古事記をあるくー西都原古墳群から青島へ | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

西都原古墳群

宮崎市の北に位置する西都市には、大小三百以上の古墳が群集する西都原古墳群で知られている。芝生に覆われた大きな公園のように思えるが、こんもりと盛り上がった芝生の下はみな古墳である。そのあまりの広さは、徒歩で歩くよりも自転車、できれば自動車が欲しいくらいだ。

中小規模の墳墓がこれほど多いということは、それなりの有力者が数多くいたことを表しているのではないか、などと考えながら、その中で最大級(ともに176m)の帆立貝型古墳、男狭穂塚(おさほづか)古墳と前方後円墳の女狭穂塚(めさほづか)古墳にたどり着いた。埋葬された者は確定したわけではないが、男狭穂塚には天孫降臨したニニギノミコトが、女狭穂塚のほうにはその妻のコノハナサクヤ姫が候補として挙がっている。

ニニギノミコトは絶世の美女、コノハナサクヤ姫と一緒になりたかったのだが、彼女の父親、大山祇命(オオヤマヅミノミコト)は、もう一人の娘、イワナガ姫もついでに娶るようにニニギノミコトに言った。同一人物に姉妹で嫁に出すなど、現代的な価値観では全くあり得ない話だが、この場合問題はそこにはない。姉のイワナガ姫が「絶世の醜女(しこめ)」だったため、ニニギが姉のほうを実家に送り返してしまったのだ。

舅殿は怒った。コノハナサクヤは「栄華」を、イワナガは岩のように固い「永遠」を表す。二人合わせて「末永く繁栄するように」との意味が込められていたのだ。しかし見た目の美しさだけに惑わされた婿殿は永遠の繁栄を自ら拒絶した。

その後、コノハナサクヤ姫は身ごもるが、ニニギノミコトはそんなに早く懐妊するわけはないと考え、他人の子ではないかと疑う。そこでコノハナサクヤは「本当にニニギの子なら不死身なはずだ」という言葉を残すや、なんと産屋に火をつけて燃やしてしまった。そしてそのような中でも生まれてきたのが後の海幸彦、山幸彦とホノアカリだった。

美貌に惑わされ、妻の妊娠を疑うなど、とんでもない男ではあっても、子を残した後は自らも妻と隣り合ったこの古墳に眠っているのだという。

 

「羊頭狗肉」の博物館?

その後で県立の西都原考古博物館に入ってみた。オフィシャル・ホームページの紹介を見ても、ありふれた展示内容だとしか思えなかったが、あまり期待しないまま入ってみた。しかし、私にとってはよい意味で「羊頭狗肉」だった。「考古学」の博物館というよりも「歴史哲学」博物館に近いのだ。ここは展示物をみるよりも、パネルのメッセージにこめられた日向の民の屈折した叫びを「読み」「感じ」「考える」ための場所かもしれない。以下、パネルのメッセージで考えさせられたことを列挙しよう。

・悠久の歴史の中で、「米」の到来くらい象徴的に語られるものはない。しかし、米の存在を過大評価し過ぎているのではないだろうか。

・陰暦十月を(中略)出雲の国では「神有月」という。(中略)青銅の神も出雲に集った。とすれば、青銅の神を戴かない南九州の弥生時代は、文字通り「神無月」の日々を過ごした。

・環濠集落は人とムラを囲った。自らを守るために他者から囲うことは、また自らが不自由になることを意味している。同時に多くの決まり事で自らを縛っておかないと、不安で仕方ないものなのだ。

日本史、日本学、現代思想など、考古学というより、もっと本質的なことを考えさせてくれる空間なのだ。知的刺激を与えてくれ、しかも古墳そのものではなくもっと「大きな物語」に取り組んでいることがよくわかる。

さらにいうならばここは「宮崎県立」、つまり宮崎県の税金を使いながらも、主体を南九州人全体に広げ、熊襲や隼人、そして出雲や渡来人との融合で日向を中心とする南九州が形成されたという主張が続く。

亜熱帯の岩の島、青島

ある年の暮れに宮崎に向かった。羽田を出たJALが宮崎空港につき、外に出ると南国特有の生暖かさに驚いた。なお空港のニックネームは「宮崎ブーゲンビリア空港」である。

朝日ののぼる前にホテルを出て、レンタカーで南に向かった。太平洋の黒潮が日南海岸国定公園に打ち上げている。行先は青島である。奇岩怪石の島として知られる「鬼の洗濯岩」は、ビロウの森の周囲に広がる磯で、侵食に強い層ともろい層が平行してできているため、もろい層がけずられて洗濯板の溝の部分に、固い部分はでっぱりの部分になる。

朝から生暖かい空気のなか、駐車場から青島に向かう。しかし、鬼の洗濯岩は見えない。予想はしていたが、干潮でなければ洗濯岩は見えない。島の周りは一面の海である。ゆっくりと青島神社を参拝した。その奥の5000本のビロウの森に足を運ぶ。ここは北半球のヤシ科植物の群生地としては北限なのだという。まるでパプアニューギニアにでもいるかのような雰囲気である。あらためてここがパームツリーを植えなくても亜熱帯気候であることが感じられた。

