浅草-祭りが最もよく似合う粋な庶民の町 ① | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

浅草-祭りが最もよく似合う粋な庶民の町 ①

 五月第三週末の三日間は浅草の三社祭。このときは浅草寺に近づくにつれて笛や太鼓の音が聞こえ、神輿が見えてくると、「そわそわした」落ち着かない雰囲気に包まれてくる。

 祭りの参加者たちは、みな粋を気取っている。男女ともはっぴをまとい、男衆はももの付け根までしかない股引姿(半ダコ)やふんどし姿も目立つ。女衆も背中をあらわにし、頭につける鉢巻きはすべて上を向いている。これが粋なのだ。江戸っ子の美意識、「粋」の中核となるコンセプトは反体制的であり、色艶(いろつや)であり、元気さであるが、この江戸っ子の出で立ちにカルチャーショックを受ける人も少なくない。

 粋というセンスが形成されたのは江戸時代後期、おそらく化政時代だと思われる。江戸時代は日本史上初めて文化の担い手が権力者から町人に移ったが、その大衆文化がさらに伝統ある上方から新興都市の江戸に移植され、江戸っ子たちが文化の担い手となった。そして歌舞伎や錦絵(浮世絵)、相撲、落語などといった大衆の娯楽が花咲いたが、そのエッセンスとなる美意識が「粋」といえよう。

 それではなぜ粋の要素が反体制的なのか。士農工商という身分制度にがんじがらめにされていた当時において、最下層に置かれた下町の町人は、いつも自分たちを押さえている山の手の田舎大名に対する対抗意識を燃やすようになった。そこで権力を笠に着て威張る「お上」に対して職人の技や商才によって自分の存在を誇りに思うようになり、体制が「武士道」という道徳を持つことに対して、「粋」という美意識が生まれたのだ。この「下から上へ」というベクトルは帯や鉢巻きの締め方が上向きであることや、大地と水平に引っ張る山車とは異なり、天に向かって高く挙げる神輿にも現われている。

さらに、この世は「()き世」でもあり「浮き世」でもあるとみた当時の町人は「色艶」を大切にした。歌舞伎では身分制度など、報われぬ色恋に絶望し、この「憂き世」から離れて、来世はともに添い遂げるべく心中する男女をテーマにした歌舞伎や文楽が庶民の琴線に触れた。一方で写楽の大首絵や歌麿の美人画など、世の中には庶民の色男色女をテーマとしたうきうきわくわくするような「浮き世」をテーマとする都市文化も発達した。そこにあるのは体制側の武士道にはない「色艶」である。男女ともに肌を露出するのも色気(フェロモン)を全開するためである。こんな日にスーツに身を固めたり読書をしたりするのはかえって「野暮」だ。

 このように、身分制度に対する不満から「下から上に向かうベクトル」が生まれ、世の中は所詮男と女しかないという刹那(せつな)にして永遠のテーマの源にある「元気さ」が「粋」なのである。すなわち「粋」とは「生き」であり「活き」であり「息」であり「意気」なのだ。その熱気を最もよく感じられるのが三社祭である。(続)