富岡製糸場と渋沢栄一 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

養蚕の盛んな土地柄

富岡製糸場に初めて行ったのは2011年夏だった。三年後の世界遺産登録に向けて、周辺は観光客を迎えるべくそれなりに盛りあがっていた。そしてここも渋沢栄一が深くかかわっている。

生糸産業は幕末からすでに欧米でその需要が高まっていた。当時の欧州でシルク大国というとフランスとイタリアが挙げられる。彼らの製糸技術は世界一だったが、肝心の原料となる蚕の病気が蔓延したため、1860年代に日本に向けて生糸の発注が急激に伸びた。当時、日本の総輸出量の八割を生糸が占めていたという。そしてその中心となるのが北関東や信州だった。

同じころ渋沢も養蚕家のはしくれであった。彼の「師匠」は生家から2㎞ほど北に行った、利根川沿いの田島弥兵の本家、田島武兵だった。利根川はしばしば氾濫したが、おかげで古い土壌が流され、養分を含んだ土で田畑が覆われたため、渋沢家の家業だった藍の生産も盛んだった。同時に桑畑の害虫も利根川の反乱で押し流されたため、養蚕には絶好の場所だったのだ。

明治初年、大蔵省の役人だった渋沢は養蚕の専門家として製糸場を設立する命を受けた。そこで養蚕が盛んなだけでなく、冬のからっ風で乾燥した土地柄の群馬県富岡に白羽の矢を立てた。初代工場長は少年時代の渋沢に「論語」等を教え、一時は尊王攘夷運動を起こそうとした尾高惇忠である。彼らはふるさと深谷で日本初の本格的な国産レンガ工場を造り、富岡に持ち込んで前代未聞の巨大な西洋式工場と倉庫群を作り上げた。

※copyright@wikimediacommons

 

富岡製糸場

富岡製糸場のゲートに近づくと、カメラのファインダーに収まらないほど巨大な赤レンガ建築が目に入ってくる。その長さは実に140m。心なしかレンガの置き方が稚拙に見えてくる。無理もない、なにごとも最初は初心者なのだから。工場内には現在も繰糸の機械が置かれている。ここが国宝となり、世界遺産となったのも、昭和・平成を通してオーナーを務めていた片倉紡績が、現役の工場だった時代からここの歴史的価値を分かっており、「貸さない、売らない、壊さない」をポリシーに保守しつづけてきたことによる。

明治時代にここで働いていた工女たちは、士族の子女が多かった。しかし始めはフランス人がワインを飲むのを「生き血を吸っている」と誤解され、デマが広がったりしたため、尾高の長女を女工にして健全な職場であることを「証明」したりもした。

「工女」というと大正時代の諏訪や岡谷で働かされていた「あゝ野麦峠」の非人道的な労働条件をお思い浮かべるかもしれないが、「官営模範工場」、すなわち国家のモデルとなる富岡では一日八時間労働、日曜日は休み、という労働条件で、さらに仕事が終わってからは皇室で進講していたほどの田島武平の特別講義まで聞けるという、ある意味憧れの職業ですらあった。

いずれにせよ、女工たちをただの外貨獲得の道具ではなく、広く深い教養を身に着けさせることで個人の幸せへの道を開かせようとしたところには渋沢らの想いが繁栄されている。一方で、その後の日本のアパレル産業は、女工たちの労働者としての権利を顧みず、無理な労働を強制し、代わりはいくらでもいるとでも言わんばかりの資本主義のマイナス面のみ見られるようになってしまったのが残念である。

 

世界遺産ブームはわずか一年?

あらゆる意味で画期的だったこの工場は、近代の日本の技術革新と外貨獲得に寄与したこともあり、2014年に世界遺産に登録された。すると2013年に約31万人だった見学者数が、世界遺産登録された14年には約134万人と、四倍以上の伸びを示し、「オーバーツーリズム」の様相を呈した。しかしその三年後の17年には約64万人と半減以下となり、19年には最盛期の三分の一にも満たない44万人である。

さらにコロナ禍の2020年には約17万人にまで減少したとはいえ、コロナのためというより、産業遺産のもつ「パッと見てすごさがわかる」というお手軽さ、写真映りのよさなどに欠けていたため、富士山や京都のような「分かりやすく写真写りの良い」ところとは対照的である。リピーターもほぼいない中、日本中が「インバウンド狂想曲」に振り回された2010年代後半に、世界遺産ブームが一年しか続かなかった珍しい例といえよう。そこで市はふるさと納税による「一日工場長」プランや、広い館内で会議やコンサートなどをする「ユニークべニュー」など、あらゆる方策を練っている。

渋沢だったらこの現象を「観光客が札束にしか見えなくなったら終わりだ。人間同士の付き合いを地道に続けていくことで、顧客をつかみ、多すぎも少なすぎもしないお客に来てもらいなさい。」などとアドバイスしているのかもしれない。

女工たちの働く「女の園」から、今度は対照的な「男くさい暗闇」に足を運んでみよう。

 

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