数日前の記事で「このDNAを受け継ぐ輩は非国民」と書いたツイートを優生学というタイトルで紹介したが、あのツイートをした人はある人が嫌いであり、その子孫(DNAを受け継ぐとはそういうことでろう)も嫌いなのであろう。そのDNAを受け継ぐ人は日本国民にふさわしくないと言いたいわけである。

あのツイート主は別に、自分が非国民と罵った人たちは国民の要件から外すべきであるなどという法律論をしたいわけではなく、単なる悪口を書いただけなのであろうが、私はその思考の源流にあるものは優生学だと考えている。

 

 私の考える優生学とはある価値観の下、良い因子とそれに相反する悪い因子が存在し、良い因子を持つものは好ましい特性を持つと優遇されるべきであるが悪い因子を持つものは排除されるべきという考え方である。その価値観は多岐にわたっているのが普通であろう。ある人は計算が素早く、正確にできる因子を好ましいと思い、計算が遅く、間違える因子を悪いと思うだろうし、別の人は早く走るという因子を良いと思い、早く走れないという因子を嫌に思うだろう。

 

 悪い因子は大きく二通りに分けられる。例えば、先にあげた計算間違いが多いとか、早く走れないという「悪い因子」は一定の努力によって改善が見込める。計算のトレーニングを積むことによって計算間違いが少なくなり、また、走るトレーニングを積むことで最初はゆっくりしか走れなくても、徐々に100m走のタイムは良くなってゆくだろう。一定の限界があるので、オリンピックに出場することはできないかもしれないが。

 一方で、感音性難聴では一般に聴力の回復は認められない。いくらトレーニングをしても聞こえる部分を聞くことができるだけで、聞こえない周波数の音は聞こえない。このタイプの「悪い因子」は努力することで改善するわけではない。(突発性難聴は感音性難聴を示すが、一部は改善する。)

 

 優生学は、これらの「悪い因子」を持っている、もしくは持っている可能性がある人を排除して、「良い因子」を持っている人だけを選り分けて優遇しようという考え方である。

 昔は人間の形質は遺伝するということは経験的にわかっていたものの、遺伝の本質は広く周知されていなかったことと(もちろん、メンデルの知識は忘れ去られていた)、実際の人間の好ましい形質は複雑なのでエンドウ豆のように単純に決定されないということで経験的手法での選び出しを行わざるを得なかったことであろう。つまりは競馬ゲームの配合である。単純に早い馬と早い馬を掛け合わせただけでは常に優勝できる馬が生まれるとは限らないのである。