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今月からブログを始めました、グッチと申します。

 

今回は自己紹介をしていきたいと思います。

 

高知県の田舎育ちの22歳です。

高知県自体が田舎ですが、僕さらに田舎に住んでました。どれくらい田舎かといいますと、一番近いスーパーまでは車で15分、一番近い自動販売機は自転車で15分、一番近いコンビニまでも車を15分走らせないとないほど田舎でした!

そんな田舎だったので小学校の同級生も7人しかいませんでした。全校60人しかいなかったのでみんなが友達でした(笑)

でも、田舎だからこそ良いことも沢山あります。春はたんぽぽが生い茂る原っぱで横になれますし、夏は近くの川で日が暮れるまで泳いだり、秋は秋桜畑ではしゃいだり、冬は雪合戦したり、都会では味わえない経験を幼いころからしてきました!

 

小学校1年生からは柔道を習い始めました。はじめは前転などのマット運動が楽しそうという単純な考えで始めました。実際に始めてみると体のあちこちが痛い痛い💦

受け身が上手ではなかったのでとにかく投げられるのが嫌いでした。

僕が通い始めたころは僕より年下の子がいなかったのですし、年上の人に勝てるわけもなく毎日投げ飛ばされてました(笑)

そんな投げられるばかりの柔道が嫌で乱取りが始まりそうな雰囲気になったらトイレに逃げてました。でも毎回父親に引きずり出されトイレの外で叱られてました。

そんな父親も試合の時は必ず来て誰よりも応援してくれました。シンプルに「頑張れ!」しか言わない父親でしたがどんな応援よりも心に刺さりました。

母親は試合の前の日は勝利の願掛けとして「勝つ」という想いで毎回トンカツを作ってくれてました。試合の日も一勝もできないほど弱い僕に決勝まで行くんかって程のスポーツドリンクをクーラーボックスに入れて来てくれてました。

そんな何気なく柔道をするなかで、小学校4年生の冬ごろから水泳も習い始めました。

水泳を始めたきっかけとしては、小学2年生の時に川で溺れて当時柔道を一緒にしてた1つ上の先輩に助けてもらった事で二度と溺れないようにということで始めました(笑)

水泳を始めて泳げるようになってくると楽しくてしょうがなかったです。柔道みたいに痛いこともないし最高だと思いました。

気づけば水泳にのめり込んで柔道の練習に行くよりも水泳の練習に行くことのほうが多くなっていました。水泳はどんどん上達していって一年で選手コースと言われる高校生や大学生と混ざって練習できるコースに入れるようになりました。

小学6年生の4月に中学校で柔道をするか水泳をするかで迷いました。

水泳をするなら地元の中学校でできる。でも、柔道をするには高知市内の学校に行かないと柔道部が無かったのです。難しい選択でした。

親に相談したら、母親は「好きな方をやればいい」と言ってくれました。

父親は「柔道続けてみんか?中学で何か変わるかもしれんぞ」と言ってくれました。

その言葉で、せっかく小学1年生から続けてきたから、もう少し続けてみようと思い中学受験のため夏から電車で片道30分のとこにある塾に通い始めました。

駅前にあるボロボロの塾でドアの建付け悪いし隙間風が入ってくるし塾長スケベだし、ほんとめちゃくちゃな塾でした。

でも、塾の先生方は皆早稲田卒の先生たちで最高にわかりやすくかみ砕いて教えてくれる先生方でした。そんな先生方のおかげで無事中学受験に合格することが出来ました!!

 

中学校に入り、田舎出身の僕はひとクラスに30人いることに驚きと興奮と緊張でいっぱいでした。しかも中学1年生120人いる中で柔道部入部希望者は僕だけ!!

まじか!!と思いながら放課後、道場の扉を開けるとでっかい先輩方が明るく歓迎してくれました。監督も今年は入部者0かと思っていたところに僕が来たわけですから、めちゃくちゃ嬉しかったみたいです。

次の日から朝練に参加することになり、本格的に僕の柔道部物語が始まります。

僕の通ってた学校は中高一貫校だったので高校生の先輩方も一緒に練習しますし一緒の部室で着替えます。高校生と練習することで強くなれると思い入学したのもこの学校を選んだ理由の一つです。

もちろん上下関係も厳しく、休憩中は先に先輩に水をくばり下っ端の僕らが水を飲めるのは先輩が皆水を飲んだ後です。先輩より先に水を飲むとシバかれてました(笑)

そんな中で生活するうちに礼儀や縦の関係を学んでいきました。ただ、練習はめちゃくちゃきつかったです💦

毎日、自分の涙と汗をすすりながら練習してました。いい思い出です(笑)

そんな甲斐あってか中学ではそこそこ勝てるようになりました。勝てるようになると柔道を楽しいと思えるようになりそのまま高校でも続ける選択をしました。

しかし、高校では思うようにいかず怪我ばかりでした。治っても怪我、治っても怪我、そんな3年間でした。怪我したまま試合に出場するのが当たり前になり、当然ながら勝てることも少なくなってきました。腰椎分離症や膝前十字靭帯、内側側副靭帯損傷などで高校2年では試合に出れた記憶がありません💦

高校2年の修学旅行でのスキー研修も膝の怪我でスキーができず一人だけソリでした(笑)

高校3年の最後の試合には出たい想いで高校2年の時は治療に専念しました。

治療に専念したおかげで3年の最後の試合は無事出場することができ、何とか3位入賞が出来ました。

そんな怪我のおかげで自分の身体について考える機会ができ、引退してからは2度と怪我をしないためにトレーニングを開始しました。はじめは怪我のリスクを抑える目的でトレーニングをしていましたが、だんだんトレーニングの魅力に惹かれていき気づけばトレーニングが大好きになっていました。

将来はトレーニングをベースに仕事がしたい、自分のような怪我に苦しむ人を一人でも減らしたいと思い、柔道整復師の資格を取ることを決意しました。

高知県には柔道整復師の専門学校が無かったので愛媛県の専門学校に行くことにしました。

高校生の頃に筋トレと出会ったおかげで筋肉の名前などはある程度覚えていました。ただ、生理学や筋肉以外の解剖などには苦戦してました💦そんな中でも切磋琢磨できる親友と出会い二人で口頭試問したりテストの点数で勝負したり、お互いの得意とする分野を教えあったりしてました。専門学校三年生の時は学校が開く8時に学校に行き、夜は学校が閉まる9時まで毎日資格取得のために必死で勉強しました。

そんな甲斐あって無事合格できました😆

そして今年4月から山口県で柔道整復師として働いています。

僕はフィットネスの可能性を信じて、フィットネスを通じて怪我の予防だけではなく沢山の人の人生を変えたいという夢を叶えるべく今後も尽力していきます。

 

最後までご高覧頂きましてありがとうございます。

今後も定期的にブログを更新していきますのでよろしくお願い致します。