 後半、おじいさんの独白。
 高度経済成長期に走り続けてきた人たちがいたからこそ今の日本がある。
 走り続けたのは悪いことではない、よかったんだ。
 そこでステージが明転し、スーツ姿のサラリーマンが走る。
 50人はいたかな、眼鏡をかけ鞄を持って走る。
 そこのシーンで会場から自然と拍手が沸き起こったのは僕も感動しました。
 劇というよりも、走り続けてきた日本人の先達への敬意を込めた拍手だったと僕は理解しました。
 ここでエルガー「威風堂々」第1曲の有名な旋律が流れ、感動が広がってゆきました。

 ゴールのシーン。
 関係者が周りを囲み、テープを持って待っているところへランナーがひとりひとり走り込んでくる。
 ここは涙が出そうになりました。
 実際にマラソンを観ているとゴールでは感激しますよね。
 劇の中にスポーツの要素を取り入れたのは上手いというか、結局、人間がすることには感動するものなのだと。

 ほとんどの人がゴールし、もう終わったと思われたところで、最初に倒れて踏んづけられた女性が現れる。
 よろよろになりながらもゴールに向かって歩んでゆく姿に、かつて蹴落としたライバルも拍手を持って迎える。

 籠になぜかネギが入った自転車を押しながら老人が現れる。
 マラソンは終わった。
 束の間の休憩の後、しかし、彼らはまた走り始めなければならない。
 老人はもう走るのをやめるという。
 走る若者をこれからは温かく見守ってゆくことにした。

 走る若者がまた何人か現れ、ヴァンゲリス「炎のランナー」が流れる。


 終わり。


 会場の外に出ると、倉本聰さんがサイン会をしていました。
 僕たちは少しゆっくりめに会場を出たので、その時既に4、50人ほどが列を成していて、サインをもらうのを諦めました。


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 観劇翌朝の富良野市内の風景。
 よぉ~く見ると富良野線の列車が写っている、実は「撮り鉄」写真でもあるのです、はい(笑)。


 ここからは感想。

 まずは感激自体初体験の感想から。

 生身の人間がやっていることの素晴らしさ。
 テレビでも映画でもない、舞台は3次元の世界。
 走ったり倒れたりという音のリアルさがまるで違う。
 ステージとの距離感、役者さんの間の距離感など、これも2次元では感覚として伝わってこない、想像はできても。
 ここに僕はまず感動しました。

 映画では、家の小さいテレビよりも劇場の大きなスクリーンで観る方がいいとよく言われます。
 もちろん僕はそれを否定するものではありません、まったく。
 でも一方で、画面が大きくても小さくても映画は2次元に違いない。
 映像作品と生の舞台の最大の違いはここでしょう。
 同じような劇でも、映画と舞台ではそもそもが違うものなのだという当たり前のことを理解しました。
 音楽でもレコードとライヴは違うものですからね。
 今回はとりわけ役者さんが舞台で走る劇だっただけ余計に、音のリアルさを頭ではなく体で感じることができました。

 ゲイの男性を演じていたのは水津聡という役者さんですが、"Woman"がかつて彼にご執心だったと終わってから聞きました。
 倉本さんのテレビドラマでも何度か出ていたそうですが、そういう人がいる、見つけるのも楽しみのひとつでしょうね。

 おじいさん役は久保隆徳という役者さんで、「優しい時間」にも出ていたのだそうですが、実は僕、そのドラマはまだ観たことがない。
 道民なのに何をやっておるのだと怒られそうですが(笑)、今度ケーブルテレビで放送したら録画して観ます、はい。

 そのおじいさん、最後の方で「わしはもう走るのをやめることにする」と話した時、僕はドキッとさせられました。
 もしかして死んじゃうの・・・?
 そういう意味ではなく、これからは悠々自適に生きたいということなのでしょう、よかった死ななくて。

 "Woman"の話をもうひとつ。
 途中で踏みつけられた女性を演じていた女性は、ふらの演劇公房のエース格の女優さん。
 その人が劇の前半早々にいなくなってしまったので、これはきっと何かあると"Woman"は思ったのだそうで、その通り、最後よれよれになりながらも完走しました。
 なるほど、そういう観方もありますね。

 「威風堂々」のところで走っていたサラリーマンはすべてエキストラですが、なかなか人が集まらなかったという。
 50人くらいいてそれでも迫力があったのですが、これが100人とか200人集まっていてもみんな採用していたのだろうなあ、そうだともっとすごかっただろうなあ、と思いました。

 最後の「炎のランナー」、来ましたね、感動しました。
 やっぱりこの曲かという安心感。
 「威風堂々」とこれ、とりわけ有名な曲を使うことで、メッセージに普遍性があり、直で伝わってくるものがありました。
 富良野近辺では1月にこの曲のCDが数枚は売れたでしょうね。


 もうひとつ感動したこと。

 富良野には文化が根付いている。
 ハコモノだけではない、人々の意識、もうこれは文化。
 僕たちのように札幌をはじめ道内各地や道外からも来ている人は結構いたと思いますが、一方で、仕事が終わってそのまま来ている人が多かったことでしょう。
 みんな地元を応援し、誇りに思っている。
 会場で配られた「走る」富良野公演を応援しています、というチラシには、地元の多くの企業(支店含む)・お店・個人の名が連ねられ、中には「皆空窯」「麓郷木材」といった倉本さんのドラマ関連の名前もあります。

 倉本聰さんは、「北の国から」が終わっても何かが富良野に残るようにという思いがあって演劇公房を始めた。
 それが確かに根付いたのだと感じました。
 富良野の人は何と豊かな生活を送っているのだろう、と。
 僕も富良野がますます好きになりました。
 ええ、いいんですよね、富良野、なんだろう、行く度に土地の持っている強い力のようなものを感じます。


 「走る」は富良野で1月15日~22日の間に何度か上演された後、札幌を皮切りに全国で順次上演されています。
 昨日2月12日は岡山、明日14日は京都、愛知と続き、


 さてここで2曲続けて。




 威風堂々第1曲

 1'53"のところからからの有名な部分が使われました。
 日本ではここだけを「威風堂々」と呼ぶこともあるが本来は5曲全体が「威風堂々」だという。






 炎のランナー


 最後に私事、人との輪が広がる、なんて周り持った言い方せずに書くと、"Woman"のおかげで観劇という新たな楽しみを体験できたのはよかった、感謝です。



 富良野にはまた観劇にも行きたいです。