ポストコロニアルな北海道を歩く | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

ポストコロニアルな北海道

 フランツ・ファノンの「黒い皮膚、白い仮面」が2021年にNHK「100分de名著」で取り上げられたとき、正直驚いた。1925年カリブ海の仏領マルティニーク諸島で生まれ育ち、高い教育を受けていたが、黒人だったため島の白人から差別を受けてきた。しかし自身を「自由・平等・博愛」を国是とするフランス人と考えていたため、ナチスによってパリが陥落すると「祖国」と信じるフランスに再び自由、平等、博愛をもたらさんとして「自由フランス軍」の一員としてナチスと戦った。屈折しながらも激しい青春時代である。

 そこで「名誉の負傷」を負った彼だが、参戦を通して各地から集まったアフリカ等の植民地出身者を彼自身が「ニグロ」とみなしている、つまり白人の目線で彼らを蔑視している自分に気づいた。それでいながら戦後留学生活を送ったフランス本国では、見知らぬ子どもから「ニグロ」呼ばわりされたのが彼にとっては衝撃だった。そして彼は精神科医として赴任した仏領アルジェリアにて独立に身を挺することになる。

 カリブ海やアルジェリア、フランスなど、日本とは遠い国の話だとはとても言えない。宗主国から政治的に独立したと思える国々も、かつての植民地主義のくびきから政治的、経済的、文化的に逃れ切れていない状態を批判的に分析する「ポストコロニアリズム」という学問分野がある。そして日本はまさにその渦中にいる。それは中国、朝鮮半島などから植民地統治や戦時中の言動に対する応じ方を糾弾されるだけではない。日本国内でもまだポストコロニアル以前の「コロニアル」状態にある場所が現に存在するからだ。

 今回の旅はこれまでのような日本の古典や近代文学とは異なり、ファノンの名著でポストコロニアル理論の金字塔ともいえる「黒い肌、白い仮面」や「地に呪われたる者」などをもって「魅力度ランキング首位」の常連、北海道を周るという、いわば「ダークツーリズム」にお付き合いいただきたい。この後、北海道のグルメや美しい風景などを期待している方は、その期待にそぐいかねることをあらかじめお断りしておきたい。

 

「アイヌモシリ」と「開拓」

 羽田を出発した飛行機は2時間弱で北海道の大地が窓の下に広がってきた。「アイヌモシリ」、すなわち「人間の大地」である。じきに新千歳空港に着いた。東京はお盆前の酷暑だったが、到着してみると秋雨がしとしと降っていた。

訪日客も多いためか、壁にかかる歓迎を表す言語も、日本語の他「Welcome/热烈欢迎/熱烈歡迎/환영합니다」等各国語にまじって「イランカラㇷ゚テ(あなたのこころにそっと触れさせてください)」と歓迎を表すアイヌ語も混じる。そしてJRに乗り換えると、ここでも日本語の車内放送のあとに「イランカラㇷ゚テ」である。北海道に、いや「アイヌモシリ」に来たのだという思いが高まってくる。

 しかしこの空港も2015年には「北海道は、開拓者の大地だ。」と書いたバナーを掲げ、北海道アイヌ協会から猛抗議を受け、取り下げた。「開拓」とは先住民であるアイヌ人にとっては侵略行為に他ならないからだ。

キウス周堤墓群―アイヌ以前の先住民族は縄文人?

 レンタカーで世界遺産に登録されたばかりの「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうち最北端に位置する千歳市のキウス周堤墓群を目指した。「キウス(ㇱ)」とはアイヌ語で「カヤの生い茂るところ」という意味らしいが、ここにいた縄文人は墓をつくるときに円形の竪穴を掘り、掘った土を円周に盛りかためた。上空から見るとドーナツ状に見える古墳である。約3200年前にできたというこの周堤墓は最大規模で外径83メートル、周囲の盛り土の高低差は5メートル弱である。まるでその千年後の弥生時代の環濠集落を思わせる規模だ。

 アイヌ人はこんな大きなものを作っていたのか、と一瞬思ったが、そんなはずはない。アイヌ人の民族的形成があったとすると、それは13世紀ごろ、つまり本州の鎌倉時代に相当するからだ。三千二百年前にいたのはアイヌ人でも和人でもなく、「縄文人」なのだ。ここで疑問に思ったことは、アイヌ人が北海道の「先住民族」であることは2007年に参議院も認められているとはいえ、私の目の前にあるこの周堤墓は先住民族以前の縄文人のものだ。縄文人は「先住民族」には入らないようである。「先住」の定義が気になりながらも、南に向かった。

