紀元前7世紀頃までにはこのエトルリアの指導力は中央、北部イタリアからコルシカ、サルデニアまでに及んでいた。ちなみにテイレニア海は「エトルリア人の海」という意味です。
エトルリアは12の都市国家を持っていました。
その内9つまでが現在解っています。(参照:ローマは一日にしてならず)
1.ヴォルテーラ
2.アレッツォ
3.キュイージ
4.ヴィテルボ
5.オルビエト
6.タルキーニア
7.チェルベトリ
8.ウエイ
9.ペルージア
しかしこの12の国家は一つに纏められ統一される事は無はありませんでした。
連邦制を取り、自治領同士が共存。
各国内は強い宗教的センスで良く統一されてはいたが独立の傾向が強く、連邦国家として纏まる事がなかったのである。
この事が後にローマに迫られ次第にローマ化されて行く原因となってしまったのです。
紀元前3世紀にはローマの猛攻撃に反抗する力は無く急激に衰退しローマに服従する事になりました。
ローマ帝国時代にはエトルリアの人口は減り急激に衰退。
これはローマとの市民戦争や海岸沿岸に広まったマラリアの為、それに加え麦の生産に危機が訪れた為などによる。ローマ皇帝はこうしたエトルリアを励まし復興に努力を惜しまなかったそうです。
現在も残るヴォルテーラ、コルトーナ、アレッツォ、フィエゾーレ等は従って何千年も前の町でありギリシャを除いてはヨーロッパの最古の歴史を持つ街である。