新宿バルト9で見た。
「あの映画トラウマだよなあ」なんていう会話を、映画バナシしてるときによく使ってたが、おれにとっての新たなトラウマ映画が登場した。
ここ半年ほど長らくふさぎこんでいたんだけれど、最近少しずつ元気が出てきて、そろそろ何か始めようかという前向きな気持ちになってきかけていた時期だった。
しかしこの映画で生存値が限りなくゼロに戻ってしまった。
倦怠期を迎えた夫婦が離婚するまでの24時間の経緯と、二人が出会って結婚するまでのラブラブな期間が、同時進行でお話は進んでいく。
何がトラウマかというと、ディーン(ダンナ)は、結婚してたときのおれそのものであり、シンディ(ヨメ)は元カミさんそのものなのである。
もちろんおれはペンキ屋(ディーンの職業)ではないし、元カミさんは正看護士(シンディの職業)ではない。
この二人の間には「ワケあり」の娘が一人いるけれども、わが夫婦には子供はいなかった。
それでも本質的にディーンはおれであり、シンディは元カミさんなのである。
この映画を見た友人と数日後、あーでもないこーでもないと居酒屋で議論しまくったおかげで少しだけすっきりしたが、まだまだ語り足りない。
とはいえ、思いつくまま語りだすときりがないので、論点を絞る。
努力して正看護士の資格をとり、勤務先の病院でバリバリ働くシンディが、子煩悩ではあるが朝からビール飲みながらテキトーに仕事する(ようにシンディには見えている)ディーンに対して、こういうせりふをはく。
「あなた、やりたいことはないの?好きなことはないの?」
それに対して、ディーン曰く
「おれは子供も家庭も大事にしている。父であり夫である以上に何を望むんだ。」
堂々巡りである。
おれも同じようなことを女房によく言われたなァ。
なんかやりたいことないのか?って。
ディーンと同じようにおれも思った。
仕事してるし、浮気もしないし、ギャンブルもしない。
酒もタバコもやるけれど、生活に支障をきたしてるわけじゃない。
決して金持ちじゃないけれど、生活苦ってほどじゃない。
これ以上何を望むんだ?ってね。
「やりたいことを見つけてそれに邁進する」
自然にそうなればそれはそれでもちろんいいことだが、やりたいことなんて別になくたってかまわないと思う。
自分を中心に考えると、誰の目にもわかりやすい「やりたいこと」なんて、ないほうがむしろ自然だと思う。
「やりたいことを見つけてそれに邁進する」
たまたまこの映画は夫婦関係を描いているが、視点を広げて社会に目を向ければ、昨今の就職難の問題なんかも、この言葉があまりにも崇高なものとして捉えられすぎていることに原因があるんじゃないか。
仕事なんて、喰っていければそれでいいじゃないか。
というような男の(とあえて言い切ってしまう)考えをこの映画のシンディも、おれの元カミも理解できなかったんだな。
理解どころか、歩み寄るのりしろもなかったというほうが正しいかもしれない。
なかったというより、なくなったというほうが正確かな。
この「ブルー・バレンタイン」では、結婚後から破局にいたる最後の1日までのプロセスは全く描かれていない。
そこは観客の想像力にゆだねられているのだが、この間、ディーンもシンディも、お互い徐々に離れていく価値観を何とか埋めようと努力したに違いない、とおれは思いたい。
おれんちがそうだったから。
リアルだけれど、厳しい映画です。
どんなひとにすすめればよいのか、わからない。
少なくとも、一人で見たほうが、よいと思います。