薩摩の隠れ念仏とカヤカベ | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

薩摩藩の真宗門徒弾圧

戦国時代の門徒弾圧および虐殺は一世紀にわたって続いた。その後、徳川幕府は真宗の熱狂的なまでの信心をそぐことは「百害あって一利なし」ということであると悟ったのか、その勢力を東西両本願寺に分散するとともに、安定した宗教政策をとることにした。それは各世帯をいずれかの宗派の寺院で出生届、死亡届等を義務付ける寺請制度と、その者がキリシタンでないことを証明させるという「宗門改め」だった。「キリシタン」を佛教共通の敵とし、真宗も佛教の一派として幕藩体制の支配構造の重要な一部として組み込まれたのだ。

しかし真宗そのものをご法度にした藩が南九州にあった。薩摩藩と肥後人吉藩である。これらの藩はキリシタンと同じく真宗門徒も厳重に取り締まったため、門徒たちは密かに山中の洞窟などに佛画を隠し、信心を守り通した。歴史の教科書には「隠れキリシタン」が必ず出てくるし、その跡が世界遺産にも登録されたが、局地的には「隠れ念佛」の存在も忘れてはならないだろう。

鹿児島市の郊外の花尾という集落に隠れ念佛の人々が佛画や佛具を隠したという念佛洞が残されているというので、ある年の師走にお参りした。幹線道路から外れ、山の中の細道を進むと、その集落にたどり着いたのは分かったが、そこから先は山道しかない。お年寄りを探して聞いてみると、知らないという。もう一人のお年寄りに聞いてみると、ようやくピンときたようだ。今なおその存在は地元の集落の人々にとっても謎に包まれているのだろう。

仲間とともに山道を歩むこと7,8分で、二つの岩の間にうっすらとした見えた明りが念佛堂だった。大人がしゃがんでようやく入れるほどの入口をくぐると、中に佛壇サイズの阿弥陀如来がおさめられている。中は7、8畳ほどの広さだったろうか。ここに多くの門徒たちが来て信心を守ったのかというと、そうではなく、ここには門徒たちが佛画や佛具を隠し、それらを集落の門徒宅に運んでは念佛を唱えていたらしい。

お決まりの正信偈が洞内に響く。様々な思いが頭を行き交い、胸が締め付けられるようだった。薩摩において最悪の弾圧は、1835年のことだった。この時には隠れ門徒たちの佛画が2000幅処分され、門徒が14万人も捕まって拷問にあったという。そのような虐待に三百年間も耐え忍んだ彼らはなにを想って念佛を唱え続けたのだろうか。

 

「救い系」だが祈願はしない真宗

佛教には大まかに分けて「悟り系」と「救い系」がある。前者は僧侶や武士など、「強者の佛教」であったのに対し、後者はどうしようもない時に一心に佛の加護を祈る庶民、そして虐げられた人々の「弱者の佛教」だった。現実が死ぬほどつらければあの世での往生に一縷の望みを託したのか。

ちなみに原則として真宗は祈願をしない。阿弥陀如来に極楽往生をさせてもらうのは決まったことであるから、彼らは救いを求めていたのではなく、極楽往生行の切符をくださったことをただ感謝していたはずだがどうだったろうか。

同じ九州の隠れキリシタンたちと似て非なる点が二点ある。まずキリシタンはローマ・カトリック教会とは全く断絶され、宣教師のいない中で信仰が「ガラパゴス化」されたが、門徒たちは京都の本願寺派とのつながりを秘密裏に守り通し、なけなしの食糧を現金に換えて寺院の再建に寄進したりしていた。

もう一つは、キリシタンはその土地から逃れても日本中で「お尋ね者」だろうが、隠れ門徒たちは「逃散(ちょうさん)」といって他藩に脱出して真宗門徒として生き続けることもできないではなかった。しかしその多くは他国で流民となるよりも死を覚悟しつつも薩摩の地にいることを選んだのだった。なぜ彼らはここにしぶとく居続けたのだろう。一つだけいえるのは、私は正信偈を唱えながら、この親鸞の教えによって彼らとつながっているような実感がわいてきたということだ。

