奥出雲へ
「奥出雲」という地名があるが、私にとって微妙である。旧仁多郡を2005年の平成の大合併以降「奥出雲町」と称するようになったとはいえ、隣接する現雲南市で生まれ育った私も自分のことを「奥出雲人」だと思っている節がある。特に出雲市、松江市、安来市の国道九号線沿いの「出雲國の表」の人々に対しては自分自身を「奥出雲人」と規定しているようだ。そこで拙文では雲南市、奥出雲町、飯南町と安来市の比田以南を「奥出雲」と呼ぶことにしたい。
「表出雲」に対する「奥出雲」の特徴は、ヤマタノオロチ伝説とたたら製鉄だろう。「古事記」の中でも最も知られている名場面の舞台が奥出雲である。
ヤマタノオロチ伝説の里、雲南市
高天原での乱暴狼藉に対する罰として根の国に追放されたスサノオがこの地に降り立ち、川沿いを歩いていると箸が流れてきた。雲南市木次町の斐伊川には八俣大蛇(やまたのおろち)公園があり、オロチと戦うスサノオの石像と箸拾い碑が建てられている。
高天原から追放されてこの地をさまよっていたスサノオは、老夫婦が一人娘を囲んで泣いていたので声をかけた。わけを聞くと、もともと八人娘だったのがヤマタノオロチに毎年食われてしまい、最後の娘が食べられそうなため泣いているとのことだ。そこで酒を造らせ、八つの壺になみなみつぎ、待っていた。ちなみに八俣大蛇公園から2キロほど斐伊川をさかのぼると、印瀬の壺神様という神社があり、そこで酒を造ったことになっている。
待っていると嵐とともに八つの頭と尾をもった竜が現れ、酒を見つけるとガブ飲みし、酔いつぶれた。すかさずスサノオは腰の刀を抜き、オロチの首や尾をずたずたに切り裂いた。最後の一本の尾を切ると、カチンと音がして中から草薙(くさなぎ)の剣が出てきたので、それを高天原の天照大神に贈った。そしてスサノオは老夫婦の娘、櫛稲田姫をもらって平和に暮らした。雲南市の海潮(うしお)地区にある須我(すが)神社がその場所だといわれ、そこが「日本初の宮」ということになっている。神社の入口には
「八雲立つ出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を」
と彫られた本邦初の和歌の歌碑が置かれている。さらにその付近の山道を登っていくと、夫婦円満の御利益があるといわれる「夫婦岩」なる磐座が待っている。ちなみに倒されたオロチは雲南市木次町里方の斐伊川沿いの土地に埋められ、そこから杉が八本生えてきたので、地元では「八本杉」と呼ばれている。日本初の「鎮魂」がここで行われたのだ。
このような町に生まれ育った私はヤマタノオロチの実在を疑わなかった。他地域の子どもたちが三択ろーつの存在を疑わなかったようなものかもしれない。サンタクロース以上にこの地はオロチとスサノオの伝承の地が大きすぎるのだ。そしてそれらは「古事記」ではなく、絵本や紙芝居、そして祭りのときに必ず演じられる神楽で何度も繰り返し見てきた。
ヤマタノオロチと西部劇
大人になってから思った。これは昭和の西部劇映画と構図がそっくりではないか。インディアンに村が襲われ、娘たちがさらわれた。残された一人娘を囲んで悲嘆にくれる老夫婦のもとに、孤独だがピストルの腕前だけは誰よりもすごいガンマンが現れた。ガンマンは策を講じてインディアンの酋長に大酒を飲ませ、酩酊させてから得意の射撃で倒す。夕日の沈む中、銃口から上がる煙にふっと息をふきかけて立ち去ろうとすると、インディアンの宝が目に留まる。それを戦利品として故郷に贈ると、馬に娘を乗せ、新居を求めて立ち去った。
俳優はジョン・ウェインかクリント・イーストウッドがやればぴったりなのだろうが、昭和のころにはこのような白人=正義、インディアン=悪という単純な構図がまかり通っていた。〇〇ロードショーや〇〇洋画劇場などでテレビ放映されても、確実に視聴率はとれていた。が、今放映したら大問題だろう。
そもそもなぜインディアンが襲いに来たのか?自分たちの生活圏を白人に侵された結果ではないのか?この視点を「ヤマタノオロチ伝説」に応用すると、なぜオロチが襲いに来るのか?新羅や伽耶から高度な文明をもってきた渡来神たちに対する原住民の抵抗ではなかったのか?
