どうしたものか人の顔の見た目にあまり興味がなくなった。明るくいようと思う気がしない。もともとそういうタイプではないけど以前に増して。冬の夜でも一人でカメラを持って出かけようとする気持ちも無くなったわけじゃないけどだいぶ減った。brown eyes blue当時気に入ってた曲がiPodのシャッフルで流れた。そしてふとさっきのようなことを思った。カメラを持って徘徊してたのも一人暮らしをしていた10年くらい前の事。歳をとっただけなのか疲れているのか。
胸を締め付けるものちびポンが大きくなってきて、自分のやりたい事ややりたくない事をしっかり言うようになってきた。好きなものしか食べないとか、片付けをしないとか腹が立つことも多くなってきた。2つに髪を結んで欲しいと言われ、結んであげる。結び終わった髪は左右対称ではなく、しっかり纏まってはいない。それなのに結び終わった髪を手で確認すると、ちびポンはとても嬉しそうな顔で喜ぶ。それを見ているとかわいいと思う気持ちと悲しいと思う気持ちが同居した、他の人に伝えられないなんとも言えない気持ちになる。今、右隣で寝ているちびポン。寝ながらをあくびしている。これから大きくなるにつれて嫌なことがない人生なんて送れないけれど、嫌な事をうまく処理できる力は身につけて欲しいな。胸の違和感で目が覚めた夜中の独り言。
発散する前に積極的に人にあれこれ言うタイプではない。相手を傷つけないように必要以上のことを言わないようにしてきた。と、言うのは建前で今思うと本当に思っていることを言った先にある状況を避けていただけなのかなと思う。例えば、意見の衝突や相手のよくないことを指摘することでこちらに向けられる反発だったり。今は以前より思ったことは言おうと思うようになった。本心を言わずに人付き合いをするのは相手のためじゃなくて自分のことしか考えてない自己中心的な人のやること。集団で何かを決めなきゃいけない時、意見だったり本心を言わない人はその集団にいる意味はないし、決めようとしている人からしたら邪魔なだけ。とは言え、言わなくてもいいことっていうのはあると思う。それを言わないように気をつけている今日この頃。本心を言わない言い訳にしないようにしたい今日この頃。
最近の日課友人がベースを作った曲にアレンジを加えていく。コードを変えたり、ギターパートを追加したり。独学でやってきた音楽理論の勉強がやっと報われた。理論に縛られすぎて、ありきたりで退屈な発想しかできないようにはなりたくないな。理論を理解しつつうまく使っていきたい。そう心がけてまずは1曲完成させるとしよう。
ライフスタイルFacebookには実に色々な人の色々な生活が投稿されている。そんな投稿を見て、自分の生活はなんて退屈なんだとは思わないし、むしろよくやるなぁと思う。そんな生活と変わってくれと言われてもちょっと無理。今の生活の中でやりたいことを少しずつやっていく方が自分には合っている。家族に迷惑をかけ過ぎない程度にバンドを続けていきたい。
今やるべきことのひとついろんなことを考えていたらこんな時間(AM:1:45)になった。見るつもりもなかったけどCountDown TVが始まった。過去23年分の1月の曲をやっている。月並みな話だけど、年代ごとに当時のことを思い出すわけで、学生時代のことを思い出して当時が懐かしくて、眩しくて、年をとったなぁと思ってしまう。でも「あの頃は良かったなぁ」「年とったなぁ」とかばかり思っていたら残り数十年の人生それで終わってしまう。だから-これも月並みな話だけど-今をどう楽しくするか考えて行動しなきゃいけない。残りの人生、生かすも殺すも自分次第。言うだけじゃなくて実行しなくちゃな。
iron forest@homeこのエフェクターをボードに組み込んでからまだライブがない。スタジオで弾いたこともない。専ら家で弾くのみ。結婚してからというよりチビポンが生まれてから昼間に家でギターを弾くのは難しくなった。もう少し大きくなったら大丈夫なんだろうけど今は無理かな。いつか一緒に弾きたいものだ。日付が変わって昨日は結婚記念日。あっという間に数年経った。得るもの失うものいろいろあるけど前者の方がきっと多いんだろうな。
生き方数年前、祖母の葬儀の時にお坊さんが次のようなことを言っていたことを思い出した。「お婆様は最後の贈り物として、親族の方が集まる機会と死について考える機会を与えてくださいました」親も、自分も、妻も、子も、今はまだいない孫もいつかはわからないけど人生を終える。「いっぱい恋をしたし、美味しいものも食べたし、歌も唄ったし、もういいわ」(越路吹雪)死ぬときにこう思えるように生きることが大事なんだと思う。目標を立て、それを達成する人生を否定するつもりはないけど、それだけが人生ではない。目標はなくてもいい。ただ、今を精一杯生きる。とある本にも書いてあったけど、目標を掲げてそれを達成できたかできなかったかが人生の良い、悪いを測る物差しじゃない。どう生きてきたかが物差しになる。旅行は知らない場所に行くだけで旅行だし、何らかの理由で目的地に行けなくなったとしても行こうとしたこと自体に意味がある。余命を宣告されたあとどう生きるか。目標を立てて、それが達成できるように生きるのか?目標はなくてもいい、寿命を迎えるまで毎日を精一杯生きる。楽しむ。余命宣告されていなくても残り数十年後には死ぬという寿命は決まっている。だから毎日を精一杯生きなければならないとことには変りないと思っている。余命が短い人に対しては出来る限りのお手伝いをしたい。これが今日の記事の目的。
あらしのよるに考え事をしていたら寝られなくなった。厳密に言うと昔を思い出して、それについて考え事をしていた。今日は日曜日。だけど夏休みのおかげで夜更かしができる。こうやって夜中PCに向かっていると大学の研究室時代を思い出す。今では会社があるからまずやらないけど、当時は当たり前だった。そういう研究室生活をを送っていたのは自分だけではないし、他にもたくさんいた。同じ生活をしていたみんなは今何をしているのだろうとふと思う。毎日会っていたのに一度会わなくなればずっと会わない。「会おうと思えば会える」と心の何処かで思っているから会おうとしないのか、それはよくわからない。陳腐な話だけど、今の記憶のまま過去に戻ったらどうなのだろうと今日は考えてしまった。勉強の仕方、友達や先輩、後輩との付き合い方、恋人の作り方・・・どうせなら今と違う人生を送ったらどうなのだろうと思うけど、いざその場になったら一度目の人生と同じような選択をすると思う。ただ、ギターはレスポールを買わずに1本めからテレキャスかな。会社でやっている事、求められている事を学生時代の自分が知っていたらちゃんと勉強していたと思う。数学だって本気で理解しようとするだろうし、きっと勉強も面白く感じると思う。周りに人に対しては、自分をあまりださなかったし相手の詮索もしなかった。逆のことを、自分をさらけ出して、相手に対してもいろいろ個人的な部分を引き出していたら違う人間関係になったのかなと思う。深い繋がりになるのか煙たがられて孤立するかはわからない。何はともあれもう数十年、いくつもの選択肢からひとつを選んで今に至っている。これらの選択がベストかはわからない。いつ判断できるかもわからない。ありきたりに死ぬ直前わかるってのもイマイチ。さて、今日はここらで寝るとしよう。明日もいい日でありますように。