義父が自らの命を絶とうとした、あの日から。

かかりつけの病院とは別の大学病院に救急搬送され、監視の行き届く病棟で3週間を過ごしました。


病室で顔を合わせたとき、義父はただ一言。

「申し訳なかった」と。


誰も責めることはありません。

私たちが返せた言葉はただひとつ――

「命があってよかった」それだけでした。




その日を境に、義父が自分の足で立ち上がることは二度とありませんでした。

それでも義父は、動かない身体を受け入れました。


お風呂に入れてもらえることに感謝し、

できないことは素直にお願いする。

あれだけ嫌がっていたオムツも受け入れ。


その姿から、私は学びました。

「人はこうして弱さを受け入れることで、強くなれるのだ」と。

尊敬しかありませんでした。




やがて念願のかかりつけ病院へ転院。

主治医に向かっても「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げるその姿は、潔さそのものでした。


さらに、自作の富士山の写真を「御礼に」と主治医にお渡しすることもできました。


最後は、家の近くのホスピスへ。

住み慣れた町のそばで、安心できたのだと思います。


「食べたいもの」を次々に伝える義父に、義母は一生懸命応えていました。


ノンアルコールビールも楽しみ、

おつまみの柿の種を「ガラスの器に入れて」とリクエストする姿も、微笑ましかったです。


そして、ずっと食べたがっていた「味噌の紫蘇巻き」。

どこのスーパーを探しても見つからず、とうとう義父自身がAmazonで探し当てました。


「明日渡そうか」と一瞬迷いましたが、その場で届けると――

「美味しい」と笑顔で食べてくれました。

その顔を見られて、本当によかった。




そして翌朝。

義父は静かに息を引き取りました。


「少しゆっくり寝せて欲しい」と医師に伝え、

睡眠導入の注射を受け、そのまま安らかに。


誰にも看取られることなく――

それは義父らしい最期でした。

ホスピス転院からわずか5日目。


最後まで、心乱す姿を誰にも見せず、

ひとり静かに旅立った義父。




立派だったよ、お義父さん。

潔かったよ、お義父さん。

私には、まるで武士のように見えたよ。


長い闘病、本当にお疲れさまでした。

どうかゆっくり休んでください。


ありがとう。

あの富士山の写真ようにずっと見守っていてね。