奥出雲の人々はスサノオとオロチの関係を、スサノオ=善、オロチ=悪などという単純な見方で見ることはない。もしオロチを悪として見るのであれば、なぜ雲南市の道の駅の名が「おろちの里」で、ダム湖の公園が「さくらおろち公園」で、温泉名が「おろち湯ったり館」なのか。なぜ廃校となった温泉小学校体育館のモザイク壁画もスサノオと戦うオロチなのか。なぜ奥出雲町のループ橋が奥出雲おろちループ、そこを通る木次(きすき)線の観光列車が「奥出雲おろち号」なのか。
奥出雲人は悪役好きなわけではない。渡来神スサノオたちに滅ぼされ、まつられたオロチも潜在意識の中では自らのルーツだからではないのか。そしてそれは吉備津彦(桃太郎)よりも彼らに滅ぼされた「鬼役」の渡来人温羅(うら)にシンパシーを感じる吉備の人々にも当てはまるのではなかろうか。
「古事記」にしか登場しないヤマタノオロチ
と、ここまで筆を進めて、実は私はある「前提」を確信犯的に無視してきたことを告白せねばなるまい。それは、ヤマタノオロチ伝説は「古事記」にはあるが、地元で書かれた「風土記」には全く記載されていない。さらに言うなら、オロチ神話は「国史」として初めて書かれた「日本書紀」にもないが、これは「風土記」とは異なり、「出雲王国時代」は大和の朝廷が中心となる「日本史」の前段階とみなされてからだろうか。
これだけハラハラドキドキするようなネタであれば、「風土記」にないのはどうしても解せない。また、オロチの正体を原住民とのみみなすのも単純すぎはしないか?神代の頃から流れてきた斐伊川とその周辺の生態系そのものがオロチだとも思える。そしてかつてあったろう生態系の大規模破壊と、古代出雲王国の発展が表裏一体となったのが、他でもない奥出雲のもう一つのキーワード、たたら製鉄である。
小学校の頃、U字磁石にひもをつけて斐伊川に投げ入れ、引き上げるとびっしりと黒い粒がひだのようについていた。それが砂鉄だと大人たちに教えられた。中国山地を中心に、昔から盛んだったたたら製鉄。危険を冒して鉄鉱石を掘らなくても、まさに子どもでも取れるこの天然資源を見つけたのがだれかは分かっていない。ただいえるのは、それを徹底的に精錬することで、日本刀の原料となる和鋼ができるという技術を持ってきたのは、スサノオや五十猛命に代表される渡来系の集団だったことだろう。
そしてそれが盛んだったエリアは、おおむねヤマタノオロチ伝説の舞台と重なる。オロチの尾から剣が出てきて、それが皇室の三種の神器の一つ、草薙の剣となったことが意味しているのは、おそらくスサノオに表された渡来系技術者たちが奥出雲で和鋼を大量にとったことであろう。
そしてオロチは嵐とともに現れるというが、それこそたたら製鉄の燃料としてはげ山にされた保水力の極めて低い土壌に雨が降り、洪水をたびたび引き起こしたことを意味するのだろう。そこで出雲市平田地区の韓竈神社のように、スサノオたちは製鉄と同時に植林技術も伝えたことになっているのだろう。
「たたら銀座」の奥出雲
ところで歴史に関心ある人でも、おそらく日本中のほとんどの人が製鉄には興味を抱かないに違いない。しかし安来市、雲南市、奥出雲町を合わせれば東京23区の二倍以上の面積になるが、そこに住む人は9万人にも満たない。こんな過疎地域に、たたらや製鉄関連の資料館がいくつあるか数えてみた。
安来市:和鋼記念館、金屋子神話民俗館
雲南市:鉄の歴史博物館、古代鉄歌謡館、菅谷たたら山内生活伝承館
奥出雲町:奥出雲たたらと刀剣館、絲原記念館、可部屋集成館、たたらと角炉伝承館、鉄の彫刻美術館
なんと、少なくとも10カ所はたたら製鉄関連の資料館がある。高齢化と過疎化による財政がひっ迫する自治体で、これはやりすぎではないか、重複するものを統合できないか、などという声もあるが、それでもたたら製鉄のない奥出雲はすでに奥出雲ではない、というくらい、金銭には代えがたい人々の誇りとなっているのだ。
そして鉄を持った部族がその地域を統一するのが古代国家形成のパターンだが、砂鉄×渡来系製鉄技術=古代出雲王国の繁栄という図式を理解するには、奥出雲まで足を運ばねばならないことだろう。そしてそれは出雲史の理解はさることながら、「プレ日本史」の理解につながるのだ。
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