富士山で「光」を「観る」 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

富士登山 その2

四時半をすぎたころから地平線のかなたからだんだんと白み始めてきた。刻一刻と変わるその景色をこの目に焼き付けたいと、私は山小屋をあとにし、人ごみをかき分けて朝日が上がるのを見ようとした。明るくなってようやくわかったことだが、山頂は登山客であふれていた。平日朝八時台の新宿駅といっても誇張ではないほどだ。前日の朝、新宿を離れ、苦労してここまで登ったのに、同じぐらいの人ごみとは皮肉である。

五時前についに太陽の赤い小さな玉が、地平線の彼方に見えた。みな拍手をした。私も遠くのご来光に向かって手を合わせた。願い事などない。ただその神々しいまでの光景に畏れ入ったのだ。そしてこの島国の人たちが太古の昔からこのように太陽を崇拝し、おそれてきたことの意味がしみじみとわかってくる。西行法師が伊勢神宮に参拝した際の歌「なにごとが おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」の心はこのようなものだったろうか。また「光を観る」ことを「観光」というのなら、これ以上の「観光」はない、と観光業界の端くれとして思いつつ見とれていた。

それにしても寒い。そこで十分後、チームペヤングは下山を始めた。これ以上頂上にいると、「渋滞」に見舞われるというガイドさんの判断だった。太陽が大地を照らしてくると、眼下に山中湖や河口湖といった火山噴火によってせき止められた堰止湖がその姿を現した。そして左手には手前から南アルプス、すなわち赤石山脈が、そしてその北には中央アルプス、すなわち木曽山脈らしきものが、さらにその向こうには、北アルプスすなわち飛騨山脈の影が見えてくる。日本アルプスが一望でき、天上人にでもなったかの気分だ。

一時間ほどで八合目の山小屋についた。家内も朝早く起こされて、八合目からあのご来光を見ていたという。山小屋についた人から弁当を食べ、七時ごろに全員そろったチームペヤングは八合目を出発した。下山路は、肉体的には疲れないはずだが、猛烈な砂埃と、急な坂を降りるために転ばぬよう気をつけねばならないので、精神的には上りよりきつかった。しかし途中休み休み、あまり話もせずにただただ転がるように下っていった。

二時間あまり下り続け、六合目まで来た頃には家内も私も足ががたがただ。ようやく五合目についたが、砂埃で体中真っ黒だった。

太宰治は「富岳百景」のなかで「いいねえ、富士は、やっぱりいいとこあるねえ。よくやってるなあ。」と書いていたが、正直富士山の美しさなどは全く満喫できなかった。太宰は富士山をふもとから見ている。登ると、富士山よりも下界のほうが美しい。ただ、今まで山登りどころかスポーツ自体やったこともない家内が八合目まで登り、自力で降りたことに対し、「よくやってるなあ」と思わずにはいられなかった。

五合目に下りたら、とたんに中国人観光客に囲まれた。彼らのほとんどが五合目まできて富士山に「来た」ことになっている。興味深いことに「便利なものが大好きな反面、面倒くさいことが嫌い」という習性があるようだ。しかしそれは例えるなら成田空港の入管まで来て日本に来たというようなものではないか。中国には「長城に登らねば好漢にあらず」ということわざがあるが、富士山も「頂上に登らねば観光にあらず」であろう。