なりたくてなった性格ではなかったけれど、この性格のお陰で友達から頼りにされることが多くなってきて、家庭以外に学校という大きな居場所がみつかりました。


家庭では誉めてもらえることがほとんどなく、『認められたい』『必要とされたい』という気持ちがとても強かったので、4年生になると委員会や発表会などの役員にとにかくすべて立候補しました。



私にとって小学校4年生は明るい気持ちで過ごせた、人生の始まりのような年でした。そして、家庭での今までの自分にさよならをした年でした。



学校に居場所を見つけた私は、必要以上にいい子でいることをやめました。母は私の変化に気づき妙に優しい言葉をかけてくることが増えました。



でも、もう遅かった。居場所を見つけた私には母の言葉はなんの意味も持たないように感じました。
それに言って欲しい言葉はそんなことじゃない。
母が優しくなる度にどんどん心を閉ざしていきました。



母は私のことを何もわかっていないと心から感じたのは小学校6年生での出来事でした。


オールAの成績表を見せたときのこと、母は何にも言ってくれませんでした。弟のAが一つもない成績表には頑張ったね、と言ってくれたのに。
もっとショックだったのは、
母を題材にした私の作文が新聞に載ったときのこと、母から『あんまり余計なことをしないで。』と言われました。


家で飾れるようにと、先生が大きく引き伸ばしてくれた新聞の原稿を鍵付きの引き出しにしまいました。破いて捨てることは出来ませんでした。自分が頑張ったことを、自分自身だけでも認めてあげたかったから。
その引き出しは実家を出て机が捨てられるまで2度と開けることはありませんでした。


結局頑張っても頑張らなくても母に私を認めてもらえる日は来ないんだなと改めて実感しました。


今子育て中の方、
もしもこれを読んでくださっていたら…


自分が小さかったときに悲しかったこと嬉しかったことすぐに思い出せますか??



悲しかったことはすぐに思い出せると思いませんか??

私の母のような人は滅多にいないと思いますが…


虐待なんてしていないと思っても、
親にとっては些細な一言が子供の人生を変えてしまうくらいダメージを与えてしまうこともあるんだと知って欲しいなと思います。


小さなことでも肯定してあげてください。
それだけでいいんです。