 

海幸彦と山幸彦

この神社に祭られているのは、ほかでもないニニギノミコトとコノハナサクヤ姫の息子、山幸彦とその妻の豊玉姫、そしてシオツチである。山幸彦はその名の通り山で狩猟をして暮らしており、その兄の海幸彦は海で魚を取って暮らしていた。

ある時山幸彦は兄に一日だけ立場を交換しようと提案したが、こともあろうに兄が最も大切にしていた釣り針をなくしてしまった。そこで海幸彦は自らの刀からたくさんの釣り針を作って弁償しようとしたが、受け入れられない。そこで土地の賢人、シオツチの知恵で、船を作ってもらい、航海に出て釣り針を探すことにした。

海の世界に入っていった山幸彦はやがて「乙姫」のモデルといえる豊玉姫と出逢い、結ばれた。三年後、鯛が海幸彦の釣り針を飲み込んでいたことを知った山幸彦は、その釣り針をもって陸地にもどった。その場所がこの青島だという。陸地に戻った山幸彦は兄に釣り針を返そうとするが、難癖をつけて受け取ってくれない兄をこらしめた。

いかにも古事記にありそうな理不尽な話だ。確かに兄は意地悪だったかもしれないが、立場を変えようといったのも、兄の宝をなくしたのも弟である。それなのに最終的に兄をこらしめるとは。しかしここに隠されている裏の意味を読み解かなければならない。山幸彦は高天原から高千穂に降り立った天孫族の子孫であり、海幸彦はもともと黒潮の恵みを受けてきた南九州の海洋民族なのだ。さらにいうならば海幸彦は原住民だから兄、山幸彦は移住者だから弟なのだろう。

 

大陸系と海洋系のハイブリッド

西都原の考古博物館のメッセージにこのようなものがある。

・南九州の人々にとって、海は親しい存在であった。黒潮に乗って、人も文化もやってきた。

・父親の顔は半島系、母親の顔は南方系、この国には実にさまざまな顔つきをした人々がいる。(中略)この多様さを、可能性の数だと大切にしよう。

・密航、今も海をそうして渡る人がいる。しかし、彼らには微かな希望をかなえるための生命の保証はない。内乱の故国を離れて、悲壮な決意で海を渡った人々は、弥生時代にもいた。

このいかにも亜熱帯的な小島の主が、大陸(半島)系であろう山幸彦を主に祭っている。しかしその妻は海の中に住む豊玉姫だ。出雲ではヤマタノオロチという原住民に仮託された生き物のうえにスサノオたち渡来神がやってきた。ここでも似たような構図が見られるのだ。そしてこれは出雲や日向といった限定的な場所ではない。日本は単一民族国家などでは決してなく、その源流はハイブリットなクレオールなのだと「古事記」は言っており、県立博物館もそれを叫んでいるのだ。

青島神社の境内にある日向神話館では、その場面が蝋人形で表されているが、時間が合わず、後にせざるを得なかった。

 

鵜戸(うど)神宮でワニザメの産んだ皇子

青島から日南海岸国定公園を南に向かう。南国を演出するためのパームツリーが立ち並ぶ「日南フェニックスロード」を走ると、じきに鵜戸神宮に着いた。岩がごつごつしている中を、駐車場から降りて海に近づいていく。いくつかの橋を越え、門をくぐっていくと、広い洞窟が現れ、そのくぼみにはまり込むかのようにして丹青の美しい社殿があった。

ここも磐座信仰の一つなのだろう、と思い、参拝すると、女性たちが集まっているところがある。上から垂れ下がったような鍾乳石から水滴がしたたる。それを飲むと安産祈願になるという。これについては伝説がある。

「古事記」によると、山幸彦が海の底にいたとき、豊玉姫はすでに身ごもっており、地上に戻ったら新居を作るように山幸彦に言ったという。そして「兄弟げんか」が一段落してから建てた夫婦の家というのがここなのだ。しかし完成しないうちに豊玉姫が上陸し、しかも早産の兆候である。「出産の様子は絶対に見ないで」と山幸彦に言ったが、山幸彦は結局のぞいてしまう。

 山幸彦がそこで見たのは、因幡の白兎の話でも出てきたあのワニザメが出産している様子だったのだ。この「鶴の恩返し」的パターンは「黄泉比良坂」のイザナギ・イザナミの間でも見られたが、ワニザメの豊玉姫は、「未完成の家」という意味でウガヤフキアエズを生むと、自分の乳房をきりとり、授乳のために岩にくっつけてから海に帰ってしまった。先ほど女性たちが安産祈願をしていたのはその「お乳岩」だったのだ。

そして生まれたばかりの息子を育てたのは豊玉姫の妹の玉依姫(タマヨリヒメ)だった。その後、叔母の玉依姫は甥のウガヤフキアエズと結ばれ、生まれてきた四人の息子の一人がカムヤマトイハレビコ、後の神武天皇である。

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