出雲の西の国境、三瓶山にもあった縄文杉 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

出雲の西の国境、埋もれた名所、三瓶山

 島根県のちょうど中ほどにそびえる火山、三瓶山(さんべさん)。奈良時代初期に書かれた「風土記」のうち、ほぼ完全に残っているとされる「出雲國風土記」に、その名は「佐比売(さひめ)山」として出てくる。それは出雲の土地があまりに狭いため、八束(やつか)(みず)臣津(おみつの)(みこと)という巨神が「志羅紀三埼(しらぎのみさき)」、すなわち新羅から余った土地を引っ張り、出雲にくっつけ、それをつなぎとめた杭がこの山だという。ちなみにこの後、隠岐島の一部から「国引き」して島根半島を作り、最後に高志(こし)(=(こし)、現北陸地方)からも「国引き」を行い、その杭をつないだのが伯耆富士(大山)だという。建国神話としてはなんとスケールの大きな話だろうか。そしてその物語は今なお地元では神楽(かぐら)として毎週末見ることができ、先祖の偉業を今に伝える役割を果たしている。

 三瓶山、島根半島、隠岐、大山は大山隠岐国立公園として指定されているが、その範囲がほぼこの「国引き神話」と合致するのが興味深い。この伝説から、出雲人の私にとって、三瓶山というのは「古代出雲王国の西の国境」という思いがあった。ここから西は異郷である、という思いだ。現に三瓶山のある大田市以西では出雲の言葉は使われず、同じ県内ながらも東京の言葉を使うこともしばしばある。逆に石見人からはこの山から東が異郷なのだろう。

 この三瓶山に、三十年ぶりに家族旅行に行った。三瓶観光リフトを降りてしばらく歩くと、男三瓶、女三瓶、子三瓶、孫三瓶と、四千年前の爆発で生じたカルデラの周りに広がる山々の雄姿を家族に見立てた風景が広がる。父と母と子と孫でその山々を眺めつつ、自然物の山に人間関係を投影したり、国造りの場として想定したりした古代人の世界観に心をはせた。

 宿泊は石見の名湯、温泉津(ゆのつ)温泉である。ここは石見銀山が華やかなりし頃には銀の輸出港として栄えたとして世界遺産入りしたが、鄙びた温泉地である。町並みは重伝建に指定されているとはいえ、江戸時代などではなく私が子供のころの昭和風であり、懐かしい限りだ。

翌朝は日本温泉協会が源泉、泉質、引湯、給排湯方法、加水、新湯注入率の各項目において「オール5の温泉」として認めた薬師湯につかる。お湯は日本海に面しているだけに、想像通りナトリウム温泉で源泉をなめるとしょっぱい。雨の降る中、レトロな外観と地元のご老人二人だけが浸かっている湯に体も心も癒され、活力がみなぎる。露天風呂はなくても、白濁した湯の花はなくても、オール5や世界遺産とは関係なく、やはりよい湯はよいものだ。

 食事を終えてから車で三瓶山の小豆原埋没林に向かった。ここは約4000年前に三瓶山が大噴火した際の埋没林が20世紀末に発掘され、現在は地下十数メートルを掘った状態で屋根がかぶせられている。世界でここだけしか見られない地中に眠り続けた縄文杉である。屋久島の縄文杉に比べると知名度はかなり低いが、地上から下に螺旋(らせん)階段を下りながら見るこの縄文時代の火山爆発の生き証人の存在感は、見る者を圧倒する。さらに言うならば、無言のままに何かを語っているかのように立ちすくむ数本の縄文杉の巨木を、外ではなく地下室内で間近に見ていると、現代アートを見ているかのような気までしてくる。

 しかしここだけではなく、石見銀山も大森や温泉津温泉の街並みも、圧巻の神楽も素晴らしい泉質のお湯も、観光地として埋没している。このまま「隠れた名所」であり続けてほしいが、維持するためには一定以上の訪問者がなければならないのが悩ましいところだ。