つい先日、通りかかった公園で、野球少年がバッティングのコーチを受けている場面に遭遇しました。なんの変哲もない光景なんですが、つい足を止めてしまったのは二人の真剣さと、少年が持つバットの重さでした。
少年は椅子に座ったまま手出しの軟球を打っていました。コーチは少年に下半身を使わせたくなかったのでしょう、だから代わりに、なのか。
少年はバットの重さだけで打っていました。そんなに跳ぶ感じではありませんでしたが、打音がペタッとしていていかにも軟球が潰れているかのようでした。
僕はちょっと興味を惹かれて観察を始めました。多分、このようにバットを振っている少年を見たのは史上初だったからです。(ラケットなら僕がおそらく史上初。いや、マッケンローかな?)
少年はしばらくすると椅子から立ち上がって、全身の勢いを使ってボールを打ち始めました。
おや、なんということでしょう!
ボールがすかーんと気持ちよく射出されていくではありませんか!
でも、安定した感じはありませんでした。なぜなら、バットの重さと、少年の重さが釣り合っていないから。その上で展開されるはずの作用反作用の法則が無視されているから。
さて、このコーチはこれからどのように少年を導いてゆくのでしょうか。重い物を振り回す質量に頼った打撃、というのは良い着眼点です。でも問題はこの後なんです。
話は変わりますが、武道では武器を持つのは高段位の人だけだというのは知っていますか?
刀、トンファー、槍、得物はいろいろですが、共通した使い方は武具の重さを邪魔しないことです。これは、本人の身体が脱力していないと理解できませんし、よしんば手首の力だけを抜いて武器の重さを感じたとしても、そんな重さでは実践的ではありません。
僕は、ラケットの重さを感じるようアドバイスします。が、本来これは邪道なのです。付け焼き刃でしかありません。
本来は、ラケットを持ったら軽くなくてはならないのです。ふわっとぺたっとね。
重くて軽い感じといいますか、重い腕の延長でしかないというか…
宮本武蔵は「刀を肋骨で持て」と云っていますがわかる気がします。
手っ取り早く脱力を知るにはラケットの重さを感じることですが、その重さをインストールしたらすぐさま伝染させてください。手首、肘、肩、全身へと。「寄生獣」という漫画では、主人公の新一は右腕に寄生した「ミギー」と戦線を張ります。新一は勝手に動き回るミギーを見事に操っていますが、武術の深奥というのはこんなもんです。
命ある武器。バット、またはラケット。
そしてそれについていける高い反応と重さ(筋力ではない)。
それには「持ち上がらない身体」が必須であり、走ってもその重さを極力逃さない技術が求められます。それが真のフットワークです。
長文になってしまったので次回に続きます。
フットワークのキーワード。
「骨盤の中の肺」
「天使の恥骨」
についてです。