霧島の山々と「カヤカベ」

そういえば鹿児島空港から記紀神話でいう「天孫降臨」の舞台となった霧島の山々が見わたせた。そこに鎮座する霧島神宮を江戸時代に熱心に拝む「隠れ門徒」らしき人々がいた。

「カヤカベ」と呼ばれる彼らも本来は隠れ門徒だったはずだが、「日本の神々は本来インドの諸佛が形を変えて日本に現れたもので、本質は同じである」という本地垂迹(ほんちすいじゃく)説を取り入れ、「阿弥陀佛=光の佛=天照大神の本当の姿」というロジックを成り立たせた。そして「天照大神の神社=伊勢神宮=霧島神宮の本社」ということで、身近にある霧島神宮を隠れ門徒が参拝するという、宗教抑圧の中で「ねじれた」信仰を持つ人々が「カヤカベ」と呼ばれたのだ。

しかし彼らは本心から阿弥陀佛の「代わりに」霧島神宮を拝んでいたのだろうか。霧島は今なお火山爆発を起こす「荒ぶる神」である一方、温泉という恵みがあちこちから沸きだすありがたい存在でもある。この山を古神道的に信仰する気持ちが先にあって、その後に浄土真宗という「上層宗教」が教義面を形作ったのかもしれない。カヤカベの人々は隠れ門徒と同じく隠れて「ナマンダブ」を唱えても、その対象が阿弥陀如来そのものではなく、阿弥陀如来だと思い込んでいる山そのものなのかもしれないのだ。

鎌倉時代に現れた真宗は、それ以前の密教や同時代に武士の間で普及した禅宗に比べると大衆的であったことは確かである。しかしそれ以前に日本各地の庶民の「基層信仰」としての山川草木に火や石や風等、森羅万象を畏れ尊ぶ古神道こそがカヤカベの本質のように思える。

 

頭に阿弥陀様、こころに八百万の神々?

鹿児島空港のロビーから霧島の山々を見ていると、自然と手を合わせて「ナマンダブ、ナマンダブ」という言葉が口をついて出てきた。真宗的解釈なら、阿弥陀如来が私にそのようにさせたとなろう。カヤカベ的解釈なら、高千穂の峰は韓国岳、新燃岳などの山々の一つ一つが阿弥陀如来であり、諸佛なのだろう。そのうち、そのようなことはどうでもよくなり、ただ霧島の山々を拝めることがありがたかった。そして感謝の言葉が「ナマンダブ」だったようだ。ここでは正信偈を唱える気にはなぜかならなかった。場違いな気がしたからだ。

どうやら大切なことに気づいた。私にとっての真宗というのは、「カヤカベ的」なようだ。自分の宗教観を一本の木にたとえると、その根は山の神、水の神などを畏れ奉るアニミズムである。それが地上に芽生えると浄土に往生することを想うようになり、さらにしっかりした幹になったのが真宗なのだろう。自らを非僧非俗として生きた親鸞が悪人正機を唱えたため、不安におののく人々の心をつかんだのも事実だが、多くの門徒が真宗の一神教的な教義とは距離を置き、「それはそれ、これはこれ」とばかりにアニミズムも共生させてきたのも一面の事実である。

親鸞と真宗の跡をたどる旅ではあったが、越後で神社を参拝する親鸞に好感を持ち、茨城では牛久大仏よりも筑波山に対して素直に「ナマンダブ」が出てきて、広島では原爆を開発して投下した人物さえ極楽に往生できることを許せず、薩摩では素直に霧島連山に手を合わせた。つまり頭の中では阿弥陀如来、心の中は八百万の神々であることを再確認する旅になった。こんな自分でも極楽浄土に往生できるのかどうか。いつの間にか死後の「終活」をしているような気になってきた。やはり私の「本当の旅」は今生ではなく、死んでからになりそうである。(了)

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