ロマンティスト人麻呂のふるさと、石見益田 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

石見益田への遠い道

 私の家は島根県内の東の隅、安来市、すなわち伯耆(鳥取県西部)との境にある。そこから西の隅、山口県との境にある益田市までは200㎞近くもある。時速50㎞で走り続けても4時間かかり、東京からなら静岡市に行くよりも遠い。同じ県とはいえど、島根県中部にある三瓶山から西は、旧「石見国」であり、地形も伝統も方言も気質もソウルフードもそれぞれ異なる。

ちなみに益田市を訪れたのは、中学生の頃に友人と列車で萩・津和野を訪れた時と、親の知人の家を訪れた時、大学時代に日本縦断自転車旅行の時、そして40代の時に仲間たちと訪れた時の四回だ。

このように、私にとって益田とは、同じ県内の最も遠い場所で特に行く必要性も感じられない場所だった。しかし子どものころから益田といえば人麻呂伝説というのは「常識」だった。人麻呂「伝説」という言い方がよくなされるが、言いえて妙だ。というのも人麻呂は和歌の中にしか現れない。同時代の公式な歴史書に記載されているわけではない。実在しない人物であるという学者さえいる。しかし益田では、地元で生まれ平城京にわたって宮廷歌人として名をあげ、地元に戻って亡くなったと信じられている。

宮廷歌人としての人麻呂

彼が都で詠んだ歌には天皇に捧げたものも少なくない。例えば

「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも(現人神であられる帝だから、雷岳の雲のうえにも庵をたてられたのだ)」

のように、帝の偉大さを讃えるような、いわば「公式的な」歌が目立つ。一方で、壬申の乱の後に飛鳥浄御原に遷都されたために荒れ果てた大津宮を見ながら彼が詠んだ次の長歌では、帝の偉大さはあくまで「飾り」として詠いはするが、最も大切なのは時の移り変わりのはかなさであることが感じられる。

 「(前略)あまざかる 鄙にはあれど いはばしる 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめらみ)の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の しげ生ひたる 霞立ち 春日(はるひ)の霧(き)れる ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも(都から隔たった田舎とはいえ、琵琶湖のさざ波がよせる大津の都。畏れ多くも現人神であられされる帝の御所はここにあったといわれても、今では春の草が生い茂っているだけだ。あの御所がこのようになってしまったのを目の当たりにすると涙がこみ上げる…)

 宮廷歌人として盲目的に讃えるというのは、実はポーズであり、時にはその権威をお飾りのように歌に散りばめ、世の無常を嘆いて見せるのが人麻呂の歌に見える「表と裏」である。そして現在、なによりも人麻呂の人気を支えているのは、「石見相聞歌」と呼ばれる、石見の妻を想う心を赤裸々に描いた一連の作であろう。

 

「史実」より「伝説」の中に生きる人麻呂

 1980年代、山陰地方のCMで、「石見のや 高角山の木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか(石見に残る妻に手を振って単身都に向かう。高角山の木と木の間から、手を振る私をじっと見つめている)」を詠みあげるものがあった。残念ながら何の商品だったか覚えていないが、中学生の私もその意味が分かった。

そして彼の辞世の歌ともいえるのも次のような相聞歌だった。

「鴨山の 岩根し枕(ま)けるわれをかも 知らにと 妹が待ちつつあるらむ(妻の待つ石見に戻ってきたのに、あと一歩というところで鴨山の岩の下で倒れ伏せてしまった私のことなどしらずに、妻はただ私のことをまっているんだろうな)」

 これらの歌は、宮廷の女官たちの間でも評判となったようだ。離れたところに住む妻を想う男の気持ち。心の底から想いながらも、すれ違ってしまう二人。今でいうと、「韓流ドラマ」そのものに思えてくる。ドラマの中でしか出てこない登場人物のように、人麻呂の素性や人生も歌の中にしかでてこない。しかし時には史実より伝説のほうが真実味をもって人の心をつかむこともある。それが感じられるところが益田の島根県立万葉公園だ。

小高い丘に造られたこの公園の人麻呂展望台からは、かつて彼が生まれ育ち、妻を想いつつも会えずに亡くなったという石見・益田の地と日本海が一望できる。そして彼が石見で作った数十首の歌碑が置かれた散策路もある。そこに面して高津柿本神社もあり、土地の人々の、この「歌聖」に対する思いが強く伝わってくる。

名探偵コナンは「真実はいつも一つ」というが、一つしかないものは客観的な「事実」であり、周りがどういおうとも強い信念で思い続けたものこそ個人的な「真実」になる。中央や歴史学では実在したかさえ疑われる人麻呂だが、故郷石見と妻に対する一途な思いを歌い続けた彼の実在は、地元と文学の世界では真実以外のなにものでもないのだ。

 

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