 

 「ナイ」と「ペッ」

国道36号線を南は苫小牧方面を目指して走ると、じきにマガンや白鳥が飛来するサンクチュアリで、ラムサール条約登録のウトナイ湖が見えてきた「ウトナイ」とは「あばら骨のような川」という意味だ。アイヌ語の地名は川を意味する「ナイ(内)」または「ペッ(別)」という地名が実に多いが、それもアイヌ人の多くが河川の流域に住んできたことに由来するのだろう。ちなみに「ナイ」は沢のような小川で、稚内(道北)や静内(道央)、木古内(道南)などが、「別」は女満別(道東)、登別/江別(道央)などが知られている。

産業都市として知られる苫小牧だが、アイヌ語で「トー・マコマ・ナイ(沼の後ろの川)」と、ここでも「ナイ」が隠れている。このアイヌ語由来の町を車で走っていると「拓勇」という地名が見えてきた。「拓く勇ましさ」という意味なのか。王子製紙をはじめとした本州の大企業の工場群が軒を連ねるこの町は、まさに勇猛な男たちが切り拓いていった土地なのだろう。しかし「拓勇」の表示はまるで川とともに生きてきたアイヌ人の土地に楔を打ち込んだかのような感じがしてきた。このような見方がポストコロニアルを学んだ人間の見方なのだろう。

 

中国のような白老                                                       

市街地を抜け、西に進む。支笏洞爺国立公園の一部、樽前山と太平洋に挟まれた36号線を進んでいくと、じきに白老についた。宿の周りの表通りから白老駅にかけてはいたるところにアイヌ文様が目に付く。この前この町を訪れたのは2013年だったが、こんなにこざっぱりとしてはいなかったし、このような文様はほぼ記憶にない。2020年にウポポイが完成したのと時を同じくして表通りがアイヌ文様だらけになったという。

この渦巻き状の文様、どこかで見たと思ったら、キウス周堤墓付近の資料館で見た縄文土器の縄目文様そっくりではないか。

私は歩きながら、吉林省長春郊外の伊通満族自治県を思い出した。満州族も少なくなく、表通りには満州語の表示がなされているが、満州語を話す人はほぼいない。ただ満州族の自治を保障するという建前、もっというなら「アリバイ」として満州語表記がなされているかのようなのだ。

 

「ハンサムニグロ」と「アイヌ美人」

夜は近くのジンギスカン鍋専門店に向かった。紙製のマスクケースをもらったが、やはりアイヌ文様が印刷されている。二十代後半に見える地元民の店長がいうには、やはりこの町にはアイヌ人も少なくないが、アイヌの女性にはほりが深くてきれいな人が多いとのこと。ファノンが白人女性に容姿を「褒められた」ときの一節を思い出した。

「ほら、ハンサムじゃない。あのニグロ……。 」 ──奥さん、ニグロがいい男だからってどうなんです。彼女は恥ずかしさに赤くなった。私はやっと自分の反芻から解放された。と同時に私は二つのことをなしとげた。私は敵の正体を突き止めた。(中略)戦場が定まったので、私は戦端を開いた。

 彼は容姿によって人を判断するいわゆる「ルッキズム」を批判したわけではない。美の基準は白人にあって、「ニグロ」は醜くあるはずと思わされていたのだが、「黒人にもハンサムはいる」と思い直した目の前のご婦人の偏見を正した。このことより自らの人種的偏見に気づいた彼女をはじいらせたのだ。「敵の正体」とはなにか。それは「白人=美」「黒人=醜」という固定観念なのだろう。そして多くの人―白人はもとより、黒人である彼自身もその固定観念から逃れることは難しかった。

 ジンギスカン鍋の店長が「アイヌの女性=ほりが深い=美人」と考えたのは、もちろん彼自身の体験を通した感想だろうが、これはファノンが「黒人なのにハンサム」と白人女性から言われた以上にねじれている。江戸時代からすでにアイヌを劣った民族として隷属させてきた和人の我々がアイヌを描くときは、毛むくじゃらで素足の「野蛮人」として描きがちであり、明治時代には政府がアイヌ人女性の美意識がこめられた顔面の入れ墨を禁止したという過去がある。とてもアイヌ人女性=美人という図式が19世紀から成り立っていたとは思えない。しかし「ほりが深い=美人」というのは、そこに西洋人的な容貌を見たため、それを美しいと見たのかもしれない。

 「ハンサム・ニグロ」とまなざされたファノン以上にねじれたまなざしがここで感じられた。(続)

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