エトルリア人とは、ローマ人がイタリア半島を征服する以前のイタリア中部で最も栄えていた民族であり、異民族としてギリシア文化を最もよく理解した人々である。



エトルリア人は、紀元前7世紀から紀元前6世紀にかけて、地中海全域でもっとも富み栄えた民族であったと考えられています。


強大な国家を形成していたわけではなく、軍事力も強くはなかったけれど、豊な鉱物資源と地味豊かな耕作地によって、一人当たりの富がもっとも豊かであったと推測されています。



これらの推測はエトルリアで発見された、輸入品などの出土が根拠となっています。

  → エトルリアでのギリシア陶器の出土

紀元前7世紀頃までにはこのエトルリアの指導力は中央、北部イタリアからコルシカ、サルデニアまでに及んでいた。ちなみにテイレニア海は「エトルリア人の海」という意味です。



エトルリアは12の都市国家を持っていました。

その内9つまでが現在解っています。(参照:ローマは一日にしてならず)

          1.ヴォルテーラ
          2.アレッツォ
          3.キュイージ
          4.ヴィテルボ
          5.オルビエト
          6.タルキーニア
          7.チェルベトリ
          8.ウエイ
          9.ペルージア    



しかしこの12の国家は一つに纏められ統一される事は無はありませんでした。

連邦制を取り、自治領同士が共存。


各国内は強い宗教的センスで良く統一されてはいたが独立の傾向が強く、連邦国家として纏まる事がなかったのである。


この事が後にローマに迫られ次第にローマ化されて行く原因となってしまったのです。


紀元前3世紀にはローマの猛攻撃に反抗する力は無く急激に衰退しローマに服従する事になりました。





ローマ帝国時代にはエトルリアの人口は減り急激に衰退。

これはローマとの市民戦争や海岸沿岸に広まったマラリアの為、それに加え麦の生産に危機が訪れた為などによる。ローマ皇帝はこうしたエトルリアを励まし復興に努力を惜しまなかったそうです。



現在も残るヴォルテーラ、コルトーナ、アレッツォ、フィエゾーレ等は従って何千年も前の町でありギリシャを除いてはヨーロッパの最古の歴史を持つ街である。



かつてグッビオの街は、エトルリアによって支配されていました。

しかし、ローマ帝国の台頭により、衰退してしまった。


その後、ローマ帝国がエトルリアの資料をすべて消失させてしまったことから、当時の歴史はいまだに明らかになっていない。



中生代末の大量絶滅に関し、1977年にこの地域近傍で見られる「魚粘土」と呼ばれる地層の中から高濃度のイリジウムを含むK-Tバウンダリーがウォルター・アルヴァレスにより発見され、隕石落下を原因とする仮説が提唱されるきっかけとなったことでも知られる